新人王になった零が宗谷名人と記念対局。
大きな翼の白い鳥。
観ているしかなかった物語の主役がいま目の前にいる。
対局は対話。
駒の動きは思考の表出。
それは奪い合う戦いというよりも協力して築き上げる建設に似ている。
土砂降りの仙台。
帰りの新幹線でのハプニングによりわかった宗谷名人の事情。
失ったことでさしたる不便もなく、むしろ都合がよいという視点。
ちょっと突き抜けているけれど、なんとなくわかるような気もする。
もちろんレベルはまったく違うけれども。
雨はひとの精神を夢のなかに誘う。
気圧と湿度がひとの感性に与える影響は無視できない。
そういえば雨の日の記憶はなぜかいつまでも鮮明に残っている。
次の朝のでたらめなくらいに青い空が昨日の出来事とうまくつながらない。
ゆめとうつつのさかいめはどこにある?
それは曖昧なのか決定的なのか。
棋匠戦。
66歳の柳原棋匠に挑む島田八段。
棋士の全盛期はどんどん若くなっていて、還暦を過ぎてタイトルを保持するなんて、現実にはそうとう厳しい。
年輪を刻んだ分だけ抱えてきた、同世代の友らから託された期待という名のたすきをかけて。
そのたすきは励ましか、それとも重圧か。
将棋に人生を捧げてきた者が将棋を失うとそこに待っているのは何か。
何が残っているのか。
精いっぱい頑張った人間が最後にたどり着くのはどこか。
それは将棋だけではなく、ぼくたちにも共通する問いになる。
ぼくはどこに向かっているのか。
悔いの残らないように精いっぱい頑張っているか。
年齢のせいにして力を出し惜しみしていないか。
年齢なんてきっと関係がない。
そのときの状況に合わせて持っているものをすべて出す。
ときに振り絞ってでも。
それにしても。
川本家の究極の半熟玉子でつくった煮玉子、おいしそう。
三月祭の白玉団子も食べてみたい。
ぼくはミルクティで。
やっぱり味覚と胃袋はシンプルに幸福感に直結しているよね。
二海堂も復活。
――3月のライオン(8)――
羽海野チカ