はじめに
ブログ初心者のTakatayamaと申します。
地域史には記載あっても、世になかなか出てこない歴史資産を世に出せないものか、と考えてました。まずは発信して形にしようとブログに起こしてみました。よろしければご覧ください。
Vol.1-1 蔦木宿
江戸新宿から続く甲州街道(信州往還)も終盤に近い、長野県と山梨県の県境にある蔦木宿が初回のテーマです。
この地域にはいわゆる観光名所もなく、明治以降は交通手段の発達でひたすら通過する人ばかりの旧宿場ですが、自転車でゆっくり回るとかつての面影がそこかしこにあります。
スタートは…
釜無川(富士川水系の上流)の橋を長野県側に渡ったところ。
農道にしか見えないですね。写真とは反対の川向こうは山が迫っており、四つ脚の野生動物はまだしも、たまに人に近い二つ脚の彼らは勝手に畑に収穫に来ては山へ帰るそうな。かつての甲州道中も追い剥ぎやらいたそうですが…言うなれば彼らは現代のそれですな。
古道の道標
街道を歩いて利用する時代、現代のように急峻な山中に砂防ダムなどありませんから大風が来るたびに山中で木が流れを堰き止め、その後大雨でその自然堤防が決壊しては川が氾濫したため、川沿いにあった街道は利用できないことが多く、そんな際に利用された迂回路のようです。
実際には、どう見ても近隣の家の庭にしか見えないのですが、このように道標を立てて後世に伝えようとする取組みそのものに心うたれました。
かつての時代にあったと言われる石碑には「この先韮崎(山梨の宿場)まで無宿」とお知らせがあったそうです。…これは宿の客引きか親切か、どっちだったんでしょうね?
旅立ちのお寺
スタート地点から旧道方面は小高い丘になっており、登りきると眞福寺さんがありました。
和尚さんに伺うと街道が賑やかな頃は信州を発つ旅人は余分に用意した草鞋を境内の門に奉納し、旅の安全を祈願して旅立ったそうです。
ところで、かつて日蓮さんが佐渡との往復のどちらかで蔦木に滞在されたことがあり、その際に日蓮宗の布教がされた影響でしょうか、こちらのお寺さんも日蓮宗で、ここから南に向かい山梨県の身延山への行き道にも日蓮宗のお寺さんが多く、上人さんは今もこうして影響力を残すほどのスーパーインフルエンサーだったに違いありません。



