スタッキングっていうことばをここで初めて目にしました。
積み重ねること、特に日本では、揃いの食器や家具などを積み重ねることをいうらしいです。
で、この作品では、揃いの食器や家具ではなくて、オフィスで働く男女がスタッキング可能、ってことをアイロニカルに表現しているようです。
それは人間を積み重ねることができる、ってことじゃなくて、積み重ねることができる揃いの食器や家具のように、誰かと誰かを入れ替えても全然問題なし、ようするにスタッキング可能なひとびと、ってことでしょうか。
ぼくはこのあたりの予備知識を書評で持っていたので、そういう視点で読んでいたのですが、それを知らずに読み始めると、きっと読みながら、めまいのような不安定な感覚にとらわれたことでしょう。
論理パズルが好きでこの作品を読みたいと思っているひとはこの先を読まないことをお勧めします。
以前からある赤い電波塔と、最近あたらしく建った青白い電波塔の見えるオフィスビル。
そのなかで働くひとびとが登場人物です。
あるフロアで働くA田とB田という男性社員が、D田などの女子社員の批判をネタに飲んでいるかと思うと、唯一褒められていたCちゃんことC田の職場のチームリーダーはオランウータンだったりして。
D田はD山と階段ですれ違うときに同志であると感じたりして、このあたりからスタッキング可能の空気が漂い始めます。
別のフロアではF野とG野という女子社員が、B野という男性社員の批判をネタにランチを食べている横で、男性社員のE野はくだらない会話ばかりしている会社の女子社員たちを見て、同じ女性でも自分の妻とはかなり違うなあと感じたり。
さらに異なるフロアではF川とG川という女子社員が、いい男がいないなあと嘆いていると、そばにいたE川という男性社員は自分も男なんだけどなあと嘆じていたり。
と、こうやってまとめてみると、なんだかこの作品の構造がわかってきたような気がする。
論理クイズをやっているみたいだ。
こういうたくらみのある小説は嫌いではない。
それにしても登場人物がみんな何かに不満を持ち、何かに怯え、何かに怒っている。
このわかりあえないいらいらこそ人間をスタッキング可能な家具に仕立てあげる原因であるのかもしれない。
表題作のほかにも、“マーガレットは植える”、“もうすぐ結婚する女”という作品が収められていて、マーガレットの植え具合の侘しさというか儚さというか虚しさというかに身につまされつつ、どことなく絶望と隣り合わせの希望の気配を感じられるような気がして、もうすぐ結婚する女もうすぐ結婚する女と執拗に繰り返される主語のリズム感とそのねじれ具合というかズレ感というか読んでいくうちに自分が何の話を読んでいるのかわからなくなるような、そんな読書のたのしみを提供してくれるこの松田青子さんという作家さんは、なかなかやるな、というそういう印象で嫌いじゃない。
っていうか好き。
それからさらに、ブリッジ的にというか箸休め的にというか挟み込まれた“ウォータープルーフ嘘ばっかり!”というコント台本的な連作が、女性たちの日常の疑問や不満を垣間見せてくれているようで、ぼくのツボにはまるのであった。
まあちょっと理屈っぽく考える女性たちではあるんだけどね。
化粧品への批判のところとか、ぼくにはよくわからないのだけれども。
――スタッキング可能――
松田青子