私は帰りのフライトの関係で披露宴には参加できなかったのですが、招待者数は4~5000人とのこと。また、招待客が家族を連れてくるので、参加者はさらに増えそうです。本当に桁が違う披露宴です。日本のセレブ婚もびっくりの規模ですね。
- 前ページ
- 次ページ
私は帰りのフライトの関係で披露宴には参加できなかったのですが、招待者数は4~5000人とのこと。また、招待客が家族を連れてくるので、参加者はさらに増えそうです。本当に桁が違う披露宴です。日本のセレブ婚もびっくりの規模ですね。
招待客は会場の部屋には座りきれず、壁際に立っている人が大勢いました。いよいよ新論新婦が入場してきました。奥さんは本当にきれいで、衣装も伝統的なヒンドゥーのものでした。彼らはカーストが当然同じで、バラモンの次に来るクシャトリア(戦士階級)の中でもマハラジャらを構成するラジャスターン(太守)階級に属しているとのことで、かなり高い階級同士のようです。ひととおりお披露目の儀式のようなことが終わると、招待客はホテルの庭やプールサイドに案内され、あらゆる種類の飲み物と食事が提供されます。まさに食べ放題、飲み放題です。そしてバンドのステージや踊るための場所も設けられ、みな思い思いに楽しんでいます。私も連れられて踊ることになりました。
その後、今度はまた会場に戻り、宗教儀式が再開されます。新婦が新郎の妻として、家族として認められるための儀式のようです。その後、親族や友人たちがそれぞれ二人の手や足に触ってお祈りとお布施を渡す儀式が延延続きました。
さらに、今度は紙でできた米をまきながら、僧侶と一緒に何周も回る儀式。これが朝の五時まで続きました(長い!)。これが正式の結婚式で、5、600人くらい来ていたいようです(多い!)。ヒンドゥーにとって結婚式はとても大事な通過儀礼なのでしょう。
昨夜は高輪プリンスホテルの庭園にて花見をしました。去年も花見に参加したのですが、強烈に寒く、桜もほとんど咲いていなかったという悲惨な状況の中、屋外で体を温めるために熱燗や焼酎のお湯割りを注文しまくっていました。今年は、桜は完璧なタイミングで、本当にきれいに咲いていました。去年に比べれば寒さもそれほどではなく・・・。でも、やっぱり日が落ちると寒くなり、毛布をもらい、結局去年のように焼酎のお湯割りを注文しまくることに・・・。
そして一夜明けた日曜日、今成田空港にいます。そう、またまたインドです。インド出張中に桜が散ってしまうのかと思うと残念ですが、ダッシュで帰国してまた見たいものです。では、行ってきます。
何とか友人の家に戻ると、門から玄関までは人であふれかえっていました。その群衆の中を進もうとしていると、以前に会った人が見つけてくれて、玄関の近くまで行くことができました。玄関の前には人だかりができており、たくさんの女性が新郎である友人を囲んで宗教上の儀式を行っていました。友人の頭には冠がかぶせられていました。その儀式が終わると、彼は本物の花で飾られた車に乗せられ、会場へと向かいました。
私たちも親族の車で彼を追いました。結婚式会場の裏手に着くと、そこには軍楽隊のようなマーチングバンドが道路に整列していました。そのバンドの後ろには、電飾を抱えた人が続き、その後ろに電飾の電源を運ぶ人たちがいました。参加者が集まると、バンドの隊長が演奏開始の指示を出し、行進を始めました。私たちもその行列に参加して道路を歩き始めました。彼らは完全に道路を封鎖しているため、車はその間はまったく動くことができません。行列は進み、クラクションを鳴らして迫る車をまったくものともせずに道路を横断し、さらには車線を行進し始めました。まったくの交通ルール無視ですが、誰も気にしていません。ついに行列はランナバウト(信号のある交差点の代わりの周回道路)に進入し、堂々と会場のホテルに向かって歩き続けます。警察も気にしていません。
会場のホテルに着くと、ホテルは一棟ごと貸し切られており、ホテルの建物全体が電飾で飾られていました。会場での出迎えを受け、一人一人本物の花でできたレイをかけてもらい、会場に入りました。そこで、新郎新婦の登場を皆で待ちました。
昨夜の内輪の行事と儀式が終わって二日目。友人の家で朝食を食べていると、続々と親族や友人が訪れてきました。彼らの住んでいる場所も、デリー、ムンバイ(ボンベイ)、ネパール国境付近の村とインドの大きさを感じさせるほどバラエティに富んでいます。製薬会社、新聞社、弁護士事務所と職業も皆様々です。彼らといろいろ話をしました。結婚について、インドでは友人のようにお見合い結婚がほとんどだが、最近では恋愛結婚(love marriage)も若者の間では少しずつ増えてきているとのこと。どちらがいいというのは簡単ではないようです。私やオーストリアから来た友人は、恋愛結婚が普通という感覚を持っていますが、オーストリアでは離婚率は50%ぐらいと極めて高いとのこと。その友人や彼女の親が再婚を(複数回)しているため、家族の行事にどこまで呼ぶか(元妻の連れ子…や元妻同士が一同に会うことになる。)気を使うこともあるといいます。インド人から見れば、恋愛結婚でもそんなに離婚するのであれば、恋愛結婚がお見合い結婚よりもいいとはいえないだろう、ということになります。しかし、インドでの離婚の難しさが社会慣習や宗教上の理由に基づくところが大きいという現実を考えるとこの立場にも簡単には与せません。
