初めて読む円城塔さんの作品。
難解
との噂から
なんとなく近寄りがたかった。
先日聴いた
やくしまるえつこの数字らじお
での
やくしまるさんによる
シャッフル航法
の朗読がツボだったので
この作品を読むことにした。
短編集。
SFみたい。
ぼくは
SFと文学の融合
なんていわない。
だって
SFは文学そのものだと思うから。
で
難解
っていうのは確かに難解。
実験的で
前衛的
っていうのもそう。
ぼくはこういうの嫌いじゃない
っていうかむしろ好きなのだが
慣れないひととか
こういう非現実的なものに興味がないひとには
きっと
ちんぷんかんぷん
な作品だろう。
世界は記述だ
だから好きなように書き換えたらいい
みたいな世界観もおもしろい。
どうやったって
人間は主観から逃れられないからね。
完璧に客観に到達すると
人間じゃなくなるような気がするし。
で
繰り返しになるんだけど
主観なんて好きなように変えられる。
お気に召すまま。
どんどんねじれて
どんどん交錯して
非現実が現実となり
現実が非現実となり
非現実が超現実となる。
ぼくたちにおなじみの天球図は
ぼくたちから見たものにすぎなくて
外から同じものが見えるわけではない。
オリオン座を地球の反対側から見ることなんて
ありえない。
そんなこと考えたことなかったな。
確かにオリオン座なんて地球からの視点に過ぎないものな。
けれども
プログラムを組むことで
これまで表現できなかったことができるようになる
っていう経験を積みかさねてきた人間が
世界はすべて記述可能なもの
だと考えるようになっても不思議じゃない。
なんでも自由に書き換えられる世界になったら
ぼくたちの日々の生活は
変質するのだろうか。
いや
いまでもじゅうぶん
現実からリアリティが失われていっているわけなのだが
それに気がついているひとはまだまだ少なくて
っていうか
気がつかなくてもまったく問題がなかったりするわけで
そういう意味では
陰も陽も
正も負も
上も下も
現実も妄想も
対立すると思われるすべての概念はただの勘違いで
実際には
なにも対立するものなんてない
ってことなのかもしれない。
人間的な感情の機微なんて興味ない。
あるのは世界の構造だけ。
バラエティ豊かな超生活科学妄想。
現在の妄想好きな少年少女に
そして
かつて妄想好きな少年少女だったおとなたちに。
詩のような散文。
SFの国に迷い込んだウサギ。
--シャッフル航法--
円城塔