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岸たけし

岸たけしのブログ

■「白杖」

盲目の方は、白い杖(白杖/はくじょう)を使用します。

そして、同じく「弱視」の方も、白杖を使います。

 

■「白杖トラブル」

白杖使用者が、電車内でトラブルに巻き込まれる事が

よくあります。

それは、白い杖をついた方に座席を譲ったり、

優先席に座った時、白杖を持った方がスマホなどを使用し、

譲った側や、これを見た方に注意されるというものです。

 

1~2行目にも書いたように、白杖は、盲目の方だけでなく、

弱視の方も使用しています。

当然、スマホや携帯など使用する場合はあるのです。

問題は、こうした事実が知れ渡っていない現状にあります。

 

■「弱視」

弱視の方は、視力が悪いだけでなく、視界が狭く、

特に、高低差で苦労します。

そうした理由で、白杖は必須です。

 

■「報道」

現代は、ネットの時代です。しかし、多くの人に

平均的に伝えるには、信頼の厚いテレビが

責任を持ち、国民へ伝えるべきだと思います。

芸能ニュースも大切ですが、より日常を

報道機関として、世間へ届けるべきでは

ないでしょうか。

 

 

■「職人気質と融合性」

日本人は職人気質だ。

物作りにおいては、多くの分野で世界のトップを走る。

手先指先の器用性から、忍耐強い追求心、

研究、合理化など、他国に進出手助けしている

業種も多い。

しかし、その職人気質が強すぎるあまりに、

チームワークを乱すものや、

1番を取りたい為に出す抜く者も多くいるように思う。

 

あるミュージシャンが、こんな事を言っていた。

ギターの技術に関しては、日本人がトップだと思う。

所謂、早弾き。このスピード感は、器用性に劣る

他国の者を上回る。しかし、日本人には

世界的プレーヤーやアーティストが少ない。

それには、理由がある。

 

1番にあげられるのは、コミュニュケーション能力。

音楽は、みんなで一つにまとまげるもの。

日本語だけでは細かなところまで解り合えない。

2つ目、ここが一番のポイントだ。

日本人は、「オレが一番!」と言わない代わりに、

実力をいきなり発揮してしまう。

勿論、その技術性には驚かれるのだが、

バンドなどでは浮きがち。

自分の見せ場を、これでもかぁ~とぶつける為、

曲を殺してしまう。

本場のミュージシャンたちは、曲をリスペクトしている。

その曲に沿った、芸術性が高い。

日本人は器用性が高いが、このアレンジへの

マッチングや意識が違う。

外国のミュージシャンは、歌にはもったり、

観客と同化しようとするが、日本人は、

オレオレオレで通しがちで、融合性にかける。

 

これは、音楽の話だが、他の分野や他業種では

どうだろうか?

これからは、よりテレワーク化が進み、

個人的グローバル社会になる。

それぞれが、会社や組織を越えて、

結びついていく時代になる。

だからこそ、こうした意識が、

大切になるのではないでしょうか?

 

スゲェー奴より、一緒に仕事してみて

楽しい人と仕事がしたいのではないだろうか?

共に、進んでいる感が、楽しさを広げて

くれるのではないだろうか?

■「花輪洋治(享年78)死去」

8月1日、ダンサー花輪洋治さんが

亡くなられました(享年78)

 

花輪洋治さんと言えば80年代起きた

「ジャズダンス・ブーム」で、先頭を走っていた方

であり、テレビ東京のジャズダンス番組はじめ

多くのTV番組に出演、多くの舞台を務められました。

花輪さんは父の高校同級であり、

母のバスケ仲間かつ、80年代ジャズダンススクール

を開いていた母の師。

そして、私の高校の大先輩(米沢興譲館高校)

でもあります。

 

あれは忘れもしない1980年(昭和55)

花輪洋治さんの米沢凱旋後援が、

米沢市民文化会館で行われました。

会場は満員(1100人満席の会場)

メインで登場した花輪さんの創作は今でも

鮮明に覚えています。

花輪さんは新聞紙になりきり、NYの冷たい風に

吹き飛ばされながら、ベンチに張り付き耐え....

決めは片手でハットを抑えての3回転ターン×2!

花輪さんは、欧米2年間ダンサー修業

なさっているのですが、

海外で揉まれながら闘い続けた心の叫び

だったのではないでしょうか?

初めて観るプロのショーに、衝撃を受けました。

 

実は、花輪さんはとても気さくな方で、実家に

遊びに来られた事もあります。

...時は経ち、音楽好きの花輪さんは弟(岸哲蔵)

のバンドライブにもよくいらっしゃいましたが、

偉ぶる事が全くなく、爽やかで優しい方でした。

弟がこんな事を話してました。

「花輪さんの帰り際がカッコイイ!

