「おっはようございまーすっ!」
俺、織上亮介は今日も一日元気に登校する。教室に入る瞬間、誰よりも大きくかつ元気に挨拶を済ます。そして今日も一日元気に過ごすというヤル気を持って椅子に――
「あらっ、おっとっと!」
座らない。何もないところであえてズッコケる。それだけでは終わらない。
起き上がると同時に靴が脱げて、更に頭を打つ。
すると教室は大爆笑の渦に飲まれる。ドジな俺を見て、皆が笑う。でも嫌じゃない、むしろ俺はこれを狙っていた。
「痛って〜、いやぁ今日はツいてねぇぜ〜」
「おい亮介、大丈夫かよ? てか、今日はじゃなくて“今日も”だろ?」
「そうだっけ?」
「お前、もう忘れたのかよ。頭打って記憶飛んだか?」
俺はドジだ。やることなすこと全てが空振り、失敗してばかりの男だ。だが転んでもタダじゃ起きない。このドジを笑いに変えるパフォーマー。それがこの俺、織上亮介だ。
でもこれは俺じゃない。ヘラヘラしている俺も、ドジな俺も、パフォーマーな俺も、全部演技でしかない。本当の俺はどこにもいない。ただのピエロだ。
そんなことを思いながら、今日もまた一日を元気に過ごす。
「なあ、そういえばあの噂知ってるか?」
「噂? 何の?」
お昼時、友達と弁当を食っているとソイツはスマホを取り出し、一本の動画を見せた。
「神出鬼没のストリートダンサー、通称CLOWN。この前偶然見つけて撮ったんよ」
「へ、へぇ。すごいね」
その姿は、赤鼻の付いたマスクにサングラス、ジーンズに黒のジャケットと一見不審者のような格好をした男。
しかし彼はストリートダンスで街の人達を魅了している。その証拠に、動画内でも色んな人たちの声が聞こえてくる。
『凄いなぁ。何かの撮影か?』
『こんな人居たっけ? ウチ初めて見る』
けど、俺からしたら全く凄いとは思わなかった。これはただの趣味、そう褒められるものじゃない。
だってこのCLOWNは、俺本人だから。
「アレ、お前もしかして興味ない?」
「え、ああいや。すげぇなぁって。ちょっと感心」
「だろだろ? お前もドジな部分治したら、この人みたいな才能あるんじゃねえの?」
そう言われた瞬間、心臓が止まるかと思った。
「それにしてもこの人、一体誰なんだろうなぁ」
「もしかしたらすぐ近くにCLOWN本人が居たりして、なんて」
「いやいやいやいや、流石にそんなこと――」
そんなことはないだろう。俺はその言葉を期待していた。しかし友達は言いかけで留まり、廊下の方を見た。そこには、少し気怠げな印象の先輩が誰かと話をしていた。
小耳に挟んだ程度の知識しかないが、確かその人は――
「アレって、樋泉先輩だよな?」
「……いや、流石にないか」
とどのつまり、樋泉先輩がCLOWNなんじゃあないか、という考察だ。でも残念ながら不正解だ。
だからといってこの正体を教えるわけにはいかない。もし俺がCLOWNだと知られたら、きっと今まで築き上げてきたものが全て崩れてしまう。
確証はないが、俺は常にその恐怖に怯えながら過ごしている。
「あ、でも一応聞いてみない? 先輩に直接――」
「いや、やめといた方がいいぞ」
冗談のつもりで言ったはずが、友達はいつも以上に真剣は面持ちで俺に言った。
一見気怠げな雰囲気の先輩だが、そんな関わってはいけないほどなのだろうか?
