at this time, how do you feel about...
In the not-too-distant future, it will emerge from the endless horizon, with the sound of quiet bells. It means that a long time has passed since those days, and His Highness will descend to this world. In this chaotic dark world where cowards continue to slander others, a bright dawn will quietly come.
明けましておめでとうございます。
皆さま,こんばんは。
ご挨拶が遅くなりました。
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いし・・・
(^^;)
(非常に長文になります。)
前回の投稿で「ブログが不可欠なものではなくなった」とご報告し,あらためて昨年中にご挨拶をして姿を消そうと思っていたのですが,長くお付き合いくださった方々からコメントをいただくことで再考の機会が与えられ,あるいは皆さまとのこれまでの交流を思い出し,少し立ち止まっていました。
現実的にアカウントを削除(あるいは放置)する場合に支障はないか確認しました。
1)ピグに課金をしていたため「もったいない」(現在はもちろん課金はしていません)
2)管理人になっている「グルっぽ」があり代理が見つからない(グルっぽという概念自体が既に役目を果たしていないと思われますが放棄するわけにはいかない(なおのこと代理が見つからない))
3)著名人の公式ブログなどに「いいね」ができなくなる(著名人の場合,FacebookとAmebaの公式ブログがリンクされていることも多く,Facebook側だけでリアクションすると「読んでもいないのに取り敢えずいいね」する人たちと同じに見えてしまう)
これらはすべて「個人的」なこだわりであって,大したことはないのですが,なにより,
「やはりこれまでお付き合いくださった皆さまとの繋がりが消えてしまう」
ことが一番の損失です。
ちょっと話がそれますが,歴史を振り返ってみます。
アメリカの軍事技術であったネットワークが「インターネット」として世界に開放され,それまでは企業などが大きな設備投資をしてサーバを構築しホームページを公開するだけでしたが,徐々に個人ユーザーもホームページを持つことがステータスになっていきました。(日本で言えば,ローカルなネットワークであった「パソコン通信」各社が,インターネット接続を開始していったのが,日本でインターネットが普及したキッカケ。)
のちにホームページを作るエディタなどが普及しましたが,当時はhtmlを覚えて(あるいは辞書を引いて)テキストエディタでホームページを書いていました。私もhtmlの辞書を何冊か持っていました(htmlの規格もバージョンアップして使用できるタグ(コマンド)が増えていくので,辞書を買い換える必要がありました)。
また,ホームページはそのURLを見れば分かりやすいですが,htmlで書いたファイルを複数の階層に分けたりしながら,それぞれをリンクさせて構成させます。
(余談ですが,それら複数のファイル(ページ)の大元となるトップページ(一般的に「index.html(index.htm)とすることが望ましい」とされていました)を「ホーム」と呼んだことから,これら一連のhtmlファイル群をホームページ(HP)とゴチャッと呼ぶようになりました。)
なので,その内容を更新することは,若干の知識と手間を要しました。(htmlのファイルを書き換えて,サーバにアップロードして,パーミッションを設定して,表示に問題がないか確認して・・・云々)
また,HP(言語としてのhtml)は「パソコンでブラウザを使うことによって情報を画面に表示する」ことしかできません。
(CGIという言語を使うことによって,いわゆる「掲示板」のように「第三者からの書き込みを許可する」ことは可能ですが,当時はセキュリティの観点からCGIの使用を認めないサーバも多く見られました(むしろ多数派)。)
ありがたいことに私の場合,当時ちょうど在学していた大学が先進的で,まだまだ一般的ではなかった「e-mail(電子メール)」とサーバの領域を学生一人ひとりに割り当てていました。(専門学部を超えて学生全員にアドレスを与えていた大学は当時はまだあまりありませんでした。学内では「イーメール教えてー」「電子メール送ってー」みたいな会話が普通でしたが,一般的には「メールってなに?」っていう時代でした)
その後,これら「更新の手間」「一方通行」の改善がおこなわれ,専門的な知識を要さず,「ブラウザを使ってその場で情報を追加できる」という新しい概念として生まれたのがブログですね。(HPのようにhtmlファイルを「置き換える」のではなく,Web上にログを残していくように「書き加える」という新しい概念=WebLog=bLog(blog))
企業など「情報を発信するだけで構わない」ユーザはホームページを充実させれば良いわけですが,一般ユーザはこれで一気にブログへと流れていきました。
(Ameba(サイバーエージェント)はこの時期の流れに上手く乗って成功した良い例ですね)