背を向け首を左に75度ほど向け、

右手でchaoって感じ。

背中でも表現するんだ。足取りはstageのままで....」

 

花輪さんは、70歳を過ぎてもStageに立ち続け、

トライアスロンも現役でした。

Styleも顔の大きさも同じく、

体脂肪もほぼ一緒。

この変わらない事実の裏には、

努力を超えた鍛錬があったはずです。

カッコいい方でありながら、魂の奥底まで

鉄人でした。

弟が、こんな事も言ってました。

「花輪さんは、オレが人生の中出逢った、

一番カッコイイ大人!

天国でも、チャックコリアかけながら、

Ternを決めているはずだよぉ!」

 

花輪洋治さん、有難うございました。

お疲れ様でございました。

貴方は最高の、StageManであり、

山形県出身者の誇りです。 

 

■「花輪洋治プロフィール」 

1942年山形県南陽市出身。

米沢興譲館高校卒業。

1975年全国舞踊コンクール創作舞踊1位。

文化庁派遣で2年間アメリカ、ヨーロッパ研修。

花輪洋治ジャズダンススクールを

新宿、池袋、大山、神戸、福岡などで開校。

イタリア、オーストラリア等海外後援出演。

68歳にして、国際ダンス大会シニア部門3位。

昨年まで現代舞踊協会理事長を務めながら、

Stageに立ち続けた現役dancer。 

 

合掌

■「同じ誕生日/石原裕次郎渡哲也」

石原裕次郎さんを支え、石原プロを石原裕次郎さんから

受け継ぎ、牽引し続けた渡哲也さん。

二人は日活で運命的な出会いをするが、

実は「誕生日がそもそも同じ」であった。

 

☆石原裕次郎 1934年(昭和9)12月28日 

兵庫県神戸市出身

(育ち/北海道小樽市→神奈川県逗子市)

180cm  慶応大学中退

☆渡哲也 1941年(昭和16)12月28日 

兵庫県淡路市出身

(生まれ/島根県安来市→広島県呉市)

181cm  青山学院大学卒業

 

■「同じ出身地に/石原裕次郎渡哲也」

渡哲也さんは、本来は兵庫県出身ではなく、

島根県出身。父の仕事により、小学校1年時、

淡路島に引越てきた。

しかし、プロフィールでは、尊敬する

石原裕次郎さんにならい、同じく兵庫県出身に代える。

 

■「男気/渡哲也」

本来、石原プロは石原裕次郎さんの遺言通り、

閉める予定であった。しかし、舘ひろし、神田正輝はじめ

若手や、多くの社員を抱えていた責任から、渡哲也さんが

受け継ぎます。

先月(2020年7月)石原プロはマネジメント業務を取りやめ、

著作権管理に専念する事を発表。

来年(2021年)1月16日をもち、解散する事が決定。

長年、会社を牽引してきた渡哲也さんはホッと

なさっていたそうです。

実務作業をやり終えて亡くなる....

渡哲也さんの責任感の強さを感じます。

 

■「気遣い/渡哲也」

銀座のお店で飲んでいると、別事務所の若手俳優が。

大先輩であるはずの渡哲也さんは、真っ先に

席を立ちあがり、若手に挨拶。

その日は、若手俳優のご友人の誕生日と知ると、

気遣いから先に店をあとにします。

....すると、そのご友人の元に「お祝いの花」が。

そして、若手俳優が会計仕様とすると....

もう渡哲也さんが支払い済み....。

 

渡哲也さんは、男気あり優しく気遣いの

人だったというのが、このエピソードから伝わります。 

西部警察大門刑事と同じく、正に団長。

みんなのリーダーなのですね。

 

 

 

■「おすすめ小説」

☆8月のカモメたち(喜多嶋隆)

薊(あざみ/主人公)には両親がいない。
書道教室をひらく祖父と祖母に育てられた。
でも、決して内向きではなく、

地元「葉山」を愛し、

大好きな海と友達と共に育つ。

 

薊が18歳の時、祖父が突然亡くなる。

哀しみの中知ったのは、相続税という現実。

支払えない薊は、銀行からお金を借り、

家を担保に入れる。

お金を稼がなければ。
薊は相続税を払うため、一人海に潜り、

密漁を始める。

地元のお店に買って貰っていたが、
それだけでは足りず、
夕陽の当たる海辺のバー「サンセット」

でアルバイトを始める。

 

店主は浩一。

浩一は多くを語らないが、

が、仕事は的確。

常連のお客も多く、信用も厚い。

薊は、いつしか浩一に魅かれていく。
その中、彼がかつての新鋭作家だと知る。

薊は初めての恋に落ちていた。
そんな中、浩一は薊の文才に気がつく。

浩一のコーチのもと、ある出版社の

新人コンテストへ向けて、書き出す。
薊と浩一はひと夏を過ごしながら、

波に逆らわず、共に季節を泳ぐ。

が、ある日、人生の儚さを、

薊は身をもって知る.....。

 

人生で一番濃密で、一番短い夏。
薊はその夏失った大切な命を描こうと誓う。
この小説は、薊の切実なる日々を綴った、

青春ロマンである。