予防接種と同調圧力 | (本好きな)かめのあゆみ

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先日、インフルエンザの予防接種を受けてきた。ここ10年くらいは毎年この時期に受けるようにしている。自分がインフルエンザにかかるのが嫌だからなのだが、おかげさまでかかっていない。予防接種を受け始める以前でもかかったことはないのだが、これはこれでやはり効果かなと思う。というより、普通の風邪もひきにくくなっているような気がする。気持ち薬のプラシーヴォ現象であるとしてもありがたいといえばありがたい。もはやお守りと同じパターンで一度始めたらやめられないという気持ちにもなっている。


ところで、数年前から職場でも予防接種を受けるのが推奨されるようになった。大流行があった年くらいからだろうか。いわく、インフルエンザにかかると回復しても数日間は外出禁止になるので仕事に影響がでる、無理をして出社して他のメンバーに感染させる可能性もある、だからしっかりと健康管理をするのも職務のうちである。


なんだかこの発想は嫌だ。ぼくはもともと自主的に受けているのでどうってことはないのだが、注射嫌いの人だっているだろうし、そもそも人から強制されてなにかをするっていうこと自体が結構な苦痛であるのだから、たとえ言葉は「推奨」であったとしても事実上の社命みたいなものだ。


さらに気味が悪いのは、社命なら同僚どうしで世知辛い世の中になったねなんて愚痴りあえるところなのに、同僚どうしですら予防接種は受けて当然という雰囲気になっていることだ。まさに無言の同調圧力。確かに誰かからインフルエンザを感染させられてはたまったもんじゃないけれども、満員の通勤電車やらなんやらでこんなに人が多い都会で感染しないなんてそもそも無理なんじゃないか。ぼくは同調圧力は嫌いです。


けれどもマナーとかエチケットという文化もたいせつにしたいので、やはり予防接種は自主的に受けるべきなのかな。迷う。いや、ぼくは受けてるんだけど。それに、予防接種を受けたからって感染しないわけじゃなくて、感染はしても症状をすこし緩和させられるってことだろうから、自分がウイルスを媒介しないためにも、手洗い、うがい、マスクはマナーやエチケットになるんだろうな。いや、ぼくはそれもするんだけど。人には強制したくないというか。っていうか強制されなくても自主的にみんなしてくれたらいいのにな。それって社会人としてのマナーでしょ。


あ、なんかスタートとゴールの論調が異なっているぞ。言われなくても自主的にしろ、っていうぼくこそが同調圧力の発生源だったのか。てへ。それにしても、予防接種を受けたクリニックは家族連れが多かった。両親とこども2人のあわせて4人でしめて10,000円也。こどもたちは後日2回目も受けるからさらに5,000円追加也。家族で冬を越すのにはなんとお金がかかることよ。