運動会シーズン。
うちの子供達も同じ。

運動会ってなんだか興奮するし熱くなる。
自分が出てても出ていなくても。


自慢じゃないが、うちの子供は走るのが遅い。
たぶん下の上ぐらいだと思う。
期待するのはかわいそうだと思いつつも期待してしまう。


自分が1年生の時は、背が低かったから背の順で走る徒競走は1番だったけど、選抜リレーでは4位(ビリ)だった。帰宅してから、悔しいと思うなら努力をしなさいと親父に怒られた。

2年生の時も背の順で走る徒競走は1番だったけど、選抜リレーでは3位だった。当然だけど、帰宅してから、3位で絶対に喜ぶな、まだまだ努力が足りないと親父に怒られた。

3年生の時は2年生の時と同じ結果だった。帰宅してから、この1年間何をしていたんだと親父に怒られた。

4年生の時に事件が起きた。選抜リレーの選手から落ちた。親父には言えなかった。本番ではやはり背の順で走る徒競走は1番だった。ただし、最後の選抜リレーに自分はいない。当日プログラムの選抜リレーに俺の名前がないことを知った親父が、昼休みに俺の所に来て、選ばれなかったのは今さらしょうがない、お前の努力と力が足りなかった結果だ、でも悔しい気持ちがあるなら自分の出ていない選抜リレーを、その悔しさを忘れないために一瞬も目を離さずしっかり見てろと同級生や先生がいる前で怒られた。泣きながら選抜リレーを見た。そして、もうこんな思いはしたくない一心で親父にお願いし、どうしたら速くなれるのか聞いた。親父からはまずはたくさん食べ、たくさん動くこと、体育の授業でも部活でも休み時間の鬼ごっこでさえも走る場面では全て1番になる執念を見せろと言われた。翌日からその通りに従った。

5年生の時は、少し背が伸びていた。タイム順で組まれたメンバーで走るようになり、1番速い最後のグループでわずかの差で1番になった。嬉しくてたまらなかった。これで親父にも褒めて貰えると気が緩んだ。そして選抜リレーで4位でバトンを貰ったが、前との差を思うように詰めることが出来なかった。帰宅してから、たった一度わずかに勝っただけで気が緩むようでは徒競走の1番に何の価値もない。結局お前が前との差を詰めたり抜いたりできなかったせいでお前の組み負けただろ。速くなるってことはお前の出来次第でチームの勝ち負けが左右されることを忘れるな。運動会なんだからお前個人のためじゃなくてチームが勝つために走れと今まで以上に怒られた。

そして最後の6年生の時は、急激に背も伸び、何回走っても自分が1番を取れるようになった。先生からも選抜リレーは俺のチームが先頭で来たらつまらなくなると言われるほどだった。徒競走はもちろん1番、選抜リレーでは自分のチーム白組のもう一つのチームが転んでしまい大差で4位を走っていた。その時自分のチームは1位と差のある2位だった。俺がこのまま2位でゴールしたら白組が負けるのは理解できていた。俺は5年生からバトンを受け取り、前の赤組を追った。頭の中は真っ白だった。いつ抜いてどうやってゴールしたのかあんまり覚えてない。気がついた時には俺の胸にゴールテープが胸に引っかかり、後ろでうなだれている赤組が見えた。何が起こったのかよくわかってない自分の姿がビデオにも残っている。そのままちょっとふわふわした気持ちのまま表彰式。白組が勝ち、選抜リレーも白組が勝ったことで俺がトロフィーを貰った。貰う時に校長から、今まで見てきた中で1番素晴らしい走りでした、きっと君がこれまで頑張ってきた成果が出たのだからこれを自信にしてくださいと言われた。それでもまだ何となく実感がない自分がいた。下校の時も同級生や下級生から凄かったと何度も声を掛けられた。対照的に俺に抜かれた友達は、下級生からお前のせいで負けたと言われていた。去年の自分の姿と重なった。速くなるってことは自分の結果がチームの結果を左右することなんだと改めて思った。帰宅後に親父に会った。どうだったかと聞かれた。勝てたことは嬉しいけどよくわからないと答えた。親父から、これからは何をするにも走る場面では1番を取るしかなくなったんだぞ、一度1番になったらずっと1番になることを期待される、これからはそのプレッシャーとずっと戦う覚悟を持てと言われた。今日自分が抜いた相手はこのプレッシャーを5年間も背負っていたのかと怖くなった。このまま同じ世界にいたらこのプレッシャーに潰されると思った。

そして、中学では陸上部に入った。案の定、自分より速い人はたくさんいた。自分より速い人のいる世界にいることでプレッシャーから逃げた。それを親父と先生から見透かされた。もう逃げ場はなくなった。



なのに、結局陸上は何だかんだ続けられた。
何でかは自分でもよくわからない。
そこそこ上に行けたからか?たまたま強いチームメイトに囲まれて自分もそれなりになれたからか?

たぶん、親父が応援してくれたからだろう。
大会に来て、ビデオを撮ってくれて、毎日風呂入って疲れを取れとか疲労が溜まったらニンニクを混ぜてくれたりとか、親父が一生懸命応援してくれたから続けてこれたんだろう。


最初は親父に怒られたくないとか褒めてもらいたいとかで走ることを頑張ってたけど、最後は走ることが親父とのコミュニケーションだったのかもしれない。



そんな親父が亡くなって5年半か。
運動会シーズンになると思い出してしまうな。


親父には申し訳ないけど、俺の子供達は走ることでのコミュニケーションは無理みたい。
でも、親父みたいに、子供達が夢中になれるものや頑張れるものを見つけて、親父が俺にしてくれたことを子供達にもするよ。
今日でどこぞやのアイスクリーム屋さんみたいな年齢になりました(^^)

もういい歳なんだな


帰宅したらチビたちにおめでとう言われてちょっと嬉しかった(^o^)



Android携帯からの投稿
陸斗も颯斗も保育園に行き始めました


行きなり親子遠足やらパパと遊ぶ会やら色んな行事があっててんてこ舞い



自分の母校に子供たちが入るってなんか嬉しい




生活環境が色々変わって、段々慣れてきたけど、通勤時間だけはまだ慣れないな


さすがに前より一時間早く起きるのはキツいね




早起きになったから早く眠くなる


既に眠い



ではでは
Candyからの投稿