㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
ある日ジェシンは父親に呼ばれた。帰宅日でもない日の、進士食堂での夕餉も終わった後のこと。使いに来た下人に促されるまま、ジェシンはその下人を供に屋敷に戻った。
激務の父親が屋敷に早いうちからいることは少ない。通常の仕事以外にも、派閥の者との会合があり、その上兄ヨンシンを陥れた者たちの足元を掬おうと密かに調べを進めていることも、ジェシンは薄々感じていた。父はけして兄の無念を忘れてはいない、それはジェシンの反抗心を少しずつなだめてはいた。だがそこが若者、矢張りその時間のかかり様にいら立ちもする。まだ完全な父への反発心は消えてはいない。
渋々を装って屋敷に戻ったわけは、このような呼び出しをするという事に対して、何らかの期待があったからだ。兄のことについての進展だろうか、そう思いながら父の居室に行くと、父は相変わらずむっつりとした顔で座っていた。軽く頭を下げるジェシンに、目顔で座るように促すと、腕を組んだ。
「ユニの実家と連絡を取った。」
そちらの話か、とジェシンは身を固くした。先日ユニの実弟ユンシクと遭遇したばかりだ。
「母御から書状を頂いた・・・遣いの者にも言伝があったが、目が弱い故、子息が代筆したというものだ。」
手渡されたその書状の上書きには、父の名が麗麗と記されていた。太い、しっかりした、そして整った文字だった。ユニのために贖った説話集の文字だ。表書き故、その力強さは印象とは違うが、整っていることに変わりはなかった。
開くと、一転して繊細な字が連なっている。そこにはユニの実母の思いがぎっしりと詰まっていた。
実の娘を育てられないという過ちは、娘に対してどうしても顔向けできない事実で、しかしできない事情があったことを理解しているというムン家からの話に、ムン家の人々への感謝を綴ってあった。
娘を忘れたわけではない。ただ、火事により、自らも心身を弱らせた上、息子がさらに身弱であったことが、その日その日の必死さを生んでしまった事。時に、良くしてもらっている娘を、哀れな寡婦の暮らしに戻すことにもためらいがあった事。そして、先般の借金事件で娘とムン家に迷惑をかけた情けなさ。これらが娘のことを口にすることを阻んでいること。
ただ。
ようやく健康になってきた息子が小科を受けようとしている。自分は学問のことはわからないが、火事で焼け残っていた父親の蔵書を使って、母が覚えていた父の弟子への学ばせ方の順を守ってすべて独学で学びとおしたこと。字は母が千字文を使って教えたが、字体はすべて父親の残したものを写すことで身に着けていること。小科にまず受かれば、ようやくキム家として一家が復活すると思われる。その時に一度息子と会わせてもらいたい。ムン家のありがたい申し出には感謝こそすれお断りするべきではないと分かっているが、せめて一度で良いので娘の意向を存分に聞いてやりたいと思う母心を許してほしい。息子ユンシクが小科に受かるまで、今までのままでおねがいしたい。
「言葉遣い、美しい字、誰が見ても読んでも立派なものだ・・・。代筆とはいえ、字を起こしたのは子息だろう。女手一つでよくぞお育てになったものだ、ここまで。」
ため息とともに戻ってきた手紙を小箱に入れると、父はジェシンを見た。
「とにかく、キム家の子息が小科に受かるまで、ユニの縁談はない。大事に預かる。ただ、小科に受かるということは、もしかすれば成均館に入るかもしれない。お前がまだ成均館に居れば・・・大科はしばらく行われないし、怠惰な儒生であるお前には受けることはできないだろうが・・・小科は来春だ。ユニより一つ下の若年。受かれば最年少かもしれない・・・。お前が気を付けて見ておけ・・・というよりは、お前がムン家の息子だと分かれば、すぐにキム家との関係も分かってしまうだろうが。」
今から心構えを、という父の心配を、ジェシンはただ受け止めた。