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ということで私自身も,htmlを覚えてHPを作り(まだ学生でしたが「ティンパニ奏者」としてHPを公開していました),大学の許可を得てCGIで掲示板を作りました。当時私の掲示板は「アマチュアや学生音楽家(団体)の数少ない交流の場」になっていました。(楽団などがHPを起ち上げつつある時期でしたが,前述のとおりCGIを許可するサーバが少なかったことと,CGIが言語としても技術としても敷居の高いものだったため,hmtlだけによる「一方通行」のHPしか起ち上げることができず,「宣伝や疑問質問を投稿することによる交流・やり取り」の場所が限られていたわけです)
時代がブログの流れになってからも,大学のサーバを借り続けて自前でブログを書いていました(WebLogを構築していました)。
その頃はもう私は学生ではなかったのですが,大学から特別に許可をもらっていました。良い時代でした。
0から100まで自分でデザインできましたら,それは素敵なブログでしたよ。(自分で言ってる(笑))
Ameba(サイバーエージェント)が大手になって,芸能人を「引っ張り込む」ことでメジャーになったのを機に,私も「自作しなきゃ意味がない!」的なこだわりを捨てて,いわゆる「ブログサービス」を利用する「ユーザ」になりました。
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長くなってしまいましたが,つまり,
私は「ネットでの人間関係が希薄ではなかった時代」を経験してきました。
実際に当時は,今で言う「オフ会」も頻繁に行われていました。私も何度か幹事をしたことがあります。
私の「掲示板」に集まってくれていた人たちとはもちろん,近隣の音楽関係者や音楽団体との「オフ会」も当たり前に存在していました。
HPを持っていると,すなわち電子メールアドレスも持っていることになりますから,メールで連絡を取り合って企画したものです。
なので私には「ネットでの付き合いだから云々」という考えかたが,そもそもなかったのかもしれません。
手紙や電話と同じく,連絡手段のひとつとして「インターネット」と関わってきました。
爆発的にネットが普及し,必要なときにだけ接続する電話回線も「常時接続」が当たり前になって,ブログが登場し,メールアドレスを持っていない人を探すほうが難しい時代になり,遠くの知らない人とも簡単に関われるようになり,確かに便利になりました。
一方では「顔が見えないから失礼でもいいでしょ」「めんどくさいから関わるのやめよう」みたいな時代になり,挙げ句の果てにはネットでの犯罪行為が横行するようになって,私も当然「身構える」ようになりました。
(自分でHPやブログを作っていたころは,もちろん「本名」「ティンパニ奏者」を名乗っていましたが,Amebaを使う少し前から「ハンドルネーム」を名乗るようになりました。)
でも「ネットだから人間関係が希薄でも良い」とは,私には到底考えられないのです。
まったく変わらないと言えば嘘になりますが,根本的にはその考えは変わりませんし,変えるつもりもありません。
(もちろん「一線を引く」部分(必要)はあるはずです。)
「本名利用が前提」であり「つながりのある人にだけ投稿を公開できる」というFacebookに魅了されているのも,それらが理由のひとつです。
Facebookを日常的に利用する中で,「ハンドルネーム」であり「単語ひとつでも検索にヒットすれば世界中の人に読まれてしまう」ブログの利用頻度が私の中で下がっていったのは当然のことなのかもしれません。
それでも,何か一言でも更新すると,どなたかがコメントをくださいます。このAmebaのブログを通じて初めてお知り合いになれたかたもたくさんいます。実際にお会いしたことはないけれど,私に元気をくださる皆さまがいます。
私は事あるごとにこんなことを綴ってきたはずです。
「画面の向こうには生身の人間がいる」
ブログの利用頻度が低くなっていく中でも,「毎日更新する」ことに非常にこだわってきました。何もネタがない日も「お休みします。ごめんなさい」程度の不必要なことでさえもアップしてきました。
「誰かが読んでくれているかもしれない」「誰かが気にかけてくれているかもしれない」「更新しなかったら誰かを心配させてしまうかもしれない」そう考える私がいます。家族に話しかけるように,遠かろうが近かろうが,内容があろうがなかろうが,ボソッと,ときにはズバッと話しかける私がいます。
「誰か」が大勢なのか,ひとりなのか,そんなことは比較するものではなく,
皆さん一人ひとりが,それぞれに,
「私の人生において,その時々で,大小様々に影響を与えてくれる人間関係の一部分」
であるのです。
あるかたとは,お会いして音楽談義を咲かせました。
あるかたとは,音楽と関係ないのに酒を飲みました。
あるかたとは,電話番号を交換しました。
あるかたとは,住所を交換しました。
あるかたとは,一緒に汗を流しました。
あるかたとは直接お話できませんでしたが,ステージを拝見しました。
あるかたとはお会いしていませんが,演奏技術をお教えしました。
あるかたからは,メッセージで励ましていただきました。
あるかたからは,いつもコメントをいただきました。
あるかたからは,いつも「いいね」をいただきました。
これはすべて,私の大事な,すべて等しい,
人間同士の「出逢い」です。
一過性のものでも,継続するものであっても,大きくても小さくても,
与えられた影響は大切なものです。
ブログから離れる,削除する,放置する,
色々と考えを巡らせていますが,
それはすなわち,皆さんから影響を受けることがなくなってしまうことでもあり,結局答えが出ません。
Facebookを公開すればいいじゃん?
