グループホームにいる母と、実家で年越しをした。
施設に入所した母と実家で年越しをするのは、今回で
2回目だ。
実家は空き家となり、私が月に3〜4回様子を見に行ってはいるが、冬の実家は非常に寒いので、一年中気温が一定で過ごしやすい施設から母を連れ出して、
年越しをするのは躊躇していた。
ところがコロナが落ち着いた令和5年の年末、私が姉と実家で過ごしていると、母から携帯に電話があり、
年末を実家で過ごしたい、と訴えてきた。
施設に入所していた何人かの人々が、年末に家族が迎えにきて一時帰宅する様子ををみていた母が、
私も実家に帰りたいと言いだしたのだ。
母を迎える準備をしていなかった私は、咄嗟に嘘をついて、母をなだめるしかなかったが、母に寂しい思いをさせた事をとても後悔した。
翌年からは、年末に母を連れ出して、姉と三人で
年越しをした。寝床には、断熱シートを引いて寒さを和らげたり、風呂はクルマで15分ほどの浴場施設に
つれていくなど母が風邪をひかないように、姉と
事前の準備をした。
1年ぶりに、母と風呂にはいり、夕飯を一緒にたべ、
テレビをみて、母と一緒に寝た。
母はできない事がふえ、まるで子どものようだった。
月に数回会って、施設の周辺を散歩してはいたが
それでは知り得ない母の姿があった。
実家に連れていっても、それが元々自分が住んでいた
家だとわからなくなっていた。
誰かの家に泊まりにきた、という感覚らしいかった。
風呂に入るため、服を脱ぐのを嫌がった。
ここが公衆浴場だという事がわからず、多くの
人がいる事に戸惑ったようだった。
雑多にモノが置かれた実家のテーブルをみて、
あら御馳走がいっぱい、と呟いた。置いてある
モノが何か、認識ができなくなっていた。
実家の布団が重く、1人で布団に入れなかった。
また、布団から1人で立ち上がるのが難しくなっていた。これは施設のベッドに慣れているせいでもある。
着替えをしようと服を渡すと、パジャマの上から
服を着ようとした。これは施設の方々から聞いては
いた。
来年は、今以上に何かが出来なくなっているかも
しれない。あと何回、母と年越しできるだろうか、、
そんな事が頭をよぎった。
でも、母の髪や身体を洗ったり、母の爪を切ったり、
母の手を取って歩いたり、母の老いを受け入れながら
母を想いながら姉とともに過ごす時間は、私にとっては幸せだ。母には大変申し訳ないが、母に認知症の症状がでてから過ごした1年間、私が毎週末、実家に泊まり、週に4日、デイサービスに通っていた時は、
私には母に寄り添う気持ちの余裕などなかった。
仕事はしんどかったし、予測のつかない母の行動、
認知症という未知の病気への不安で、いっぱいいっぱいだった。
今は、母が苦しんでいた事、もがいていた事、私達のために必死だった事、いろんな事を姉と振り返り、
母自身が忘れてしまった時間のほんの一部を辿って
いる。母が認知症でなかったら、、ほんとは三人で
話したかったけれど。