千葉県佐倉市の国立歴史博物館に少し前に行ってきた。展示の中で大和朝廷のことを「ヤマト王権」と呼んでいて非常に強い違和感を感じ記憶にとどめていた。私は根っからの理系おたくで子供のころから化学記号は覚えても歴史問題に関しては詰めの先ほどの興味を持たなかった。しかし、年表の時代区分を見て違和感を覚え、昔「大和時代」大和朝廷と呼んでいたものが大和時代は古墳時代へと置き換え、大和朝廷をヤマト王権など国立の博物館で説明に用いられているの見ると反日極まれりと思い、いろいろと調べてみた。いま、「ヤマト王権」とされる大和朝廷は日本人は旧来からそう呼んできた。少なくとも1960年代までは何の疑いもなくそう呼んできた。しかし、1970年代に入って日本の歴史学者※とされる人たちが「大和」、「朝廷」という語彙で時代を表すことは必ずしも適切ではないとの見解を出し、修正されてきたそうである(by Wikipedia)。言い方を変えると「ヤマト王権」などという用語はそれ以前の日本の歴史で一度も使われていないし、歴史の登場人物も自らの勢力をヤマト王権と呼んだこともない。では、歴史ではどのように読んできたのだろう?古事記によると開化天皇(第9代、在位BC158-BC98)紀で「朝廷」という言葉が出てくる。日本書紀でも崇神天皇(第10代)紀、景行天皇(第12代)紀に朝廷の記載がある。つまり、自称は「朝廷」なのである。天皇陛下が政務や儀式を行う場所や体制を「朝廷」と呼んできた(自称もしてきた)ことが伺える。
近隣諸国条項が制定されたのは1981年なので、その影響ではなさそうだが、用語の意味が違うからと、勝手に呼び名を変えてよいものとは思えない。僕はこれからもこの時代のことを大和時代、その時代を治めた統治体制のことを大和朝廷と呼ぶことにする。