<道つけ>
新雪が積もった朝は、自分の家を起点として、どこまで雪を踏み固めて道を作るかが決められていました。
道つけには、専用の、小判形でひと回り大きいカンジキを使い、新雪を踏み崩しては踏み固めて、長靴でも歩けるようにするのです。
カンジキの先端に結んだ縄を両手で交互に持ち上げながら、新雪を崩しては踏み固める。結構な運動量でした。
幅は一人が歩ければ良い。だからすれ違う時に、親切な人は片足をほた(新雪部分)に踏み出して道を譲ることがありました。
我が家の担当は、村の幹線道路とは反対方向の吊り橋までの100mほどの距離でした。
晴れた朝は、青空と真っ白な雪の世界がとても美しく、道つけも気持ちよくはかどるのですが、吹雪の朝はとても過酷な仕事になったのです。
親の道つけを姉とよく手伝ったものですが、子供は体重が軽く、大人が歩いてもぬからない道をつくるのは難しく、通る人は大変だったかもしれませんね。
それにしても、昔は冬の炊事はとても大変だったと思います。
母は寒い朝、早起きして、まず木クズなどでブリキ製のかまどに火をつけ、つば付きの飯釜でご飯を炊くのでした。
同時に七輪に火種を移して炭火(すみび)で味噌汁を作る。
電気ゴタツや電気コンロなどの「文化製品」が村に入って来たのはいつ頃だったのかなぁ。
今ではボタン一つで暖かい湯が出て、あっという間に部屋が温まります。
お風呂も全自動。
そんな現代とは程遠い、厳しい冬の生活がありました。
<ちょうな>
一年生の頃からかな?腕くらいの太さの薪を、焚き口の小さいブリキ製のかまどにくべるために、「ちょうな」で更に細く割る仕事が私のノルマになっていました。
ネットで「ちょうな」を調べると、江戸時代の、両手で木材の表面を掻き取る、大きく湾曲した柄(え)が付いている道具が「ちょうな」であるという。
畑を耕すような使い方で木材の表面を規則正しく削り取る道具のようである。手斧と書き、今でも宮大工が使う、とあります。
私が使った「ちょうな」と呼んでいた道具は、片手て振り下ろす、30センチほどの柄の先から下に直角に伸びた四角い鉄棒の先端が横向きの刃になった、がっちりしたものでした。
左手で薪の端っこを台に乗せ、「ちょうな」を振り下ろし、両手を絞るように近づけて薪を割る、というやり方でした。
そういえばこんな道具、あの時だけで、ホームセンターでも見たことがないなぁ。笑。