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天正15年(1587)、大村純忠逝去。
この時、喜前は豊臣秀吉の命により島津征伐に出ていました。
そう、この頃には天下人豊臣勢の九州征伐が始まっていたのです。
喜前は島津征伐、朝鮮出兵ともに小西行長の軍に属し、数々の武功を上げたと言われています。
朝鮮出兵では先陣を任され、形勢不利となり退却時には自ら殿を名乗り出て、名を轟かせました。
当時喜前は20代半ば戦人としては脂ののった時期ともいえます。
しかし、見方を無事に退却させる殿の任は豪勇だけでは務まりません。
武人としてだけでなく、指揮官としても非凡な才を持っていたことがわかります。
朝鮮出兵の論功行賞では豊臣の姓を名乗ることも許されていたと言われますから、相当の活躍であったことでしょう。
また、これらの戦いで、加藤清正や松浦鎮信らと親交を得て、後々の災禍を免れています。
