ボクとうつ 4
大学卒業後の数年間、フリーターとしての日々を過ごしていました。
その後、IT企業に正社員(どちらかというと派遣社員に近い?)として就職しました。
最初は短期のシステムの動作テストの仕事で、これは難なく契約満了となりました。
次に証券系システムのSE補助のお仕事をさせて頂いていたのですが、1年半くらい経った頃にうつ病を再発してしまいました。
今にして思えば、当時の自分があまりにも社会人として未熟でした。始業ギリギリに職場に来たり、業務中居眠りしたり、ケアレスミスを連発したり、仕事に対する姿勢が受け身過ぎたり…。
そんな自分に対して少し自覚もあり、加えて職場の方から色々な叱責を受けてすっかり自信とやる気を失ってしまったことが2回目のうつ病を患う原因だと思います。
こうして、ぼくは再びメンタルクリニックにお世話になることになったのです。
続く…
その後、IT企業に正社員(どちらかというと派遣社員に近い?)として就職しました。
最初は短期のシステムの動作テストの仕事で、これは難なく契約満了となりました。
次に証券系システムのSE補助のお仕事をさせて頂いていたのですが、1年半くらい経った頃にうつ病を再発してしまいました。
今にして思えば、当時の自分があまりにも社会人として未熟でした。始業ギリギリに職場に来たり、業務中居眠りしたり、ケアレスミスを連発したり、仕事に対する姿勢が受け身過ぎたり…。
そんな自分に対して少し自覚もあり、加えて職場の方から色々な叱責を受けてすっかり自信とやる気を失ってしまったことが2回目のうつ病を患う原因だと思います。
こうして、ぼくは再びメンタルクリニックにお世話になることになったのです。
続く…
ボクとうつ 3
数日後、僕は大学の学生相談室からの紹介状を持って件の精神科医を訪ねました。
精神科医へ訪れることの不安もあり、初回は母親に付き添ってもらいました。
診察の際、先生には、時折り強い倦怠感に襲われること、ひどい時は一日中なにもしたくない状態になってしまうこと、食欲も落ちていることを自分の言葉で伝えました。
診断は案の定「うつ病」でした。
薬を飲めば症状も改善されるという説明も受けて、医者を後にし、薬局で薬を処方してもらい家に帰りました。
それからは、処方された薬を飲みつつ大学に通い始めました。うつになる直前までやっていた大学での課外活動(ボウリング・学芸員課程・歴史サークル)は全てフェードアウトみたいな形で辞めました。
三ヶ月ほど薬を飲みつづけた結果、うつは治り、大学も無事に卒業しました。
それから数年後、僕はまたウツに襲われることになるのです。
つづく
精神科医へ訪れることの不安もあり、初回は母親に付き添ってもらいました。
診察の際、先生には、時折り強い倦怠感に襲われること、ひどい時は一日中なにもしたくない状態になってしまうこと、食欲も落ちていることを自分の言葉で伝えました。
診断は案の定「うつ病」でした。
薬を飲めば症状も改善されるという説明も受けて、医者を後にし、薬局で薬を処方してもらい家に帰りました。
それからは、処方された薬を飲みつつ大学に通い始めました。うつになる直前までやっていた大学での課外活動(ボウリング・学芸員課程・歴史サークル)は全てフェードアウトみたいな形で辞めました。
三ヶ月ほど薬を飲みつづけた結果、うつは治り、大学も無事に卒業しました。
それから数年後、僕はまたウツに襲われることになるのです。
つづく
ボクとうつ 2
久々の更新ですが、続きです。
大学3年のある時期から僕のなかでなにかが崩れたような感覚に襲われ、常に心ここにあらずの状態に陥っていました。
朝起きても、なかなか起き上がれない。起き上がっても何かをしようという気にはなかなかなれない状態が続きました。
何日か経ったのち、僕は大学の生活相談室を訪ねました。当時の状態をありのままに話したところ、大学と提携?している精神科医を紹介してもらいました。
数日後、僕はその精神科医を訪ねました。これが、僕とうつとの闘いの始まりだったのです。
続く…
大学3年のある時期から僕のなかでなにかが崩れたような感覚に襲われ、常に心ここにあらずの状態に陥っていました。
朝起きても、なかなか起き上がれない。起き上がっても何かをしようという気にはなかなかなれない状態が続きました。
何日か経ったのち、僕は大学の生活相談室を訪ねました。当時の状態をありのままに話したところ、大学と提携?している精神科医を紹介してもらいました。
数日後、僕はその精神科医を訪ねました。これが、僕とうつとの闘いの始まりだったのです。
続く…
