TRIBUTE | take-max2のブログ

take-max2のブログ

楽しいプログにしたいです♪( ´▽`)

{28ED5632-2626-4DDD-AAA0-4D1005D0187D:01}

ランディ・ローズの死から
5年後にあたる1987年は
メモリアルな年だった。

ランディのライブ演奏を収録した
『トリビュート/
ランディ・ローズに捧ぐ』
がリリースされ、伝説と化し
つつあったランディに再び
スポットライトがあてられる
ことになった。

このライブ盤がリリースされる
に至るまで5年の歳月がかかった
のにはオジーの精神的な問題が
あった。

ランディを失ったショックから
音源を聴くことさえ出来なかった
というオジーに働きかけたのが
ランディの母ドロレスだったと
いう。

{532E977C-0E2E-4C4D-8C36-B914A64158EE:01}


このアルバムは当時ランディの
ライブを記録した唯一の音源と
され、初来日公演を目前にして
他界したランディのライブが
聴けるということで特に日本の
ファンにとっては特別な意味を
持つアルバムとなった。

トリビュートのライブを初めて
聴いた時の衝撃は今でも鮮明に
覚えている。

ランディは1人で2~3パートを
弾きこなしてギタリストが数人
いる様なサウンドを出していた。
(ギターオーケストレーションと
呼ばれるランディ独特の手法)

ヴァン・ヘイレンの1stと
並んでオジーのソロ1stは
ロックギターの新たな
スタイルを確立したと評価
されている。

ランディが無くなる頃には
ロックシーンにおける最重要
ギタリストの評価も得ており、
ランディが亡くなった時は最も
死んではいけないギタリストが
死んだといわれた。


{3DF52B4C-B1A8-45A0-9D02-258B0908C4D2:01}

2004年『ギター・センター』
加盟式典にてドロレス(中央)
両脇にオジー夫妻、ルディや
ザックの他、後ろに
イングヴェイやヌーノの姿も


20代前半にして神がかり的と
いわれたランディのギターは
母親ドロレスの存在なくしては
生まれなかったといえる。

自ら経営する音楽学校
ミューソニアでランディの
才能を見出し育てたのも
彼女であった。

1993年にはUCLAとCSUNの
両校にクラシック・ギターの
学部を設立してランディに続く
若手ギタリストの育成にも
尽力された。

ランディと母ドロレスは
音楽を通して固い絆で結ばれた
親子だったのだと感じる。


そして、その母親も昨年の
11月11日 95歳で天に召された。

彼女はフルート奏者でもあった。
今頃は天国でランディと親子で
大好きな音楽を奏でているのかも
しれない…


{048E44C5-677C-48BE-97E4-142C95574E95:01}
在りし日のローズ親子


2007年3月19日に出版された
『オフ・ザ・レイルズ』は
クワイエット・ライオット~
オジー・バンドでランディと
活動を共にしたベーシスト、
ルディ・サーゾの著書で、
ランディを最も近くで見ていた
友人の視点で書かれた笑いあり
涙ありのドキュメンタリーに
なっている。

{EB62167E-BF82-4C8F-974C-894518C1ED59:01}

1982年3月19日の
小型飛行機墜落事故発生時の
ランディの死について初めて
明かされた内容も含まれていて
ファンには読んでいて辛い部分
もあるが、
当時のロックビジネスの裏側まで
描いた非常に読み応えのある貴重
な記録となる一冊である。


{E54E9BB5-AFC4-4186-8CAA-A0F8DE634BFB:01}
2015年のランディ・ローズ追悼盤
『アルティメット・トリビュート』
ランディゆかりのミュージシャン
が多数参加したカバーアルバム。
CDとセットのDVDには参加者の
インタビューが収録され、
(ルディ・サーゾ、ジョージ・リンチ
ダグ・アルドリッヂなど…)
他にランディの母が経営する
音楽学校ミューソニアの様子を
兄が案内するなど…
ランディの思い出を語る興味深い
内容となっている。



『グッバイ・トゥ・ロマンス』
2010年Ver
Ozzy Osbourne-Randy Rhoads .Goodbye to Romance 2010 Version. - YouTube

『ランディ・ローズ・ソロ集』
トリビュート音源編集版
Randy Rhoads solos - YouTube

『DEE』ランディ・ローズが
母親に捧げた曲【カバー】
Randy Rhoads - DEE - played on the Classical Guitar - YouTube