おめでとうございます!
川上未映子さま!
短編集“愛の夢とか”で谷崎潤一郎賞受賞!
そういうわけで、今日は芦屋ルナ・ホールに記念講演を聴きに行ってまいりました。
4月の“愛の夢とか”刊行記念サイン会ぶりの生未映子さまです。
なんだかんだで、生未映子さまもこれで4回目。
もう緊張することもなく余裕です。
冒頭、なぜか芦屋市長があいさつしていましたが、あれはいりません。
失礼しました。主催者だから必要ですよね。
以前、この場所で読書サロンが開催された時にもおっしゃっていましたが、阪神淡路大震災が起こった時には未映子さまは18歳で高校生。
その年の秋には大阪京橋の駸々堂書店(いまはないらしい)で書店員をしていたんですね。
そこで村上春樹さんが芦屋と西宮で朗読会をすることを知り、幸運にも2日とも参加できたとのこと。
村上さんの短編“めくらやなぎと眠る女”の一節、風が吹くところが芦屋を感じさせるそうで、未映子さまにとっての芦屋はそのイメージとつながるそうです。
というより、未映子さまにとっての芦屋は、村上さんの“めくらやなぎと眠る女”の風そのもの。
あたかも自分自身がその風に吹かれたことがあるかのような印象を持っているとのこと。
そこからフィクションと現実のさかいめの話に入っていきます。
“愛の夢とか”に収められた短編7本のうち、震災後に書いたのは5本。
短編集を編むときに、どういう意識が働いたのか、震災後の5本だけでなく、震災前の2本にもどこかしら陽気ななかに不穏の影を感じさせる作品を選んでいたとのこと。
どの作品にもゆるやかな断絶のようなものが描かれているといいます。
“三月の毛糸”では、三月でさえも毛糸でできているというイメージが夫には伝わらない。
震災後に書かれた数多くの小説はたとえば2つに分けられる。
震災前のことを描いたものと震災後のことを描いたもの。
「いま」をことばで捕まえるのはとても難しい。
「あの日」にも「前の日」というのが必ずあって、「前の日」には「あの日」が来るなんて予想もしていない。
そして「きょう」という日は「あの日」の「前の日」なのかもしれない。
違うかもしれないけれど、絶対に違うといえるひとはいない。
だって「あの日」の「前の日」には「あの日」が来るとは思ってもみなかったわけだから。
あの震災を経験することによって、日本で暮らす多くのひとが、「きょう」は「あの日」の「前の日」かもしれない、という意識を“刻印”されたのではないか。
わたしたちは、記憶力で過去をみて、想像力で未来をみることを強いられている。
いつでもどこでも、「きょう」が3月10日かもしれないと考えないわけにはいかない。
記憶とはなにか、想像とはなにか。
フィクションが現実や経験を塗り替えることがある。
武田百合子さんの作品中に、夫の武田泰淳さんがびわを食べる描写があって、その描写があまりにも印象的なために、未映子さまにとってのびわの印象そのものになっている。
自分が経験したびわのイメージとはまったく違うにもかかわらず。
フィクションである小説の役割には、「前の日」にいながらにして、「前の日」とは異なる場所に読者を立たせてくれるというものがあるのではないか。
たとえば、ふだん、先鋭的、前衛的な活動をしているミュージシャンが、震災後にフォークギター片手に絆なんて歌っているのを目にした。
わかりやすいシンプルなメッセージももちろんあってもいいのだが、震災とは関係のないような顔をしながらやってきて、それでも何かを残して去って行ったという、そういう作品にこそ心を奪われた。
大島弓子さんの“バナナブレットのプディング”の冒頭で、転校生の衣良が言ったことば、「きょうは明日の前日だから だからこわくてしかたないんですわ」というのは衝撃的だった。
途中から箇条書きになってしまいましたが、そんな感じ。
最後に、聴衆から質問されて、今後の長編についての構想も、言える範囲で語ってくださいました。
言える範囲で、っていうのは、言っちゃうともう満足して、だれかそれで書いてくれないかな、って気分になってしまうからだそう。
で、出す本出す本、なにがしかの賞を受ける未映子さまではあるものの、自分の弱点というか課題というのは認識しており、これまでの長編はあくまでも短編の延長線上にあるもので、次回作は、時系列の年表のようなものを作りながら時代考証も交えて描くとともに、自分が全く共感できない女性を主人公にして書こうと思っているとのこと。
苦手を克服していかないと、自分の40代は暗い、ともおっしゃっていました。
うん、みずからに厳しい姿勢には好感がもてます。
ぼくは未映子さまの短編や詩が特に好きなのですが、長編ももちろん読みますよ。
で、きょうはさらにうれしいことがありました。
この場で、質問の機会に恵まれ、“三月の毛糸”について質問できたこと。
最初は質問するつもりはなかったのですが、お話を聴いていて、ちょっと質問したいことができたのでダメ元で手を挙げたら選んでもらえました。
好きすぎて、緊張して、声が震えてしまい、我ながら情けなかったけれど、質問ができて、それに対して未映子さまがていねいに答えてくださったのが、とても良い思い出になりました。
今年の良いことはこれでもうおしまいでもいいです。
っていうか、もうこれで未映子さまのファンは一生やめられないなあ。
あ、完全にミーハーな文章になってしまいましたが、もし最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら、ありがとうございました。
――「物語と『前の日』」 第49回谷崎潤一郎賞受賞記念特別講演――
川上未映子