いつの頃からか、ぼくの目が時間を超越するようになった。
たとえば、よちよち歩きの赤ん坊を見ると、その赤ん坊が10歳になればこんな姿かな、20歳になればこんな姿かな、80歳になればこんな姿かな、という想像が瞬時におこなわれ、そのイメージが脳内で画像として浮かび上がるということだ。
ああ、この子は精悍な顔つきのいい男になって、少し近寄りがたい雰囲気もあるけれども、親しくなると安らげるタイプだな、なんて赤ん坊を見て思い浮かべる。
あるいは、この子は小柄だけど理知的でスマートで清楚な女性になるタイプだな、とか。
まあ、赤ん坊の場合は、かなりその両親のイメージが重なってしまうのだが、おじいさんやおばあさんを見ても、同様のイメージがわいてくる。
つまり、10歳の頃はこんな風貌で、20歳の頃はこんな風貌で、40歳の頃はこんな風貌だっただろうな、という想像だ。
ああ、いまはよれよれのおじいさんだけど、きっとこのひとは20歳の頃はハンサムで女性にモテていたに違いない、とか、このおばあさんは、20歳の頃はとびきりのモダンガールで男たちを振り向かせずにはおかなかったに違いない、とか。
そのひとの絶好調の時代をプロマイド風の写真でイメージして、うっとりしてしまいさえする。
白髪まじりであったり、顔に皺が刻まれていたりしても、これまでの生き方というものは確実に顔にあらわれる。
だらしがなくて、いいかげんに生きてきたひとは、話をしなくても顔を見ただけでだいたいわかる。
顔のつくりがいいとか悪いとかは、もちろんいいに越したことはないけれども、年齢を重ねるにつれてあまり問題ではなくなってくる。
生き方のほうがより重要だ。
だからぼくなんかは、年齢を重ねれば重ねるほどいい感じに仕上がってきている。(というのは誰も確認できないので自己申告制であるが。)
そういうわけで、男性なら、この子があるいはこのおじいさんがぼくと同じくらいの世代だったら、きっと仲良くなれそうだ、とか、女性なら、この子があるいはこのおばあさんがぼくと同じくらいの世代だったら、きっとデートに誘いたくなるだろうな、とか、そういう目で見てしまうことがある。
タイムレスな目でひとを見るっていうのも、結構たのしいぼくの趣味なのである。
みなさんもぜひおためしあれ。