恋人よ その50 | それからの成均館

それからの成均館

『成均館スキャンダル』の二次小説です。ブログ主はコロ応援隊隊員ですので多少の贔屓はご容赦下さいませ。

㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。

  ご注意ください。

 

 

 風が吹いていた。まもなく春になるというのにお前はいない。

 

 ジェシンは腕に赤子を抱き、立ち尽くしていた。目の前にはまだ土の色をした小さな塚。毎日を呆然と生き、ふらふらと妻の埋葬された墓所に通う。その日はどうしても赤子が泣き止まず、乳母の手から奪い取るようにして腕に抱き、外に連れ出した。いつの間にかついていた妻の眠る場所。ユニ。そこは冷たいだろう。俺が行って暖めてやらねばならないな。そう思った時、腕の中で赤子が動いた。

 

 目を開けていた。黒々とした瞳は亡き妻にそっくりだった。びっしりと縁取るまつ毛をしばたたかせて、赤子はジェシンを見詰めた。手を伸ばしてくるままにさせると、顎髭を掴み引っ張って笑った。ようやく首が座ったばかり。まだ母がいなくなったことを理解できない娘。けれど娘は母の面影を濃く受け継ぎ、まるで在りし日の妻のようにジェシンを見詰めて笑う。

 

 明るい人だった。強い女だった。将軍である自分を笑顔で送り出し、家を守り続けた。少年の時に見初めた小役人の娘。周りの反対を押し切って彼女を妻に迎えた。妻は四面楚歌な婚家で自分を認めさせた女だった。礼儀など誰も彼女に及ばなかった。物事をよく知り、彼女に恥をかかせようと親戚が贈ってきた婚姻の祝いの礼状を奥方から頂きたい、などという要求に、皆の前で見事な字と文を披露し黙らせた。長男を産んでから、更に妻のムン家での地位は確定した。けれどユニは皆に優しく、最初は白い目で見ていた下女たちが手のひらを返すようにユニを慕った。ジェシンも、ますます美しく、そして強くなる妻に毎日誓った。必ず帰る。お前の下に。それが俺の生きる意味だ。ユニはいつも胸のなかでうれしいと呟いた。

 

 俺は誰の元に帰ればいいのだ。

 

 その問いに風が吹くばかり。けれどますます赤子は笑う。ふと気づいて視線を下ろすと、息子がジェシンの袖の端を掴んでいた。見上げて来る瞳はやはりユニにそっくりだった。けれど年齢の割には大きな体と高い鼻はムン家譲り。二人の宝物。

 

 「ちちうえ・・・ははうえとおはなしされるのなら、ぼくもつれていってください・・・。」

 

 涙が盛り上がるのが見えた。まだ五つ。それでも母がいなくなったことを理解できる賢い子だった。俺たちの宝物。そうだ。この子たちを泣かせてはならない。

 

 「ああ。明日は一緒に来よう。母上もお前の顔を見たいだろう。」

 

 「やくそくですよ。」

 

 「ああ。約束だ。」

 

 ユニ。この子たちが育つまでそちらには行けぬ。春になったらそなたを包む花を植えよう。俺が行くまで花の衣をまとっていてくれ。ああ。綺麗だろうなあ。

 

 風が吹く。さ・・・よ・・・と聞こえた気がした。ユニの声。振り仰いだ曇天の空には何もない。ただ風が吹いているだけ。

 

 そして暗転。

 

 

 

 サヨン、サヨン。とユニが呼ぶとジェシンの指が少し動く。ヨンハがコロ!と叫ぶと眉間にしわが寄る。それを見て、ジェシンを取り囲む家族と友人たちはつい笑ってしまった。

 

 「これ、意識戻ってないんですよね。ひどいよな~コロは。」

 

 不貞腐れるヨンハの肩をイ所長が叩いた。すまないね、と申し訳なさそうに言うヨンシンにまた笑いが起こる。ジェシンの母とユニを傍に座らせ、声を掛けさせていたらこの通りのありさまに、ユンシクまで肩の力が抜けた。

 

 電話を受けていたジェシンの父が戻ってきて、皆の注目を集めると、少し立ち止まったがまた歩き出し、横たわる息子の傍に来た。手術後よりも良くなった顔色を眺めて、そして口を開いた。

 

 「部下から連絡があった。身内のことだから儂は口出しをしないが、現行犯が捕まっている上に、今回のヨンハ君の所との取引に絡んでの恨みだとべらべらしゃべっているらしいから、眼に見える範囲の事実ははっきりしているようだ。狙ったのもヨンハ君。だが、恨んでいるのは俺だけじゃない、と言っているらしく、尋問は継続するそうだ。」

 

 「そんなこと言われたらライバル企業なんてみんな敵なんですけどね。」

 

 とヨンハはふてぶてしく言った。ジェシンが大丈夫だろうと医師に言われてから、いつもの調子を取り戻してきていたのだ。

 

 「とにかく、皆さん本当にご心配をおかけした。どうか休んでほしい。意識を取り戻したら連絡しましょう。」

 

 そう言われても誰も動かないので、ジェシンの父は苦笑した。