「部活の先輩の話なんだけど、樋泉先輩と関わるとロクなことがないってさ」
その話も、うっすらではあるが聞いていた。先輩達からも少し距離を置かれている、と。
言われてみれば、目撃しても一対一で誰かと話をしていたり、とにかく先輩が群衆に紛れているイメージはない。常に一人、孤独を愛する人のような印象がある。
実際に先輩がどんな人か知らないから、あまり酷いことは言えないが、ここまで言われると――
とその時、一瞬先輩と目が合った気がした。その時背筋が凍ったような、そんな気がしたから俺はすぐさま弁当に視線を戻した。
すると、しれっと卵焼きが盗まれていた。
「あ! 俺の卵焼き!」
「お前なぁ、隙ありすぎだぞ。今日は三つ獲得だ」
「自慢げに言うなって。まあいいけどさ」
「いやいいのかい!」
コイツめ、またやりおったな。
でもこうやってツッコまれるまでが俺の日常、青春だ。
「ごめん、今日は用事があるからカラオケ行けないわ。今度誘ってな」
「マジかよ。じゃ、また次の機会に呼ぶわ」
それから少しして。カラオケの誘いを断って急いで帰路に着いた。その帰り道のこと。
「君、確か織上……リョーマ君だっけ?」
背後から声をかけられ、振り返る。そこにはあの樋泉先輩がいた。
「亮介ですけど」
「そう、それ。君、友達と何話してたの?」
何だろうこの緊張感。風の噂のせいではない、何か胸の奥から湧き出るようなものが俺を刺激する。まだ俺には、これが何なのか分からない。
でも話しかけられた以上、無視する訳にはいかなかった。
「神出鬼没のストリートダンサーって、誰なんだろうなぁって」
「神出鬼没? ああ、CLOWNか。もしかしたら学校の中に居たりして」
昼に俺が言ったことと同じだ。しかも何故か俺を見てきている。
まさかバレたか? いやいや、着替えから何まで全部人目のつかない場所でやっているんだ。それはない。今までだってバレたことはないんだから。
堂々とするんだ。俺はCLOWNじゃない、全くの別人。よし。
「まさか、それは流石にないっすよ」
「……まあそうだよな。ごめんね足止めしちゃって」
「いえいえ。それじゃあまた明日」
焦った〜。とんでもない確信を突かれて一瞬万事休すかと思った。
「ただいまー。って、誰もいないんだけどね」
家に帰っても、そこには誰もいない。帰りを待っているのは、いつも食卓の上に置かれた食事代の300円だけ。
当然帰ったことを教えても、桜花の絵が描かれたコインは返事をしない。しんと静まり返った家の中。ブンブン噴かす車の騒音が聞こえてくるくらいで、それ以外の音はない。
母さんはきっと、今日もどこか俺の知らない良い店で良い食事でもしていることだろう。
「ちょっと怖いけど、小遣い減ってきたし。また出現しますかな」
俺はすぐさま洗濯と掃除、そして宿題に取り掛かった。どれも昔から、全部俺の仕事みたいなものだったから嫌じゃあない。唯一宿題は苦手で時間を使ったが、むしろ時間を使えた方が好都合だ。
何故ならCLOWNの出現時間は、ゲリラであれど決まって夜。
理由は単純で、ギャラリーが多い時間帯だからだ。良くも悪くも、札幌の街は夜が一番人が多い。いや、これはどこの街でも当てはまるか。
宿題を倒して時間を見れば、午後6時半。これから移動すれば、8時から9時までのパフォーマンスで良い感じに盛り上がるだろう。
早速俺は衣装一式を鞄に詰め混み、今日の特別公演に向けて出撃した。
「見ろよ、CLOWNだ!」
「嘘、あの神出鬼没の? 凄い、本物だ!」
薄野のニッカ看板下。今日はここで披露することにした。道行く人達は皆足を止めて俺を見る。音楽に合わせて、パントマイムを織り交ぜた動きで人々を魅了する。
そして群衆が盛り上がり、曲もラスサビに入ったところでブレイクダンスを披露する。すると周囲は歓声に包まれ、投げ銭箱にお金が入る。
学生がこんな方法でお金を稼ぐのはグレーゾーンであることは重々承知している。
だがこうでもしないと、俺はカラオケや友達と遊ぶ軍資金、空いた腹を十分に満たす金を作れない。実質一日300円という遠足の小遣い程度では生きるのもままならないから。
そしてこのことがバレたら、親に根こそぎ持っていかれる。
だからこそ誰にも、俺がCLOWNだという事実は隠し通さなければならない。
「すげぇ、コレ亮介に送ろっと」
ふと見ると、群衆の中に顔馴染みの姿があった。しかも彼は今の俺の姿を、本人に送ろうとしている。
いや、誰も俺の正体には気付かない。後で知らなかったフリをして返信しておこう。
と、そうこうしているうちに時間がやってきた。俺は勢いをそのままに低い声で「サンキュー」と言いその場から離れた。
「今日はいい感じだな」
俺は誰もいないことを確認して、今日の投げ銭の合計を数えていた。今日一日で、約5万。高校生が遊んで食べるには十分なところか。
にしても、夕食も食べずに出てきたからお腹が空いた。それに今日はいつも以上に暴れ回ったから空腹感で死にそうだ。
俺は急いでジャケットとマスク、サングラスと財布を鞄に詰め込み、コンビニに入った。
