takatakashinnさんのブログ

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25年間のペーパードライバーからの卒業を目指しつつ、施設に入所した認知症の母を見守るアラフィフ

グループホームにいる母と、実家で年越しをした。

施設に入所した母と実家で年越しをするのは、今回で

2回目だ。

実家は空き家となり、私が月に3〜4回様子を見に行ってはいるが、冬の実家は非常に寒いので、一年中気温が一定で過ごしやすい施設から母を連れ出して、

年越しをするのは躊躇していた。


ところがコロナが落ち着いた令和5年の年末、私が姉と実家で過ごしていると、母から携帯に電話があり、

年末を実家で過ごしたい、と訴えてきた。


施設に入所していた何人かの人々が、年末に家族が迎えにきて一時帰宅する様子ををみていた母が、

私も実家に帰りたいと言いだしたのだ。


母を迎える準備をしていなかった私は、咄嗟に嘘をついて、母をなだめるしかなかったが、母に寂しい思いをさせた事をとても後悔した。


翌年からは、年末に母を連れ出して、姉と三人で

年越しをした。寝床には、断熱シートを引いて寒さを和らげたり、風呂はクルマで15分ほどの浴場施設に

つれていくなど母が風邪をひかないように、姉と

事前の準備をした。


1年ぶりに、母と風呂にはいり、夕飯を一緒にたべ、

テレビをみて、母と一緒に寝た。

母はできない事がふえ、まるで子どものようだった。

月に数回会って、施設の周辺を散歩してはいたが

それでは知り得ない母の姿があった。


実家に連れていっても、それが元々自分が住んでいた

家だとわからなくなっていた。

誰かの家に泊まりにきた、という感覚らしいかった。


風呂に入るため、服を脱ぐのを嫌がった。

ここが公衆浴場だという事がわからず、多くの

人がいる事に戸惑ったようだった。


雑多にモノが置かれた実家のテーブルをみて、

あら御馳走がいっぱい、と呟いた。置いてある

モノが何か、認識ができなくなっていた。


実家の布団が重く、1人で布団に入れなかった。

また、布団から1人で立ち上がるのが難しくなっていた。これは施設のベッドに慣れているせいでもある。


着替えをしようと服を渡すと、パジャマの上から

服を着ようとした。これは施設の方々から聞いては

いた。


来年は、今以上に何かが出来なくなっているかも

しれない。あと何回、母と年越しできるだろうか、、

そんな事が頭をよぎった。


でも、母の髪や身体を洗ったり、母の爪を切ったり、

母の手を取って歩いたり、母の老いを受け入れながら

母を想いながら姉とともに過ごす時間は、私にとっては幸せだ。母には大変申し訳ないが、母に認知症の症状がでてから過ごした1年間、私が毎週末、実家に泊まり、週に4日、デイサービスに通っていた時は、

私には母に寄り添う気持ちの余裕などなかった。


仕事はしんどかったし、予測のつかない母の行動、

認知症という未知の病気への不安で、いっぱいいっぱいだった。


今は、母が苦しんでいた事、もがいていた事、私達のために必死だった事、いろんな事を姉と振り返り、

母自身が忘れてしまった時間のほんの一部を辿って

いる。母が認知症でなかったら、、ほんとは三人で

話したかったけれど。


今日は幸せを感じた日だった。


仕事で困った事があり、社内の顧問の先生に相談をした。社内にいる税務署OBの先生方は、税務署長経験者だったり、国税局の審議官出身者だったりとても偉い方々だ。気軽に話しかけづらいが、今日はそれどころじゃない。朝からT先生に、ご相談があるのですが、、と話しかけた。

T先生はいつになく、親身に話しを聞いてくれた。

朝から30分以上の時間をとって知恵を絞ってくれた。

そのあと、昨日、やはりこの困り事を相談していたO先生が『昨日の夜、調べてたらこんな資料を見つけたよ』と、困り事の解答となる資料を渡してくれた。

ものすごく助かった。

偉い先生方が、こんなに私の相談に時間を費やしてくれた、、と思うとなんだか、とても嬉しくなった。


その後、いつも私にはそっけない上司に、困り事を報告した。上司は『大変だったね』と、なぜか労いの言葉をくれた。少し驚いた。


また、職場の先輩に、急な頼み事をした。

その先輩も快く頼みを聞いてくれた。


何でだろう、周りの人の温かさが身に沁みる1日だった。

今日は私の誕生日だ。

誕生日とは、母親に感謝する日だと、誰かが

言っていたような、、、。


とりあえず、有休をとり、自分にとって一番大切な

人に会いに行こう、、と思い立ち母のいるグループ

ホームに向かった。


先週末、私はコロナを発症したため母とは2週間会っていない。2週間、会ってはいないが、おそらく

母はそんな事には気づいていないし、気にもしていないだろう。


母に、今日は私の誕生日だよ、私を産んでくれて

ありがとう、と伝えたが、母はただ笑っていた。


そして、50才を過ぎて、今更ながらに自分が

飽き性で、気が短くて、気分屋で、多くの事に対していい加減な性格であった事を自覚したこと、この性格はまさに父親そっくりである、と驚愕している事を母に伝えた。


母は、腹を抱えて笑っていた。

理由はなんであれ、母がたくさん笑えた日になったなりよりである。。