バックナンバー(50)
ここに掲載しているのは、管理人・藤巻隆が
携帯サイトで運営していた時のコンテンツです。
2007年1月8日号からスタートしています。
1カ月分毎にまとめてあります。
● 2011.02.28
(No.4)<210>
渋沢の原点はパリにあり
鹿島 茂(かしま・しげる)氏
[明治大学国際日本学部教授]
渋沢(栄一)は生涯に数多くの株式会社を起こし、鉄道事業に関わり、銀行を設立しました。
このように資本主義のインフラを精力的に整備した渋沢が、その着想をどこで得たのか。
私はその答えが、フランス・パリにあるのではないかと仮説を立てました。
渋沢は明治維新のさなかにパリ万国博覧会への使節団に随行しています。
ここで渋沢は、サン=シモン主義に触れたのではないかと考えたのです。
サン=シモン主義とは、高度資本主義の地盤が全くないところに、インフラを整備して外部注入的に資本主義を植えつけてしまう方法論です。
フランスで提唱され、実践されていたこの考え方と、帰国後に渋沢が実践した資本主義導入のプロセスがそっくりだったことから着想しました。
この人は、人間が好きなんだろうなあと思いますよ。
人格者であり禁欲主義者のように思われていますが、妻妾を同居させるということもしています。
女性好きの井上馨や伊藤博文とは馬が合ったようです。
● 2011.02.21
(No.3)<209>
ゲームのデフレを突破
岩田 聡(いわた・さとる)氏
[任天堂社長]
無料で手に入るものと有料のものが同質ならば、無料にいくのは道理ですよね。
お客様から見れば今、ゲームと名のつくものは、かたや無料あるいは無料に近い値段で遊べ、片やそうではないという状態です。
そこで僕らは、いかに同質にならないかだと思うのです。
任天堂はなぜ任天堂なのか。
ハードとソフトを一体で提案することで、お客さんを驚かす手口をより多く使えるからと思っています。
任天堂は無料や安価といった世界とは一線を画します。
出口を増やすのではなく、出口を最適な場所に絞り込んでお客さんに価値を認めていただくという方向でやっています。
私は必ず、任天堂はゲームソフトのデフレに対応できると考えています。
それには我々が彼らにできないことをしないといけない。
異質なものを提案して価値を認めていただけるかどうかに、すべてがかかっているのではないでしょうか。
● 2011.02.14
(No.2)<208>
与謝野氏去り、小党揺らぐ
平沼 赳夫(ひらぬま・たけお)氏
[たちあがれ日本代表、衆議院議員]
2011年1月13日、政党「たちあがれ日本」の共同代表だった与謝野馨・衆議院議員から離党届を受け取りました。
事前の相談などはなく、私にとっては突然の出来事でした。
(中略)
与謝野氏は政界きっての財政通という認識が私にはありました。
政治を立て直したいという情熱は強く感じます。
宗旨替えの批判は甘んじて受け、今は菅政権で頑張っているようですから、頼むから晩節は汚さないでほしい。
成果を出す行動をしてもらいたいと思うばかりです。
与謝野氏の離党はもう過去のこと。
もう済んだことです。
たちあがれ日本の国会議員は5人になってしまいましたが、もう一度、結党時の原点に返って一致団結していきたいと思います。
● 2011.02.07
(No.1)<207>
失敗は挑戦の結果
田口 三昭(たぐち・みつあき)氏
[バンダイ副社長]
我が社は、定番商品のリニューアルなどを含めると。年間1000商品以上を投入します。
そのうちどのくらいの商品が成功するかというと、残念ながら3割程度にすぎません。
7割は失敗するのです。
子供の話題を独占できるようなヒット商品の足元には、うまくいかなかった数多くの商品が転がっています。
まさに死屍累々。
言い方は悪いかもしれませんが、“多産多死”モデルと言っていいでしょう。
3割のヒット商品がどれだけ売れるかで業績が大きく変わります。
失敗は、挑んだ結果です。失敗の規模は、その社員がどれだけ周囲を巻き込めるかを測る指標です。
だから、過去に大きな失敗をした人間は、それだけチャレンジ精神に溢れ、周囲の人間を動かす力量があると判断します。
これは、売り出す商品の3割しか成功しない我が社だからこそできる発想かもしれません。
失敗は避けられないという意識が全社員に共通認識としてありますから、「失敗=能力がない」とは考えないわけです。
記事が面白かったら
ポチッとして下さい。
