マイケル・サンデル教授の
これからの正義の話をしよう
カミュの
シーシュポスの神話
プラトーンの
パイドーン
を並行読み中。
哲学づいています。
シーシュポスの神話は
寓話かなと思って手を出したので
読み出してあまりの難解さに
ページが一向に進みません。
それでも
こういった本は
いろいろ考えるきっかけになります。
他愛もないことですが。
さて環境と才能。
あなたがこれからこの世に生まれるとして
生まれ方を自分で選べるとしたら
次のどのパターンを選びますか?
①超お金持ちで死ぬまで生活には困らないが
家族が険悪な関係で本人も極めてバカ。
②極めて貧乏で毎日の食べるものにも困るが
家族の人柄がよく本人にも何かしらの才能がある。
月並みな問いかけですが
いろいろな問題がここには示されています。
どういう経済環境の家庭に生まれるかについては
本来は自分に選択の余地はありませんので
偶然のものです。
どういう家族のもとに生まれるかについても
自分に選択の余地はありませんので
偶然のものです。
どんな才能や能力を持って生まれるかについても
自分に選択の余地はありませんので
偶然のものです。
偶然のせいで
スタート地点から不公平なゲーム。
それを運命と割り切るには
あまりにも残酷です。
そういうわけで
共同体を維持していくために
偶然による不公平感を和らげる
いろいろな仕組みがつくられていくのです。
偶然による恵まれた環境によって得たものは
あなただけのものではなく
共同体のために還元されるべきである
と。
ところであなたが努力して何かを得たとしたら
それは偶然ではなくあなたの力によるものだと
思いますよね。
でもその
努力する
という能力そのものが
偶然に与えられた環境や才能によるものである
とする考え方もあるようです。