その後、野外の巨大テントにて昼食。ご飯をよそってもらい、いろいろな種類のルーをかけてもらって手で混ぜ合わせて食べました。テレビでは見たことがありますが、カレーを手で食べるのは初めてです。五感を使って食べるからなおおいしいのだと友人のおじいさん(80歳を超えているが元気だ)は言っていました。
この後、パトナに住む友人の幼馴染の弁護士にパトナ市内を案内してもらいました。パトナは道路事情が劣悪で、牛車も普通に道路を歩いており、走るごとに砂埃が舞います。家も今にも倒れそうなものも多いです。しかし、政府機関のビルは立派な宮殿のようでした。彼の奥さんの学んだクリスチャン系女子大もイギリス風の立派な建物で、広大な敷地を持っていました。貧富の差も激しいのかもしれません。その後、服を買ったりお土産を買ったりした後、彼の家でしばらくくつろぎ、友人の家に戻ることになりました。帰りの道はかなり渋滞しており、結婚式に間に合うか心配でしたが、何とかギリギリ間に合いました。
インドの結婚式に行ってきました。全てが初めてで驚きの連続でした。結婚式は3日間にわたって行われました。
友人の実家があるビハール州はインドではもっとも貧しい州のひとつとされています。成田からバンコク経由でデリーにまず入り、そこでオーストリアから来た共通の友人との再会を祝いました。翌日夕方にビハール州の州都であるパトナに移動。空港で友人のいとこらが出迎えてくれて、車で家まで連れて行ってくれました。実家は電飾で飾られ、イルミネーションで輝く様は、アメリカのクリスマスのようでした。家の横の敷地には幕で囲われた屋根がある巨大な会場が設営され、そこではバンドが音楽を演奏し、双方の親族や友人などが踊ったり、食事をしたりしていました。そこで、友人に再会し、いろんな人を紹介され、音楽にあわせて踊ったりしました。これは内輪の人を招いたこじんまりしたもののようでしたが、それでも70~80人ぐらいはいたようでした。
その後、友人は親族の女性たちとともに家に戻り、家のいろいろな場所で宗教的儀式を行っていました。カレー粉のような粉を額に塗りつけたり、家の外で壊れた甕を火であぶったり…そんなことを行っているうちに第1日目は終わりました。
先々週、「必ずお腹をこわす」と周りに散々言われながら無事に出張から帰ってきたインドに、明日からまた行くことになりました。
しかも今回は私用です。友人のインド人の結婚式に参列することになりました。
インドの結婚式と言えば、朝まで一日中みんなが踊り続けるとか、踊るマハラジャ(?)に会えるとか、またもや周りから無責任コメントをいただきました。そういえば、インド人のお祭りに行ったとき、みんなサリーを着て、片足を上げ、両手を斜め前に差し出し、視線を両手の先に向け、みんな踊り倒していました。また、「Bend It Like Beckham (ベッカムに恋して)」という映画での結婚式のシーンでも、みんな列を作って踊っていました。
- パンド
- ベッカムに恋して
ところで、私の友人の結婚も親の決めた相手との「お見合い」です。私の別のインド人(アメリカ生まれ、アメリカ育ち)も、親が決めた相手とのお見合いでした。インドではまだまだいろいろな事情があって、お見合いが多いのでしょうか。
いずれにしろ、今月二回目のインドへ行ってきまーす(^o^)丿
今週はインドのデリーに出張で行って来ました。インドは今までずっと行きたいと思っていたのですが、実現していませんでした。実は過去に一度行こうと本気で考えたのですが、そのときは体の調子があまりよくなくて、インドに行くと「必ずカレーや水でおなかをこわす」と考えて、代替案の「イスラエル」に行きました(ここも実は壮絶な旅でした…)。
今回は仕事だったため、観光地や遺跡を回るという機会はほとんどありませんでしたが、デリー自体は予想していた印象(車や人であふれ、水を飲めば必ずおなかを壊し、しかも暑い)はあまり強くありませんでした。今が一番過ごしやすい季節のようで、気温も湿度もそれほど高くありませんでした。街は確かに人が多く歩いており、中央分離帯に巨大な牛が何頭も座って休んでいたり、こぎれいとはとてもいえない街並みや道路でしたが、昨年末に行ったベトナムの光景と比べるとどれもおとなしいと感じました(ベトナムはとにかくバイクの嵐!!!無法地帯でした…)。今回は仕事のため、車で移動することが多かったためかもしれませんが。
それでも、いろいろと面白い事に気づきました。まず、ベジタリアンが本当に多かったが、ベジタリアンもどきもいた。たとえば、ベジだがエビだけは食べられる人(よくわからん…)。また、ヒンドゥー教にとって神聖なはずの「牛」が、実際にはかなりこき使われていた(重い荷物を引かされている牛が結構いた)。地元のビールもまあおいしかった。(たとえばKingfisher という航空会社が出している同名のビール もあった。しかし航空会社が同名のビールを出すなんて、飛行機のほうは大丈夫か、と思ったのは私一人だけではなかった…)。また、地元の飯屋で、「カレーは何がある?」と聞いて「?」という顔をされたが、カレー(Curry)という名前はイギリス人がタミル語のKari(黒胡椒)から作った言葉だったようで、伝わらなかった訳を後で納得。また、タンドーリ・チキンやナンというのも、インドの単なる一地方料理だったことも意外だった。ホテルの水も、紅茶に出される水も、どうも塩が入っているような感じで、やや塩辛かった。また、デリーとニューデリーは別の都市かと思っていて、どちらが首都なのかと思っていたが、実はデリーという大きな街の中に、オールド・デリーとニュー・デリー(英国が植民地時代に建設)があり、後者はコンノートプレース Connaught Place という巨大ロータリーを中心として放射状に路が伸びている近代的地区であるということ。この先にある大統領宮殿と政府庁舎のあたりは、英国総督時代の建物が建っているとても壮大できれいな場所であった(観光地ではないが)。
