京都銭湯巡り〜You & Me OK?〜湯浴み桶

京都銭湯巡り〜You & Me OK?〜湯浴み桶

京都市内に現存する庶民の味方「町のお風呂屋さん」を巡って紹介します。ぜひ温まって下さい。

Amebaでブログを始めよう!

前回の久し振りのブログでは東寺の弘法市に立ち寄りましたが、西寺(さいじ)というお寺があったのはご存知でしょうか?


平安京のメインストリートである朱雀大路の入り口にあった羅城門を挟んで東側に東寺、西側に西寺が建設されたそうです。


東寺は空海、西寺は守敏僧都しゅびんそうずに下賜され、ともに国家の寺として隆盛を誇ったらしいのですが、その後西寺は廃れてしまいます。その跡地が唐橋西寺公園の中に残っていました。

唐橋西寺公園内の西寺講堂跡

  
「史蹟 西寺趾」の碑               講堂の礎石

では何故 西寺は廃れたのか?
天長元年(824年) 京の都は日照り続きで人々は飢えと渇きに苦しんでいた。淳和天皇は東寺の空海と西寺の守敏に神泉苑で雨乞いの法会を命じた。先に守敏が祈祷するも雨は降らず、空海が祈祷すると三日三晩にわたって雨が降り続き国土が潤ったという。

なんともお気の毒で守敏ならぬ不憫、
評判ガタ落ちというところでしょうか。
守敏さんも潔く負けを認めればいいものを
空海さんを逆恨みした挙句に羅城門の近くで待ち伏せて矢を射かけたといいます。

お釈迦様の教えを広め、人を救うべき僧侶がなんとも浅はかなことをしたものです。

いつの時代も嫉妬は人を狂わせます。

ところがそこに救世主の黒衣の僧が現れます。実は黒衣の僧こそ地蔵菩薩の化身であり、
身代わりに矢を受け、空海は難を逃れます。
この身代り地蔵を矢取地蔵尊やとりじぞうそん
として羅城門の跡地に建立し、地元の人達に現在も敬われております。

九条千本にある矢取地蔵尊

右肩に矢傷が残るご本尊

 
↑唐橋羅城門公園内にある羅城門遺趾の碑



本日は西寺趾の近所にある洛陽湯に浸かって守敏僧都に思いを馳せましょう。


暖簾のおかめとひょっとこが風に揺らいで
おいでおいでをしてくれてます。


 

向かって左隣りはコインランドリー、
右隣りに鉄板焼 お好み焼き店が入り
二階では整体 マッサージまであるという
行き届いた施設です。

暖簾を潜って 下足場を抜けると
フロント型です。



430円を支払って右側の男風呂に入ると

脱衣場は広くて清潔感があります。

 

脱衣場にはお客さんが不在でしたので写真を
撮らせていただきました。



さて浴場に足を踏み入れた第一印象は

明るくて、広くて、キレイ!
尖がった心を丸くする曲線美
なおかつ機能的…なのです。


     

電気風呂でコリをほぐし
ジェット風呂で疲労回復
円形の露天風呂では心を癒す


サウナ風呂もゆったりと広く
心地よい汗が滲み出ます。


火照った体を冷やす水風呂は印象的!
その大きさはプールかと見紛うほどです。



カランの数にも不足はなし。
円形の鏡に映る私の顔の表情も、
ついニッコリと柔らかくなる。
なに?気持ち悪いというなかれ、
妬み、嫉みに歪む表情こそ争いのもと、
笑顔こそが平和への道しるべ。

上がる前には立ちシャワーブース
四方八方から出る水が我が身をくすぐり
身も心もリラックスして破顔一笑。


空海と守敏ならぬ後悔と不憫
守敏僧都も一風呂浴びりゃ 
嫉妬に狂うこともあるまいに






【洛陽湯】
京都市南区唐橋平垣町68-6