私は家の中に楽園を作ってしまった。


家の中で好きな音楽を聴きたいだけ聴く。


好きな格好でグダ〜と出来る。


好きなものを好きな時に食べる。


何より、この自分を邪魔する人が居ない、


と言うのが一番の歓びである。


外出したり、とにかく外に一歩出るだけでも、


私はみんなに邪念を投げつけられやすい。


私は外では、愛の波動を大事にしているから、


とにかく皆に利用されたり、


ストレスの捌け口にされやすい。


だから、自由にして居られる家の中は、


本当に別天地なのだ。


これなら確かに、家から出たくなくなるよな。


こういうカラクリで、


障がい者やニートや引き籠もりの暮らしの傾向は、


生まれているのではないかと思うのである。


私は、愛が大事だから外では全部の闇を、


しっかり背負ってしまうし、


それを家の中の落ち着ける環境で、


しっかり解明し、その闇から光を模索する。


そして光を確立させ、神愛波動として確立させる。


こんな私みたいな人は、


唯、家に居るだけでも、


安らぎや前進を得られるので、


もの凄く、充実した日々となっている。


社会生活で結果を出し、日々輝くのも素敵だが、


社会で奪い合いばかりの中、


私は他者から奪えず、輝くのは難しかった。


だから、奪い合いしなくて良い、


家の中での独り行脚も結構、幸せなのである。


誰かに気に入られてお金を稼ぐ人生ではなく、


自分のやりたい事をやりたい様に生きる人生。


しかも誰からも邪魔されずに、


堂々と楽しく生きられるなんて、


なんて素晴らしい日々なのだろうと、


私は気付いてしまった。


でも、本当は、これらは全部、


旦那さんが日中、


汗水垂らして稼いでくれているから、


私が叶えられている幸せなのだよな。


私って、こんな身分で、チョー幸せだ!!


とも、気付いてしまった。


社会と価値観がズレてしまって、


社会と接点も持てなくなってしまって、


お仕事一つも見つけられなくなってしまって、


これは「本当にヤバい事態だ!」と思ったのに、


今は、発想の転換で、


悠々自適に楽しめている自分が居る。


まるで、神様界に、


仕事をさせて貰えなくなった(?)みたいな、


そんな不思議な人生を感じてもいる。


あとは、せめて、やりたい事、


家の中でも没頭してやれる行動を、


何か見つけられたらなと思う。


それか、そのうち、神愛波動を立ち上げ、


現実の闇を飲み込んでしまう波動のお陰で、


楽に現実の社会を生きられる人間になって、


社会で仕事をする、という夢も私にはある。


ところで私たち人間は何故、仕事をするのか?


それは、生命を守るためである。


ご飯を食べて身体を存続させ、


衣食住を回して、生命を存続させるためだ。


だけど、もし生命を守りたいと思わないなら、


仕事をする意欲は確かに減ってしまうだろう。


生命を守る以上に、愛の価値が解っているなら、


確かに生命に執着しないで済むから、


仕事や生命より愛を守りたくなる。


私は、生命を超えて、愛が立ち上がっている。


だから、あまり仕事がしたいと思えない。


生命など、愛が立ち上がっている者には、


簡単に守られて行くのが当たり前になる。


執着しないものは守られてしまう。


そして、一番強い「完全と永遠の愛」、


つまり、「=神様」を意識すれば、


全てが守られてしまうのだ。


生命や仕事や人間同士の愛より、


極論、神様という完全と永遠の愛を、


守り抜く事で、全ては揃うのである。


だから、私は家に引き籠もって、


何もしない、何もしないで済んでいる、


と言えるのかも知れない。


まぁ、何を価値とするかは、


その人間一人一人の自由だから、


これ以上は何も言えないのだけれども。


一応、こうして自分の人生を解明してみた。


私は他者のように生きられなかったから、


特殊な解明能力を与えられて、


自分に関係した謎を解き明かすことで、


心や霊魂の安定を果たして来た。


そして、神愛波動という波動展開も、


確かに目に見えない世界で、


着実に積み上げて来ることが出来た。


もう、このまま、神様の元へ急ぐことが、


これからの私の道だと思う。


最後まで走りたいと思う。


それでは、ここまでのお付き合い、


真に有り難うございました😊🙇💓