「いらっしゃいまっせー」
入店して早速、俺はすぐに弁当コーナーに向かった。
どれも美味しそうだが、今日は自分へのご褒美にガッツリ食べたい。でもアレもいいしこれも捨てがたい。と弁当に目が行き過ぎているあまり、誰かとぶつかってしまった。
「あっ、ごめんなさいお客様」
「いえこちらこそ――うわぁっ!」
しかもこんな時にドジを踏んで、俺は派手にひっくり返った。
そのせいで鞄の中身が散乱した。慌てて散乱した荷物を鞄に戻そうとするが、遅かった。
「あれ? これって、それに君……」
何だか嫌な予感がして顔を上げる。するとそこには、あの樋泉先輩がいた。
「あ……」
刹那、頭から血が抜けるように感じた。そして樋泉先輩の嗜虐的な笑みに、背筋が凍った。
俺は昔から独りだった。
兄弟も居らず、父さんは物心つく頃に他界。母さんは俺といるよりも外で買い物をするのが好きらしく、家はいつも俺独りだった。
正直、寂しかった。でも父さんを失って、女手一つで育ててくれた母さんのためにも、必死で寂しさを我慢して幼いなりに気を使ったはずだった。
しかし段々と感情が薄れて、笑わなくなった頃だ。
『どうして笑わないの? 気持ち悪い子ね』
『そうなの、全然笑わないし本当に気持ち悪い』
その時俺は、唯一信頼していた筈の母さんに裏切られた。恩着せがましいと言われても仕方ないが、今までの気使いを全て否定されたような気がして心にヒビが入った。
以来、俺は必死で笑う努力をした。どんなに辛くても、怪我して痛くて、本当は泣きたくても、笑い続けた。
笑わないとまた『気持ち悪い』と言われてしまうから。
その努力のお陰で、友達が沢山できた。ドジだけど面白い奴として、先輩からの人気も出た。
しかし作り笑いはとても疲れるし、勉強やら人間関係やらでストレスが溜まる。そうしてストレス発散と小遣い稼ぎを兼ねてで始めたのが、ストリートダンスだった。
気付けばそれも人気が爆上がりして、一日で5万を稼ぐほどに成長した。
でもバレてしまった以上、このダンサー生活も長くは続かない。特に樋泉先輩の場合、逆らったら正体を公表されかねない。
ものいっそ、ここでCLOWNとしての活動を引退しようか。それとも先輩に従って口止めしてもらうか……
俺は葛藤していた。プライドと引き換えに続行するか、そのまま引退するかを天秤にかけて。
一体どうしたらいいんだ、俺は。
「……介。亮介! 大丈夫か?」
「うわぁっ! 痛っ!」
唐突に声をかけられて、俺は驚いた拍子に椅子からひっくり返ってしまった。しかも派手に頭をぶつけて、記憶が飛んだような気がした。いや、ものいっそここで昨日の記憶が飛んで欲しかった。
「珍しく元気ないけど、どうした?」
「いや実はさ――」
勇気を振り絞って、悩みを打ち明けようとしたその時だった。ノックもなくドアが開いたかと思うと、樋泉先輩が顔を出した。
「亮介君いますか〜?」
振り返ると、先輩は俺に気づいて手招きした。本当は行きたくなかった。
だが、昨日のことを気にしているよう悟られないよう、気楽を装って元気よく返事をした。
すると案の定、友達に止められた。
「やめとけって言ったろ、先輩とはあんま関わるなって」
「大丈夫だって、あくまでも噂だろ? パッと行ってすぐ帰ってくるぜよっ!」
冗談混じりに敬礼をして、俺は先輩と共に廊下に出た。
「で、何の用すっか先輩?」
「亮介君ってさ、ダンス好きなの?」
「ダンス? 嫌だなぁ、俺がドジで有名なこと知ってるでしょうに。ダンスなんてやった日にゃ足を挫いちゃいますよ」
無駄だと心のどこかで分かっていても、俺は奇跡を信じてとぼけた。あくまで学校ではドジっ子キャラ、プライベートもドジで仕方のない奴だという悪あがきだ。
しかしそんなおとぼけも通用せず、先輩は一呼吸置いて、単刀直入に言った。
「CLOWNの正体は織上亮介、そうだろ?」
何も言い返せない自分が恥ずかしくて、悔しかった。もうお前に違うと否定することはできない。そう言われているような気がして、無意識に俯いた。
だがその時、吹っ切れた。もう先輩の前で隠すのは無駄だ、と。
「あちゃー、バレちゃいましたか。本当は卒業後も黙ってる筈だったんすけど、誰かに言いました?」
訊くと先輩は首を横に振り、口元に人差し指を立てて取引を持ちかけてきた。
「このこと内緒にするからさ、力を貸してくれないかな?」
「力を?」
「あれ、知らない? パフォーマンス大会の話。てっきり君も知ってると思ったんだけど」
そういえばそんなのがあったっけか。
色んなパフォーマー達がメジャーデビュー確約の権利を巡って競い合う大会。樋泉先輩の口からその話が出るとは思わなかった。
だが俺のダンスはただの趣味だ。そんな大会に出るほど上手いものじゃあない。仮に先輩の要求を呑んだとしても、足手まといになるのがオチだ。
「いや、やめとくっす。俺にはそこまでの実力はないっすから」
「ふぅん、じゃあどうしようかなぁ〜」
案の定、先輩はわざとらしく俺の正体を言質にとって考え込んだ。やっぱり俺に拒否権はないのか?
