田舎からやってきた一人の男が法の門に入ろうとすると門番に遮られる。
あとでなら入れるのかと問う男に、門番はありうると答える。
男は門の前で待つことにする。
男がどれだけ門番に頼み込んでも、いつまでたっても許されない。
やがて男は門の前で息をひきとる。
いまわの際で男が門番に訪ねる。
長い間ここで待っていたが、自分のほかに誰も門に入ろうとやってこなかったのはなぜか。
門番は答える。
この門はただおまえのためだけに用意された門だからだ。
この物語に非常に強くひきつけられたKは僧にいう。
「では門番はその男をだましたんですね」
「先走ってはいけない」「ひとの意見を吟味もせず受入れるものではない。わたしは本にある言葉どおりに話を伝えたまでだ。本にはだましたなどとは一言も書いてない。」
食い下がるKを僧はたしなめる。
「おまえはこの書物に充分な敬意を払わず話を勝手に作り変えている」
そしてこの本の注釈者たちによる説得力のあるさまざまな説について語る。
「いずれにしろ、こうして推測される門番の姿は、おまえが思っているのとはまったく違うわけだ。」
「それではあなたは、男はだまされたわけではないと思うんですか?」
「わたしの言うことを誤解してはいけない」「わたしはただこの話について行われているさまざまな見解を教えているだけだ。おまえはそれらの見解を尊重しすぎてはいけない。不変なのは書物であって、見解などというものはしばしばそれに対する絶望の表現にすぎないのだ。この場合にも、だまされたのは門番のほうだ、とする説さえあるくらいだ。」
そういって僧は根拠を述べる。
この根拠もまたもっともらしい。
この説明でKは愚かな門番を批判できる自分に都合の良い解釈を得るが、さらに僧はいう。
「それに対してはこんな反論がある」
僧はKに門番への批判はそもそも認められないのだとする説を教える。
Kは納得がいかない。
「その意見にはぼくは賛成できない」「なぜといって、その意見に与すれば、門番の言ったこと全部を真実と見做さざるをえなくなります。ところがそういうことはありえないと、あなた自身が詳細に理由づけされたのですからね。」
「いや」「すべてを真実だなどと考えてはいけない。すべてただ必然的だと考えなければならぬ。」
「憂鬱な意見ですね」「虚偽が世界秩序にされるわけだ」
――Kは結論付けるようにそう言ったが、それが彼の最終判断というのではなかった。話の推論のすべてを見渡すことができるにしては、彼はあまりに疲れすぎていた。
疲れ果てたKは、大聖堂を出て行くことを僧に伝える。
すでに暗闇に包まれている大聖堂の内部。
出口の位置もわからない。
出口の位置を口頭で説明され、僧が2、3歩離れたところでKは大声をあげる。
「待って、待ってください!」
「待っている」
「まだ何かぼくに用があるんじゃありませんか?」
「いや」
「さっきはあのように親切にしてくださり」「ぼくになんでも話してくださったのに、いまはぼくをただ放りだしてしまうんですか、ぼくのことなぞもうどうでもいいかのように。」
「だがおまえは出てゆかねばならんのだろう」
「それはそうです」「でもいまのことは考えてください。」
「まずわたしはだれかを考えることだな」
「あなたは教誨師です」
「だからわたしは裁判所の者だ」「だとしたらなぜおまえになぞ用があろう。裁判所はおまえに対し何も求めない。おまえが来れば迎え入れ、おまえが行くなら去らせるまでだ。」
痺れる。
虚偽が世界秩序にされるというのは言い過ぎだとしても、世界はひとそれぞれの解釈で成り立っているくらいの感じはぼくも抱いている。
きみはぼくを、ぼくはきみを、それぞれ解釈している。
さながら不変な書物を勝手に作り変えるかのように。
――審判〈大聖堂にて〉――
フランツ・カフカ
訳 中野孝次