陰翳礼讃 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

もう2月になってしまったが
少し前の話を。

年始にはちょっとあらたまって
日本のよき文化に触れようじゃないか
なんて思いながら
昨年の暮れに購入した
文庫の陰翳礼讃。

我ながらそういう発想が
安っぽいというか
気取っているというか
ひらたくいえばいけてない。

読もう読もうと思いながら
なかなかきっかけがつかめない本というのは数々あって
この作品もそのひとつ。

いわゆる識者や著名人といわれるひとびとの多くが
推奨するこの作品。

日本人なら
日本を愛するものなら
一度は読むべき作品と思っていた。

いよいよ手にとってみると
文庫で60ページ足らずの短い随筆だった。

思っていたより短い。

それに
建築のことについていろいろ書かれていると思っていたのだが
建築のことだけでなく
文化風習を含む暮らし全般について書かれていたのが意外だった。

ところで陰翳というと
ぼくはついつい光と影のコントラストをイメージしてしまうのだが
あらためて文字をみてみると
陰も翳も影である。

つまりは光のあたらない部分のことである。

要するにこの随筆では影の美しさについて書かれているということなのかな
とも思うが
念のため辞書を引いてみると
陰翳には2つの意味があって
ひとつには
光の当たらない暗い部分、かげ
のことであるが
もうひとつは
物事の色・音・調子や感情などに含みや趣があること、ニュアンス
とあり
ぼくがふだん思っている陰翳の意味はそんなに外れているわけではないようだ。

光の当たる部分よりもむしろ光の当たらない部分に美しさを見出す
というのはなかなかにおしゃれであり
センスのいいおとなはそういうところの違いがわかるものだとは思うものの
どうにもこの作品がそれほどぼくの胸をつかまなかったところをみると
やはりあまりにも時代が変わりすぎてしまったのかもしれない。

離れの暗いトイレなんていまなら絶対に近寄らない。

女性に対する価値観もとうてい現代では受け入れられないだろう。

とはいえ
日本の気候風土にふさわしい生活様式とは本来どういうものなのか
というのは考えさせられた。

何でもかんでも隅から隅まで明るく照らせばいいってもんじゃない。

暗がりをあえて残しておくのもひとつの世界のあり方だ。

それに
日本で古くから育まれてきた文化芸術や工芸品などは
現代のような光の当て方だと本来の美しさを失う
というのもなるほどなあと思った。

そのものがつくられた当時の光の当て方でこそ
そのもの本来の美しさが見出せるというのはそりゃそうだろう。

陰翳礼讃。

その土地の自然や暮らしにふさわしい光の当て方。

これにはグローバル・スタンダードなんてありえない。





--陰翳礼讃--
谷崎潤一郎