~Messenger of spirit~
ライフ&ビジネス
習慣改善コンサルタントの☆TAKE
おはようございます。
昨日は厳しい熱帯夜でした。
朝のシャワーでスッキリしたい気分ですね。w
さて、前回の続きです。
私の問題は、
相手の評価によって、自分の評価を決めてしまうことにあると、
観察により気づきました。
これが解決されなければ、
いつまでたってもお互いに理解し合えるニュートラルな男女関係は望めません。
上下ではなく対等な恋愛が自然な形というものですよね。
そのためには、
ありのままの自分であるということの自然な状態を取り戻す必要があります。
しかし、
このありのままの自分のことを、私は、全く認めていないということに気づいたのです。
特に意中の女性を前にすると、
ありのままの自分なんかでは全然ダメだと、そう決めてかかって、
アプローチする前からあっさりと諦めてしまうような力が働くのです。
私がいいなと思う女性が現れても、
ありのままの私などでは、
とても相手にしてくれないという確信的な想いが、
なぜか私に纏わりついていました。
観察を深めるうちに、
基本的に私は、自分に対して自信がないということがわかりました。
これは、女性に対して自信がないということもそうなのですが、
もっと根本には、
生きること、生き抜くことに対する自信がないとではないのかと思ったのです。
それはいわば、社会の中で、
自分の足で立って生き抜くんだというような自信です。
多分女性というのはなんだかんだ言っても、
直感的に男性のその部分を見ているのではと思うのです。
もちろん外見もファッションなども関係あるでしょうが、
本質的にはそれらは二の次、三の次なのではないでしょうか。
女性に最も強く深く響くのは、
男性の、生き抜く強さとも言えるような、そんな力なのではないでしょうか。
生命力と言っても良いかもしれません。
私は、心の奥底で、
自分には決定的にその力が欠けているということに気づいていたのです。
だからこそ、女性にその部分をはっきりと見透かされることを恐れたのです。
そうなった場合に、表現が難しいのですが、
欠陥者という烙印を押されてしまうのではないかと感じていたのです。
そのことは、自分でも、できることなら見て見ぬ振りをしていたいと思っていた部分でもありました。
そういったことに向き合うことを避けてきたのです。
できることなら、そのことは隠しておきたい、
明るみに出したくない。
私はそう思っていたのです。
観察を通じて、そのことにも気づきました。
こういったことは、自分を深くみつめていかない限り、
見つけることも理解することもできなかった感情でした。
本当に自分を深く観察していくと、
予想もしなかった感情に出会っていきます。
そこには全てが内在しています。
私は、恋愛の問題で悩んでいたわけですが、
当初それは、相手に対してどのように接するかとか、どのようにアプローチするだとか、
そのようなことが問題の核心ではないか思っていたのです。
しかし実際は、相手に対する問題というよりも、
自分自身に対する問題であったのだと気づいてきました。
自分の心が不安定なために苦しんでいました。
問題の根は、
私が今の自分を、
認めても受け入れてもいないという事にあったのです。
だから、私は自信が持てなかったのです。
自分で自分を認ないという事は、
心が分断、分裂してしまっている状態です。
統一されていない状態です。
それでは不安定になって当然ですね。
身内の中、チームの中に敵が潜入してしまっているようなものですから、
疑心暗鬼で内紛状態、まったくもって気が気じゃないというものでしょう。
それが一人の人間の中でも起こり得るわけです。
私は自分の内面に価値を見い出せなかったのです。
内側に価値がないのなら、外にそれを求めようとなったわけです。
ですから、外側からの評価を求めたのです。
それによって、この心の不安定を解消してほしい。
救ってほしいと。
私にとって恋愛は救いを求める手段のようなものだったのですね。
自分で自分のことを認められないので、
特に意中の女性などのように、
自分が価値を認める存在から認められたいと願ったわけです。
縋るような思いで、意中の女性から、
私のことを価値ある存在だと表明して欲しいと強く願ったのです。
これがほぼ無意識の世界で起こっていた感情の動きです。
しかし、意中の女性に自分を認めてほしい、
魅力を感じてほしいと願っても、
当然ながら、自分を認めていない人間には安定的な芯や強さがありません。
生き抜く力がないのです。
セルフイメージも低く、突き抜けるようなエネルギーを存在から発していないのです。
女性に言わせれば、そのような男は、
単に魅力のない男というだけになるでしょう。
と、ここで私は考えてみることにしました。
それにしても、本当に私という人間は、
私自身が考えるように欠陥者なのでしょうか?
本当に、一生、落伍者であり続けなければならないような存在なのでしょうか?
じっくりと考えてみました。
その答えはノーでした。
厳密には、他の誰もがそうであるように、
私は欠陥者でも落伍者でもありません。
実際、私は他の人より厳しい大変な仕事もしてきましたし、
能力においても特別劣っているわけでもありません。
では、どうして私はそのように考えるようになってしまったというのでしょうか?
どうしてそのようなバイアスがかかってしまったのでしょうか?
そこを見出す必要がありました。
続きは次回お伝えしていきます。
よろしくお願いします。
今回も最後までお読みくださりありがとうございました!
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