予約の時間にクリニックに赴く。
これが終わればおなかいっぱいごちそうを食べてやるぞ、と目論んでいる。
なにしろ昨夜の午後8時から絶食中なのである。
すぐに検査室に通される。
かわいい感じの看護師さん、もしかしたら専門の技師かもしれないひとがそこにはいた。
このクリニックにはこんなひともいたのか。
眠くなる薬はどうしますか?
この検査は気持ち悪いとのイメージが植えつけられているため、念のためお願いする。
喉の麻酔をしますので、上を向いて口を開けてください。どろっとした液体の麻酔薬を流しますので、うがいみたいに軽くごろごろして、それから5分間上を向いていてください。麻酔薬は飲み込まないように。5分経ったら洗面所で麻酔薬を吐いてください。
注射器のようなものを手にそういう。
喉に注射針か、と身構えるが、よくみると先端には針はついていない。
ただのピストンのようだ。
言われたとおりに口を開けて上を向く。
きっと間抜けな顔になっていると思う。
ピストンからどろりとした白い液が口から喉に注ぎ込まれる。
ごろごろ。
しばし、口を開けたまま上を向く姿勢を維持する。
しかし、5分間も液を飲み込まずに喉で維持するというのは至難の業だ。
呼吸をすると、ついつい飲み込みたくなる。
食道と気道が別物であることは知っているが、それでも呼吸をすれば喉が動き、食道に流し込まれた麻酔の液もおのずと下がる。
唾液も飲み込みたくなるのでなおさらだ。
辛かったらときどき下を向いてもいいですよ。
そう言われたが、すでにかなり飲み込んでしまったと思う。
だんだん、喉のあたりがふわーっとなってきて、これは麻酔が効いてきているということか。
ようやく5分が来て洗面台で喉のものを吐いたが、それが麻酔薬なのか唾液なのかわからない。
それでは横になってください。
しばらくしたら先生が来て、すこしきつい麻酔薬を喉に噴霧しますので、今度は3分間上を向いておいてください。3分経ったら、このティッシュのうえに吐いてください。
医師がやってきた。スプレーで透明の液体を喉に向け噴霧される。
これも3分も飲み込まないなんて無理だ。
やがて、むせ始める。
どうしても麻酔が効いてくるとむせてくるので、苦しかったら座って上を向いていてもいいですよ。
そのとおりにする。
検査室の中で何かの機械が刻む、ぽっぽっぽっぽという電子音のリズムと、風を送るようなぶーんという音が聞こえる。
天井も壁も床も白い部屋。
3分経って麻酔薬だか唾液だかを、ティッシュに吐き出す。
また寝転んでくださいね。
そういって右腕に血圧計を人差し指の先には何を計るのかしらないがクリップみたいな器具をつける。
左腕には点滴の針を刺す。
ひじの裏じゃなくって腕の部分でやりますから。
そういって手首の下あたりをぱんぱんと叩く。
ぱんぱんという間抜けな音が検査室にひびく。
こんなことで血管がほんとうに浮き出るのだろうか。
点滴の針を刺す。
これでもう身動きできない。
やがて医師が再びやってきて、もう一度、麻酔薬を喉に噴霧する。
同じように3分間。
すっかり喉の全体と舌などの口の一部に麻酔が効いている。
もはやまともに返事などもできなくなっている。
そのあと、左向きに横向けになるよう指示され、口元に管を通すためのマウスピースを装着される。
挿入中の唾液はこのタオルのうえに流しっぱなしにしてください。決して飲み込まないように。
ちょっとした羞恥プレイ。
いよいよくるか。
あれが食道を通り胃に侵入する感覚はどんなふうかな、と好奇心も湧いたが、そう思っているあいだにだんだんと眠気がかぶさってくる。
ああ、これはまずい、寝てしまうかも、せっかくだから眠くなる薬はやめておいたらよかったかな。
こういう体験をリアルに経験することは滅多にないからな…。
目が覚めると、ほかの部屋に移っていた。
あっという間に眠ってしまったようだ。
なにもかもがもう終わっている。
どれくらい眠ったのだろう。
ふと時計を見ると、かなりの時間が経過していた。
ほとんど気を失っていたようなものだ。
結局、うわさに聞いていたあの苦しみというものは何もなかった。
ただ、喉の麻酔と、眠気で体がとてつもなくだるい。
それにしてもどうやって検査室からこの部屋まで移動したのだろう。
自分で歩いたという記憶はまったくない。
まさかストレッチャーか何かで運ばれたとか。
目が覚めましたか。
そういわれ、診察室に通された。
結果は2週間後、との医師の話をきいてから、先ほどとは別の看護師による補足説明。
食事は1時間後におかゆかうどんで、夜も消化に悪いものは食べないように、明日からはふつうに食事してください。
なーにーっ!!おかゆかうどんだと!!検査後のお昼のごちそうを楽しみにしていたのに!!
無念。無念。無念。
ふだん、食べることにさほどの執着がないタイプではあるが、食べる予定だったものが食べられなかったときの残念さというものを痛切に感じた瞬間であった。