そこを知りたいとあのひとはいう | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

男が追っ手に狙われている。


危機の連続。


--ねえねえ このひとどうなるの? やられるの? 助かるの?


--え。


ことばに詰まる。


--それって質問? それとも自分がいま抱いているどきどき感を共有するために口に出して表現しているだけ?


--いや 質問。 あなたこの映画を観たことあるのよね。


--え。


またもやことばに詰まる。


--ああ あるけれども。 そりゃあ男がこのあとどうなるかも知っているけれども。 でもそこを先に知りたいの?


--そう 知りたいの。 だってその方が安心して観ていられるじゃない。


そういう映画の愉しみ方があるとはつゆ知らず。自分のなかで先を想像したりその想像が裏切られたりするのが愉しいんじゃなかったっけ。ぼくなんて以前に観たことのある映画でさえあえて記憶を消去してあらたな気持ちで観るように努めているくらいなのに。いや努めているっていうのは大げさで実際にあらかた忘れているんだけれども。


そういえば彼女はカサブランカを飽きずに何回も観ているようなタイプ。


--学生のときの読書感想文のときなんかでもあらすじだけを先に読んでからそのあらすじをたどって全体を読んでいたのよ。だって先が見えないとしんどいじゃない。ときにはあらすじだけを読んで感想文を書いていたこともあったわよ。感想文なんて本の中身を書くよりも本のキーワードと自分の生活とをクロスオーバーさせて書いたほうが受けるのよ。そういえばあらすじって最後のオチの部分を隠していることが多いけれどもあれはむしろ書いていてほしいものよ。あらすじというよりもダイジェストね。


そういうものか。ぼくには真似はできないし真似する気にも到底ならないけれどもそういうひとがいることを頭のすみに留めておこう。


けれどもこれだけはお願い。


決してぼくにはオチを先に教えないでください。