ひとさまの手紙を読むなんてはしたない。
ましてそれが恋文ならば、悪趣味の極み。
でも、読みたくなっちゃうんだよね。
で、文豪もひとの子。
青春の頃の思いは、滑稽なほどに純粋だ。
川端康成さんの恋文があらたに見つかったという。
日経のサイトに川端から婚約者に送るつもりで書いて結局なんらかの理由で投函されなかった手紙の現物が掲載されている。
いやあ、文章そのものも、なんだか思いつめていて胸が痛くなるのだが、手紙っていうのがまたなんともいえずいいね。
送った手紙に返事がこないことの不安。
メールなら、早ければ届いた数分後には簡単な返信、たとえば、見たよ、くらいなら返せるけれど、手紙は自分から相手に届くまでの時間、さらに相手から自分に返信が届くまでの時間、って早くても数日はかかるからね。
その待つ時間のもどかしさは、苦しいけれども貴重な時間だったりして、ああ懐かしい。
それに比べて現代は、瞬時にやりとりできて、わかいひとにはこういう気持ちがわかるまい、などとはいうなかれ。
やっぱり現代は現代なりに現代的な青春の苦悩があるのだ、たぶん。
それは時間の速さや手段の便利さとは無関係に、古今東西、どのひとも通ってきた甘い苦悩。
川端さんのこの婚約は、結局、果たされないことになってしまったらしいけれども、その経験が、彼を文豪たらしめる要素のひとつになったことは、きっと間違いないだろう。
それはちょうど、ぼくたちがぼくたちの経験を通して、いまのぼくたちとして生きているのと同じように。