歴代の出雲国守護職の居城で1396年から1566年(戦国時代)には大名尼子氏の本拠地となり以後尼子氏とともに山陰の要衝の地となった。尼子氏は中国地方の覇権を巡って周辺諸国と争い尼子経久の時期に出雲に基盤を造り上げ、嫡孫尼子晴久の代には山陰・山陽八ヶ国守護の大大名となった。天然の地形を利用した、最も難攻不落の要害城といわれ「天空の城」とも呼ばれていた。その後、城を巡っても度々攻防戦が行われたが最終的に尼子氏は毛利氏によって滅ぼされ、城も毛利領となった。