インドは、29の州と6の連邦直轄地がある巨大な国であり、ムンバイ(旧ボンベイ)、バンガロール、コルカタ(旧カルカッタ)、ゴアなど、場所が変われば言葉も民族も変わる巨大な国です。今月インド人の友人から結婚式に招待されています。何とか行きたいのですが、アクセスの悪さが問題です。もっと直行便が増えるといいですね(エアーインディアの信頼性はあまり高くないようなので、日系に乗り入れてもらいたいです)。ちなみに、帰りはデリーを夜の8時45分に出てシンガポールに朝午前4時40分に着き、午前8時15分にシンガポールを出て夕方午後4時過ぎに成田に着くというかなりハードな乗継でした…。でも「カレー」(って言ってしまいますが。本名は忘れてしまいました。)、特に魚のカレーはおいしかった!
もうひとつの詩は、E.E. Cummings の "i carry your heart with me" です。
妹マギーが姉ローズにこの詩を贈るシーンは感動的でした。
i carry your heart with me by E.E. Cummings
i carry your heart with me (i carry it in my heart)
i am never without it (anywhere i go you go,my dear;
and whatever is done by only me is your doing,my darling)
i fear no fate (for you are my fate,my sweet)
i want no world (for beautiful you are my world,my true)
and it's you are whatever a moon has always meant
and whatever a sun will always sing is you
here is the deepest secret nobody knows (here is the root of the root
and the bud of the bud and the sky of the sky of a tree called life;
which grows higher than the soul can hope or mind can hide)
and this is the wonder that's keeping the stars apart
i carry your heart(i carry it in my heart)
In Her Shoesで引用された2つの詩のうちのひとつは、Elizabeth Bishop の "One Art" です。
「失う技術をマスターすることは難しいことではない。」というフレーズが逆説的に示しているところの「失うことの意味、重さ」が、奔放だった妹マギーの目を開かせていきます。
One Art by Elizabeth Bishop
The art of losing isn't hard to master;
so many things seem filled with the intent
to be lost that their loss is no disaster.
Lose something every day. Accept the fluster
of lost door keys, the hour badly spent.
The art of losing isn't hard to master.
Then practice losing farther, losing faster:
places, and names, and where it was you meant
to travel. None of these will bring disaster.
I lost my mother's watch. And look! my last, or
next-to-last, of three loved houses went.
The art of losing isn't hard to master.
I lost two cities, lovely ones. And, vaster,
some realms I owned, two rivers, a continent.
I miss them, but it wasn't a disaster.
--Even losing you (the joking voice, a gesture
I love) I shan't have lied. It's evident
the art of losing's not too hard to master
though it may look like (Write it!) like disaster.


