あのひとのまわりにはいつもたくさんのひとが集まっている。しかもみんな楽しそう。あのひとだって楽しそう。華があるっていうのかな。こういうのに男女の区別はないよね。心の底から、うーんうまく言えないな、なんていうかあのひとをとりまく空気そのものがみんなを幸せな気分にさせる粒子をたくさんたくさん含んでいるっていう感じ。きっと伝わらないだろうけど。でもぼくだってそう感じるんだ。幸せな気分。このぼくがだよ。どんなことだって斜めや後ろから見る癖がつきすぎていてまっすぐに素直に喜んだり楽しんだり悲しんだり寂しがったりそんな感情を忘れてしまったようなぼくなのに。あのひとはきっとまっすぐに世界と向き合っているんだ。素直に。斜めから世界をのぞくなんてことはしないんだ。きっと。そう思ってた。
けれどもある瞬間、あのひとの頬に浮かぶ孤独の影を見たんだ。それはほんの一瞬。たぶん誰にも気づけないくらいの刹那だった。そしてすぐにもとの幸せな空気があたりを満たしたんだけどね。だけどぼくは見逃さなかった。ぼくの印象に焼きついた。いろんな角度からいろんな視線を送るぼくの特性がそうさせたのかもしれない。あれからぼくはあのひとのあの影のことが頭から離れなくなった。ときにはぼくの気のせいだったのかもなんて思うんだ。だってあのひとはあれからも変わらずにいつものように幸せな空気に包まれているからね。もちろんまわりのみんなも。あの影は錯覚?
ある夜、パーティーの帰り道、ぼくはたまたまあのひととふたりだけで駅に向かっていた。さっきまで一緒に騒いでいたみんながどういうわけか順番に会場から消えていったんだ。あのひととふたりだけになるなんてことはいままでなかった。ほんとうにたまたまだと思うんだけど。少し酔いもまわっていたのかな、うっかりぼくはあのひとにきいてみたんだ。
――いつも楽しい雰囲気に囲まれていてうらやましいですね。
あのひとは少し笑いながら、そうかな?って言った後、うんそうだね、って頷いた。
――そうですよ、だっていっつもいろんなひとが集まってきて、これって魅力的だってことですよね、ぼくもそう思います。
――ありがとう、それはほんとうにうれしいことだよ。
――どうやったらそんなふうにまわりのひとを楽しい気分にさせることができるんでしょう?ぼくもそんなふうになりたいです。
あのひとはしばらく考えてこう言葉をつないだ。
――だったらね、ひとりで生きてくって決めるのがいいよ。
突然あのひとが言った思いがけない言葉にぼくはびっくりした。だってひとりで生きてくってのはあのひとの雰囲気とは正反対のやり方のような気がしたから。
――ひとりで生きてくって決める、ですか?どうしてひとりで生きてくって決めるとまわりのひとを楽しい気分にさせることができるんですか?よくわからないなあ。
――はは、冗談だよ。ほんとうはわたしにだってよくわかんないよ。やりたいようにやってるだけだから。
――なあんだ、ひっかかっちゃったなあ、なにか深い名言なのかもって思っちゃいました。
その夜、ぼくは夢をみた。あのひとは桜の森の満開の下にいて、みじろぎもせずにじっと地面に座っている。風もないのに勢いよく散るさくら吹雪。うすももいろの花びらがあのひとに降り積もる。
――ひとりでなくっちゃだめなのかい。――ひとりでなくっちゃだめなんだ。――わたしも連れていっておくれよ。――だめだ、ひとりでなくっちゃだめなんだ。――どうしてひとりでなくっちゃだめなんだい。――どうしてもひとりでなくっちゃだめなんだ。――そんなの理由になっていないじゃないか。――理由なんてない、だけどひとりでなくっちゃだめなんだ。
幻影との対話?桜の森に住む鬼のまやかし?どうしてあのひとはひとりにこだわるのだろう?ひとりは寂しいじゃないか。ぼくは夢の中だとわかりながら叫ぶ。
――ひとりでなくてもいいでしょ、ぼくもみんなも一緒に行きましょうよ。
あのひとは静かにわらってこう言った。
――ひとりでなくっちゃだめなんだよ。すべてはひとりから始まるのだから。
いつしか桜吹雪はまっしろな雪に変わっていた。