弟子 | (本好きな)かめのあゆみ

(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

師弟関係というものにあこがれる。


かつては

尊敬できるひとに出会ってそのひとの弟子になりたいと望んでいたが

最近では

ぼくのことを尊敬して弟子になってくれるひとに出会いたいと思っている。


まあこんな甘い希望を抱いている時点で誰にも尊敬されないわけだが。


理想的な師弟関係といえば

プラトンさんが描いたソクラテスとその弟子たち

島田雅彦さんが彼岸先生で描いた先生と菊人

夏目漱石さんがこころで描いた先生と私。


すぐに思い浮かぶのはそれくらいだけれどたぶんもっとある。


中島敦さんの

弟子

を久しぶりに読み返した。


これまでにも何回も読んでいる。


以前から気に入っているのだが

読み返すたびに作品の素晴らしさにうなる。


孔子と弟子の子路の関係を中心にした物語である。


孔子といえばぼくは

この中島敦さんの弟子と

井上靖さんの孔子が

ごちゃまぜになって記憶に残っているので

どのエピソードがどちらの話だったかわからなくなっている。


もともと腕っぷし信奉者だった子路が

この学者風情がとあなどって孔子にまみえ

すっかりその魅力のとりことなり弟子入りするところから物語が始まる。


子路の一本気が実に清々しい。


何歳になっても

どれだけ孔子の教えを受けても

その核となる義侠心は消えることなく

最期を迎えることになる。


孔子の予言通りとなる。


孔子の予言と書いたが

孔子の人間洞察と書いた方が適切なのだろう。


孔子の思考は2500年の時を超えてなお実際的である。


それもそのはず

人間の行動パターンなんて時代とともに変わるものではないのだ。


若かりし頃にはよくわからなかったり道徳くさいと感じて取り合わなかった孔子のことばの数々が

よわいを重ねるごとに実感できるようになってきている。


ぼくが年をとっただけだといえばその通りなのかもしれないが

経験を積むごとにぼくなりにわかってきた人間という生き物の正体が

孔子の洞察に近付いていることの証だといえば

それはぼくが調子に乗りすぎていることになるだろうか。


中島敦さんの極度に濃縮された堅牢な文章が冴えている。


いま、こういう文章を書ける作家は日本に存在するだろうか。


子路が道中で出会った隠者とのやりとりが今回は特に印象に残った。


隠者として自分の身ひとつを全うして生きるその老人と

報われることがないにもかかわらず実際的に世を正そうと奔走するわが師、孔子をならべてこう思う。


――孔子の明察があの老人に劣る訳はない。孔子の慾があの老人よりも多い訳はない。それでいて尚かつ己を全うする途を棄て道の為に天下を周遊していることを思うと、急に、昨夜は一向に感じなかった憎悪を、あの老人に対して覚え始めた。


ちなみにぼくは

中庸

という考え方がかなり好き。







――弟子――

中島敦