昨日の炎天下
現場に出て
自宅に戻ったあと

お風呂場にいた私に

なんか目が回る

と母の声

娘曰く
叫べる時点で大丈夫でしょ
と 言われても
ほおっておくわけにもいかず
顔も洗わずにあがると
台所で座り込んでいる母

吐き気も息苦しさもないらしので
水攻めにしてみた

だいたい
老人と呼ばれる年齢になっている自覚が足りないのだ
体の中の水分が若者より少ないのに
意識的に水分補給をしなければいけない
自覚が
まったくない!!
そのくせ
今日はお寺の行事で
おそらく
調子に乗って
一日走って歩いているとおもう…

まぁ
一日家にいて
明日の虎太郎の手術を考えて
メソメソ過ごすより
懸命かもしれない

お陰で
私は今日一日
犬達と留守番

引きずりながらでも四本足で歩く
虎太郎を見ていられるのは
今日が最後かと
ぐずぐずと
時間が過ぎていく

なんだか
わりにあわない気分



リョーマが突然逝ってしまってから
10日とたたないうちに
飼い犬の虎太郎に
腫瘍がみつかった
以前から右前脚を引きずる事があったのでかかりつけの獣医さんに見てもらっていたのだけれど
原因が判らず
大学の付属の動物医療センターを紹介してもらい
詳しく検査を受けた結果だ

断層写真を見ながら説明を受けていた私の耳に
腫瘍と共に右前脚も断脚して…と言う言葉が飛び込んで来て何がなんだかわからなくなった

腫瘍だけじゃなく脚まで無くなる?
その日以来ただ泣けて泣けて気持ちの整理がつかない日が続いて
親しい友人にメールを送ってはメソメソしていた
一昨日、手術をしてくださる獣医さんにお会いし
腫瘍を放置すると
他の脚まで麻痺して寝たきりなる事
神経の通わなく右脚を残しても
かえって事故や怪我の危険性が増えるし
自分で自分の脚を噛む等の自傷行動をするようになる事
進行の遅い腫瘍なので切除が一番有効で取りきれれば
再発、転移の可能性はほとんどないらし等

もちろん手術中の偶発的な事故や脊髄まわりを傷つけて麻痺を起こす危険性についても話をされたけれど

何より三本脚で元気に生活している子が沢山いるって言う言葉が私に希望をくれた
お犬様大事の生活をしているつもりはないけれど
縁があって家族になったのだからたとえ寝たきりになったとしても最後まで一緒にいる覚悟はあったつもりだけど
三本の脚でも虎太郎が自分で歩き回れる可能性があるなら
その方がずっといい
虎太郎はまだ自身に何が起こっていてこれからどうなるのかわかっていなくて
まん丸い瞳に見つめらると
辛くてたまらなくなるけど
心配してくれている私の友人にも背中を押してもらって
支えてもらって
8月6日に手術をしていただく事に決めた
引きずりながらでも四本の脚で歩けるのは後数日
それだけで涙が出るけど

三本の脚でも
元気になってくれる事を信じて
生きてくれる事を信じて

獣医さんに全てを
まかせようと決めた


そして
無事に手術が終わったとここに書ける事を信じて


5月以降
私の生活のサイクルが変わった

それ以前
家業の手伝いは
事務処理と
営業的なものに限られていた
離れていた大叔母も
私の住む街に連れてこられて
以前より車を運転している時間が少なくなっていたし

それが、従業員が一人辞めて
自分の仕事のない日に現場に出るようになり
先日、飼い犬のリョーマ死んだ。
泣いてる暇もなく
現場に出て午後彼を火葬場まで送った…
一息つく間もなく
飼い犬の虎太郎の体に異常が見つかり
北大の動物医療センター通いが始まる…
なぜなんだ?

想えば、父の肝臓癌が見つかり余命3ヶ月と言われた時、母は今の私の年齢だった
父の手術を経て父が死ぬまでの8ヶ月
母は家業をこなしほとんど毎日札幌の病院に通った
冬の吹雪も自分でハンドルを握り父の元に通った

結局そういう事なのか?状況は違うけれど、あの時母が頑張りぬいたのだから
私もなんとか乗りきってみせろと
現場に出ることは辛くもない、資材を運んで歩ける体を親からもらったのはそういう事なんだろうと思う

今日もいつも元気ですね…と言われた
心の内に不安や恐怖を抱え込んだ所で、他人様にそう見えなければ

きっと私は大丈夫なのだろう
父の仕事30年近く家業を続けてきた
母には及ばなくても
47の母が踏ん張って乗り越えた年齢を
私も 乗りきれるはずだ

父と犬
比べたら父に怒られそうだが
愛する物を失って
再び失わないとも限らないこの恐怖心を友に泣きながらメールをしても
受け入れて
乗り越える強さも

きっと授けてもらっているのだろう

そういう巡り合わせなんですね