そう思うと先輩に苛立ちを覚え始めた。だが言い返しても反撃されそうで勇敢に立ち向かえなかった。
しかしちょうどその時、ふと目に飛び込んだ時計を見て俺は叫んだ。
「先輩、そろそろ戻らないと授業に遅れるっすよ!」
すると先輩も時計を見て、慌てて教室に戻った。これで一応の難は逃れられたが、まだ解決はしていない。
このまま正体を隠し通すためにも、CLOWNとしての活動はここで引退するべきか。
そんなことを考えながら、俺は今日の夕食を買いにコンビニに立ち寄った。昨日の一件から食事が喉を通らないが、何も飲まず食わずという訳にもいかない。せめておにぎりやパンくらいは胃に入れておかないと。
「これください。それと、揚げ鳥……はい、レギュラーでお願いします」
レジで会計を済ませている待ち時間、ふと何かに呼ばれたような気がして外の方を向いた。すると偶然か、樋泉先輩が近くの信号が青に変わるのを待っていた。
確かこの先は病院のはず。それに何か急いでいるようにも見える。初めてかもしれない、先輩があんなに急いでいる姿を見るのは。
気になった俺は、気付くと先輩を追っていた。こんなストーカーまがいのことして、ダメだと分かっているのに。この野次馬精神は本当に、俺の悪い癖だ。
病院に着くと、先輩は何かに引き寄せられるように、病棟の一室に向かっていった。先輩の身内に不幸があったという情報もないし、何をそんなに急いでいるんだろうか。
ゆっくりと後を追っていると、先輩は足を止めて病室の扉を開けた。俺は先輩に見られないようこっそりと扉の前に近付き、患者の札に目を向けた。
「これって……」
そこに書かれていたのは、樋泉伊織。苗字からして、先輩の身内だろう。
聞き耳を立ててみると、学校での先輩からは想像もつかないほど活気に満ちて楽しそうな声が聞こえてきた。
そう言えば学校でも、先輩が妹好きという噂を小耳に挟んだが。もしやこの伊織ちゃんが、例の妹さん?
でも、後をつけてから言うのも何だが、人様の身内事情に干渉するのはダメだ。何をやっているんだ俺は。
自分の行いが恥ずかしくなった俺はその場から離れようとした。が、その時だった。
扉の奥からCLOWNの名前が聞こえてきた。
「それで昨日、偶然CLOWNと会ってさ」
「本当⁉︎ だってCLOWNって、神出鬼没のストリートダンサーでしょ? いいなぁ、私も生で見てみたいなぁ」
「安心しろ、俺が必ずCLOWNを連れてきてやる。約束だ」
「ありがとう、待ってるよお兄ちゃん」
そうか、そうだったのか。先輩がどうしてあの時、俺の正体を知って嬉しそうだったのか、この時初めて理解した。
妹が会いたがっていたCLOWNを連れてくる約束が果たせそうだったから。だから嬉しそうだったんだ。そこに俺をどうこうするつもりは微塵もなかった。
学校でのあの態度も噂も、全部勘違いだったんだ。本当は妹のために奮闘する、最高の兄貴。きっとあの時、先輩と目があった時、胸の奥から湧きあがった感情は、これだったのだろう。
そう思うと申し訳ない気持ちが胸を締め付けた。
「それじゃ、そろそろ行くな」
「うん、じゃあねお兄ちゃん」
するとその時、病室から出てきた先輩とバッタリと出くわした。その時の先輩の周りには、キラキラとしたフィルターが掛かっていた。
涙だ。尊敬と感動が一度に押し寄せて、俺の頬には多分滝のように涙が溢れていたに違いない。先輩は俺を見てちょっとだけ引いていた。
「あれ、亮介君? どうしてここに?」
「先輩! 俺、ずっと勘違いしてたっす! 妹のために一生懸命頑張るなんて、最高の兄貴じゃあないっすか!」
震える手で、無意識に先輩の手を握っていた。先輩の手は優しさの溢れるように暖かかった。
俺も何か、先輩の役に立ちたい。この人とならきっと、本当の自分を見つけられる。
「どうか先輩のお力添えをさせてください! 後輩として、CLOWNとして!」
「え、ああ。ありがとう」
「一生ついていきます、先輩!」
こうして、俺は先輩の夢を実現するため、共に道を歩む決意をした。先輩となら、本当の自分が見つけられそうな気がする。
今まで偽りでしかなかったCLOWNはもう終わり。これからは、先輩達のために活動する“本当の”CLOWNとして、一緒に――。