などと、ありきたりの妄想を膨らませていると、香ばしいかおりのホットコーヒーと、あめ色にやかれたトーストが運ばれてきた。ゆで卵も添えられている。
コーヒーカップにくちびるをつけると、その苦さで頭が醒める。砂糖を入れるかどうか迷ったが入れないことにした。ミルクは入れる。黒色から茶色に変わる熱い液体。トーストをかじる。ゆで卵の殻を割る。
さて、これからどうしたものか。思案しているふりをして、実はもう電車に乗らないことは決めている。しばらくこの喫茶店でなんということもなく時間を費やすことにしよう。読みかけの本を鞄から取り出し、ページを開く。
高貴な犬が愚かな人間たちに道を説いている。ことばに頼りすぎるな。動物としての感性を信じろ。内なる自然を目覚めさせよ。人間たちにはそのことばは聴こえない。もし聴こえたとしても意味を理解できる者はいない。いや、意味なんて理解する必要があるのか。高貴な犬は苦悩する。自問自答する。やがて、高貴な犬はその場所を離れて旅に出る。行き先は決めていない。旅に出る理由も目的もわからない。
それでいいのか。この物語の寓意を読み取ろうとする。すこしぬるくなったコーヒーをすする。ゆで卵をかじる。白身の弾力のある歯ごたえと黄身のとろける舌ざわり。半熟だ。
寓話は神話に似ている。突拍子もないようでいて、シンプルに世界の本質をあらわしている。娯楽のための物語は時の移ろいとともに痩せていくが、神話という物語にのせた寓意という暗号は力強く時代の流れを超えていく。この物語に忍ばせた暗号はかたちを変えながらどれだけの時を超えてきたのだろう。
性能の高いスピーカーからリヒテルの指が軽やかに鍵盤をたたく音が聞こえる。