とも考えたのですが,それでは余りにもプライベートに言及しすぎているものをあからさまにすることになります。本末転倒です。
私のFacebookは「自分の備忘録(自分だけにしか読めない投稿をしてメモ代わり・カレンダー代わりにする)」「地元の仲間や同級生や先輩後輩や関係者への近況報告(そのとき現在のこと,これから行うことを伝える)」を目的としていますので,ブログとは意味合いが異なります。
(ブログは「日記(過ぎたことを綴る)」ですから,Facebookと同じ使い方には無理があります。)
私の音楽活動は,昨年春に一区切りしました。
もはや「長野の隠居」を決め込んでいます。
日記を綴れるほど多彩な日常は送っていません。
音楽に関して言えば,知識も遅れを取り,経験も遠いものとなっていきます。
どんなに「過去の栄光」があったとしても,どれだけ「私にしかない技術・知識」があったとしても,「現役で活動している人が一番偉い」という考えを私は持っていますので,「偉そうなことは言えなくなったな」と思っているのが率直なところです。
でも,内容はともかく,先にも綴ったとおり,
つながりがなくなってしまうのが悲しいのです。
音楽と無縁のかただって,私のブログを読んでくださったのも事実です。
音楽と無縁のかたがたから,私は影響を受けてきたのです。
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まったくもってまとまりのない,言ってみれば「私らしい」内容の投稿になってしまいました。
「ブログから引退する」とは言ったものの,安室奈美恵さんのように「9月で引退します!」などと言える勇気もありません。
長文失礼いたしました。
ご無沙汰しております。
皆様,こんばんは。
大変にご無沙汰をしております。
突然では御座いますが,殿下ことこのわたくし,
Facebookを除いたすべてのウェブ媒体から引退するに考えが至りましたのでお知らせいたします。
本当はアメブロの新たなアカウントで,これまでお付き合いくださった皆様に向けて細々と綴り続けようと考えていたのですが,今の私の生活において「ブログ」という媒体・手法は必ずしも不可欠なものとは言い切れないと思うようになりました。
Facebookのような媒体とブログ(ウェブログ)を比較するのは愚かなことですが,
私生活同様に飾ることなく本名を名乗り,そのときその瞬間に,自分がいる場所,そこで感じたこと,見ている風景などをすぐに発信できるのは,やはりFacebookが持つ唯一の長所だと思います。それは,限られた人にだけ発信できるという大前提がしっかり確保されている安心感も伴い,私の今の生活リズムにピッタリとはまり,力むものでもなく自然体でいられるのです。
着飾った(つもりはないのですが)自分を捨てて,身軽になりたい。
なにより,もはや音楽からも離れて,他にこれと言った誇れるものもなく,すなわち何も語ることなどできない自分を捨てたい。
そう思っているのです。
このアカウントもいずれ削除しようと思います。
音楽的な意味で「過去の栄光」を綴ったようなものは,残しておく必要はありません。
ただ,若干の迷いがあるのも事実です。
なので「いずれ」削除しようと思います。
黙ってサヨナラするのは気が引けますので,久しぶりに思いを綴りました。放置してきたことがずっと引っかかっていたのも本心です。
Amebaのマイページすら久しぶりに開きましたので,皆様のブログもまったく拝読していませんでした。申し訳ありません。
アカウント削除の決心がつきましたら,またお知らせできたらと思います。
あるいは別の選択肢を選ぶことがありましたら,もちろんお知らせさせてください(実は新アカウントの作成だけはしてありまして,記事をひとつも綴らずに放置状態になっています)。
最後になりましたが,
これまでお付き合いくださり本当にありがとうございました。
皆様がいて「殿下」が成り立っていました。
感謝しています。
殿下