野田秀樹さんのオリジナルかと思っていましたが、原作は木村錦花さんだったんですね。
野田さんは脚本と演出。
なかなか敷居の高い歌舞伎。
それをぼくのような庶民にもリーズナブルに観させてくれるのがこのシネマ歌舞伎です。
現在ではお金持ちの旦那衆やマダムたちのぜいたくな娯楽となってしまいましたが、もともとはカブキモノたちのやんちゃなお芝居。
お芝居でもなんでも舞台を映像化すると、どうしても迫力や臨場感が失われ、本来のものとは違うものになってしまうのですが、映画館の大スクリーンで観ると、それなりに迫力があります。
それに舞台では決して見られないアングルからの映像や、役者の表情なども映像ならでは。
それでも観終わった後には、やっぱり歌舞伎座に行って生で観てみたい、と思いました。
あらすじはこんな感じです。
赤穂浪士の討ち入りに感動するひとびと。しかし刀研ぎから侍になった守山辰次(略して研辰・とぎたつ)は不満顔。そもそも殿中であんなことをしてはしけないと知っていながら、我慢できなかった浅野内匠頭がよくない。それに四十七士も美談となっているが、もしかしたらやむにやまれぬ事情で、いやいや参加したものもいるのではないか。予期せぬ行き違いから、仇討の敵になってしまった研辰。追うものと追われるもの。討つものと討たれるものを描いた歌舞伎狂言。
野田さんの作品にしばしば出てくるテーマ、野次馬たちの暴力、というのをこの作品では感じました。
討つものも討たれるものも、世間という野次馬に翻弄されます。
純粋な仇討ではなく、世間の期待、あるいは世間の圧力による仇討へと、討つものも討たれるものも追い込まれていきます。
これは仇討に限ったことではありません。
真におそれるべきは世間。
それにしても中村勘九郎あらため中村勘三郎さんの演技はすごい。
野田さんの芝居とは抜群の相性です。
勘三郎さんと野田さんが瓜二つに見えました。
野田さんによる早口の長台詞と言葉遊びを完璧に自分のものにしていました。
それに愛されるオーラを全身にまとっているよう。
これはモテるに違いない。
追手役の市川染五郎さんと中村勘太郎さん(現勘九郎さん)のイケメンぶりもさわやかったらない。
さらに女形のみなさんの身のこなしとことばの表情の艶っぽさ。
これには惚れます。
そしてそして歌舞伎ならではの派手な動きと演出。
洗練された型の美、っていうのは若いうちには退屈でしたが、そろそろぼくにもわかるようになってきたかも。
能でも狂言でも、歌舞伎でも文楽・浄瑠璃でも、茶でも華でも、書でも和歌でも俳句でも、そして将棋でも、日本の美は徹底的に削ぎ落とされ記号化された本質の美なんですよね。
過剰の美も好きですが、省略の美も好きです。
あれ、歌舞伎って過剰の美だったような気もしますが、すみません、やっぱりよくわかっていません。
いや、やはりあれも過剰に見えて一種の型におさめられた形式美であるに違いない。
それにしてもまあ、たまにはこういうのもいいですよね。
初演は平成13年ですが、シネマ歌舞伎としての収録は平成17年です。
ちなみに予告で流れていた、坂東玉三郎さんの鷺娘/日高川入相花王、京鹿子娘二人道成寺はみるからに美しい舞踊のようです。
――シネマ歌舞伎 野田版 研辰の討たれ――
作 木村錦花
脚色 平田兼三郎
脚本・演出 野田秀樹