これまでの経歴 | takato34

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前回の記事に「○○時代が多いけど、どんなことしてたの?」というコメントが入りましたので、少し経歴を振り返りたいと思います。

地元の小学校を卒業して、何とか附属中学に入りました。入った当初はそこそこ成績が良かったんですが、必要以上に自由な校風で結局高校に上がるまでほとんど勉強した記憶がありません(笑)しかし中高一貫なのでエスカレーター式に高校に上がります。ただ、英語だけは塾に通ってました。しかも高校生で行き始めた塾の先生がとても厳しく、怖い先生だったので英語の成績だけは何とか普通以上位になってました。
しかし、数学が嫌いになり、古文漢文が嫌いになり、英語と社会だけで受けられる大学って2校しかなかったんですよ!!!で、結局本命の志望校しか受けられる状態になく(もう1校は小樽にあったので)、学部を3つ受けてすべて落ちました!!!

一年間駅前留学をした結果なんとか志望校に受かり、東京での大学生活が始まりました。
新入生歓迎の時期にたまたまいいなぁと思ったスキーのサークルに入ったんですが、これがまた面白いところでした。私が通った大学は小・中・高と付属の学校があり、下から上がってきたメンツがこれはもう日本を代表する一部企業の社長の御子息なんかがうじゃうじゃいるんです。そんな下からのエスカレーター組が集まるサークルでした。広島では絶対あり得ない会話や現実を目の前にして「日本にもこんな世界があるのね・・・」と口をあけてただ傍観する日々でした。

ただ、家はそんなでもフツーにバイトしないと遊べない奴、携帯は高いからPHSじゃないと持てない奴、合宿に行く金がないからバイトをする奴ってのもいるわけで、親の教育って大事なんだなぁ・・・とも思いました。

大学時代は法学部法律学科で、会社法を専攻していましたが、先程のサークル活動に精を出していたのであまり勉強はしてません・・・ちゃんと4年で卒業出来たのは、友人に恵まれていたからに他なりません(笑)

卒業後は当時の社長と相談して、留学することに決めていました。一足先に卒業し、留学をしている友達のところに遊びに行ったりしながら行き先について考えていましたが、やはり英語圏だけでなく他の言語圏に近いところで学びたいという思いがあり、丁度社長の知り合いもいたということでロンドンに決まりました。

大学受験では英語を勉強しましたが、ご存じの通り日本の英語教育は会話に重点を置いていませんのでもちろん最初は話せませんでした。日常会話にも困る程度の語学力ですからいきなり大学なんか行けません。ということで語学学校に3か月間入ることになりました。

そこではヨーロッパを中心とするたくさんの外国人が語学を学びに来ていました。イタリア・フランス・ドイツ・ルーマニア・チェコ・スイス・ノルウェー・スペイン・ブラジル・コロンビア・中国・韓国等の友人ができました。今だに続いている友人も少なからずいますね。

ホームステイが終わる時にどこかアパート借りて暮らさなきゃいけないとなりました。同じクラスのブラジル人のおばちゃんと一緒に住むと安いよねと言って二人で住み始めました。これは多方面で賛否両論を巻き起こしましたが(笑)、自分としてはとてもいい経験になったと思っています。文化が違うと考えられないことが起こりますから。

その後、大学のビジネスコースに進むことになり、ブラジル人は語学学校が終わって帰国しました。空いた所に今度は大学の同じクラスの日本人が入ってきました。契約期間が残りわずかなので「町中に引っ越そう!」ということになり、人数を増やして家賃を下げました!今度は男3人の暮らしになりました。ここでも社交活動は積極的に行ってましたが、あんまり勉強熱心ではなかったですね(笑)

旅行を良くしてましたが、ほとんどイタリアでした。なんせ飯が美味かったですから!ロンドンにいると気分が滅入るくらい飯が不味いんです・・・ほとんど中華か、ルームメイトの作る和食で食いつないでました。だから美味いものが食いたくてイタリアに逃亡してました。2万円くらいで行けますしね。

中でも忘れられないのは、友達とフィンランドにスキーに行った時です。オーロラを見たり、犬ゾリを楽しんだり、どんなに手の中で固めてもサラサラと崩れるような雪の中でスキーをしたりと、日本ではありえない雪国を楽しんでいました。帰る前の日に、スノーモービルのレンタルがあったので友達と二人でチャレンジしました。運転は私、後ろに友人を乗せて爆走していました(笑) そのうちどうやらコースを外れたらしいのですがあまり気にせず爆走しているうちに、新雪に突っ込んで抜けられなくなってしまいました。北欧の夕方は早いです。4時には暗くなってしまいます。あまりにも爆走しすぎて歩いて帰るには遠い距離でしたが、周りは深い森、日は暮れて、携帯の電波は圏外、食べ物もなく、辺りは耳が痛いほどの静けさで車通りもありません。道を横切ったのも20分以上前。

正直死ぬんじゃないかと頭をよぎりました・・・40分以上歩いて車道まで出て、30分以上歩いていたら、たまたま車が通りかかりました。大声で叫びながら道路の真ん中で手を振り、何とか止まってもらい、スノーモービルの事務所に連絡をして一命を取り留めました!!!運転手に「俺がたまたまここを通らなかったら君ら死んでたね・・・」って本当に言われましたよ・・・あーよかった。

あと、フィンランド人が英語が比較的話せる人が多いというのも助かりました。きっとイタリアだと死んでました・・・
もしあの時死んでいたら、会社に入ったり、こんなブログ書いてませんでしたねー(笑)

ということで長くなったので大阪時代と上海時代はまた次回に。
そして研修についてはその後にということでヨロシクお願いします!