大阪で易者・キネシオロジストとして活動している武部泰莞です。
「たけべたいかん」と読みます。
ここでは僕がどうして運命学に出会ったのか、どうして易者という道を選んだのか、そのあたりを語っていきたいと思います。
きっかけ~人生を変えた出来事~
元々は占いやセラピー・ヒーリングとは全く接点のない人生を送っていました。
大学卒業後は塾の講師をしながらバンド活動を生きがいにしていた、そんな日々を送っていました。
しかし、このままではいけないと思い、人生を変えるきっかけになればと思って26歳のときにレーシック手術を受けることにしました。
最初から何か変な感じがすると思っていたのですが、1年もしないうちに左眼が非常に痛くなり、眼圧異常の診断を受けました。
視力を回復させる手術を受けて、左眼の視野の大部分を失ったのです。
診断を受けて、すぐに手術を受けました。
そして、約1ヶ月の入院生活をさせられました。
これは眼圧異常の手術としては異例の長さでした。
おそらく僕の雰囲気がおかしかったのでしょう。
今も入院中の記憶がほとんどありません。
(リーマンショックのことをTVでボーっと見ていたことぐらいしか覚えていない)
退院後も、「俺の人生は台無しになってしまった」とか、マイナスなことばかり考えていました。
そんなときに、母が当時行っていた占い教室の先生に僕の人生を鑑定してもらってきたのです。
その先生こそが、今の僕の四柱推命・断易の先生である緒方泰州先生です。
その鑑定は僕の強さと弱さをはっきりと示されたもので、そこを理解した上でどう生きていけば良いのかを教えてくれるものでした。
当時の僕にとっては、まさに一筋の光明だったのです。
このことが、僕の今を決めました。
迷い~自信の持てない日々が続く~
運命学を学んでみたいと思ったのですが、今まで血液型占いすら興味のなかった僕にとって、何から始めれば良いのか分かりませんでした。
今思えばすぐにでも泰州先生のところに学びに行けば良かったのですが、「あそこは難しいから5年はかかる。すぐに終わらせてくれるところの方が良い」と言う母の勧めがあって、別のところでまず学ばせてもらうようになりました。
そこは「占い師たるものあらゆる占術に精通していなくてはならない。そして、一つの占いから判断するのは危険である」というスタイルのところで、様々な占術を学びました。
四柱推命(神殺タイプ)、九星気学、同会判断、手相、人相、地相、家相をまず教えられ、認定鑑定士の免状をいただきました。
そして、その後、周易、手相中級、暦学、密教呪法を学び、師範鑑定士の免状をいただきました。
認定鑑定士の免状をいただいたときに「まず1,000人観ることを目標にしなさい」と言われ、その数を観るためにイベントにも出て、ワンコインで観たり、一日いくらでイベントに出させてもらったり……とにかくその数に到達することに必死でした。
しかし、イベント等で1年半かけて1,000人を観させていただいたところで、全く自信がついていないことに気づいてしまったのです。
先生の勧めで大阪府易道事業協同組合や暦学会に入らせていただいたりもしましたが、そういう肩書が増えたところで、占い師としての自信のなさ、ポッカリと空いた穴は全く塞がることはありませんでした。
真の運命学との出会い~易者への道~
「この自信のなさは、もうどうしようもないな」と思っていた2012年、それまでも何度も電話をしてみたものの、何故か一向に繋がらなかった泰州先生のところに、やっと電話が繋がりました。
実はもう教室を閉じられたのだと思い込んでいたのですが、ずっとされていたんです。
「何故このタイミングで!?」と驚きながら、教室見学に行き、泰州先生の下で学ばせていただくことにしました。
そして、今、四柱推命の初級を終え、中級を学んでいる最中です。
同時に、断易も学ばせていただいてます。
その知識や能力は勿論のことながら、僕自身は泰州先生の運命学そのものにひかれています。
「人をどうすれば良い方へ導けるのか」こういうことを言う占いの先生は星の数ほどいますが、深みのない人が多いのです。
それは占いが好きだというところから始まっているからかもしれません。
しかし、泰州先生はよく「好きじゃない」とおっしゃっています。
それがどういう意味なのか、最初は分かりませんでしたが、どういう意味でそう言ってらっしゃるのかが分かったときに、「あぁ、だからこんなに深いんだな」と感じました。
だからこそ四柱推命という運命学をこれほど深いものに昇華されたのだと。
そして、僕が泰州先生の下に来させていただくまでに時間がかかったのもそのためなのだと。
この気づきがあったおかげで、僕自身が劇的に変わったことを実感しています。
穴の開いていた部分が満たされたというか。
当たる/当たらないのレベルで悩むことはなくなりました。
いかにお客さんに寄り添った考え方が出来るかとか、どうすれば上手くいくのかとか、そういう視線で鑑定をするようになったのです。
いやいや、当たらない、と言ってるわけではないんですよ?
命式なんて読めて当たり前、だからその先に行こう、ということなんです。
前は「当たってた」と言われるのが嬉しかったんです。
今は「当たってた」と言われても、もちろん報告いただくのは嬉しいんですが、ちょっと違う感じがするんです。
「話を聞いてもらってるうちに、今何しなアカンのか分かってきた」とか、「希望が見えた」とか、「言ってもらったおかげで、今幸せです」と言ってもらうのが嬉しいんです。
そういう報告をしてもらえるような鑑定をしていきたいし、だからこそ深めていきたいんです。
2009年から運命学の勉強を始めたわけですが、今やっと自分自身の前に易者への道が開かれたように感じています。