旅行後、痛みを度々うったえるオトンアセアセアセアセ

 

次回のホスピスの診察を早めてもらって、薬を変更してもらった。

オピオイドの飲み薬は拒否感があるので、フェントステープで試すことに

 

テープを張り始めて4日後くらいに

痛みは全然マシにならないのに、また吐き気がきつくてしんどいと

5日の夜に連絡がきた。

また副作用かぁ…これからどうしたらいいんやろ滝汗

朝になったらまたホスピスに連絡して聞いてみようと思っていた。

 

 

次の日10時頃になってオトンから

「黄疸になったかも。またおしっこが黄色い」と連絡がきたびっくり

 

いよいよ来たか…と思った。

最後のK大病院の診察の時に、熱や黄疸症状が出たら

救急車でもいいのですぐこちらへ来てもらうか

近くのO病院でもいいので連絡をしてから行って下さいと言われていた

 

ステントが詰まったりズレたりしたら、すぐに処置が必要らしいダッシュ

 

 

そう言われていたので、K大病院に連絡すると

「元々O病院から紹介されてこちらに来られたので

O病院へ行ってもらえるように引き継いでいます」と

遠回しにK大病院に来るなと断られる

 

 

それでもO病院は何度も処置(手術?)を失敗され

不信感が募りK大病院に転院した経緯があるので

それも伝えたら

簡単な手術なので、どこの病院でしてもらっても同じです。

なのでO病院へ行って下さい」と言われた泣くうさぎ

 

簡単に済む手術なら…と仕方なく

O病院のへ連絡すると

 

K大病院から紹介された記録が残ってないと言われ…(地域連携室の方)

もうどうなてんの!?状態

 

 

またK大病院に連絡して、O病院に紹介されていない旨伝えると

直接O病院へ連絡をとってくれたみたいパー

今から直接O病院の救急外来へ行ってもらって大丈夫ですと言われたので

行こうと用意していたら、O病院の地域連携室の方から着信電話

 

「先ほどは失礼しました。お手紙は届いていたようなのですが

古いデータだったので見落としていました」

と言われたムキー

たった半年前のデータが古いの??

単に処理出来てなかっただけじゃないの?と思う

 

その電話で救急外来へ行ったらいいんですね?と再度確認したのに

直接救急外来へ行ったら総合受付に行って下さいと言われる…むかっむかっ

 

 

もぉ~こう言う事の積み重ねでどんどん不信感が募るねんびっくりマーク

 

前回の入院時

手術前から終わるまで談話室で待っていたのに

(看護師さんに待つなら談話室で待っててと言われた)

いつまでたっても呼ばれなかったり

 

退院時の請求時も限度額適用認定が適用されてなくて

K大病院に転院してから再度O病院に精算しに行き

その時に端数の100円と1万円札をちゃんと出したのに

出してない、(レジ?の)機械に入れてるので間違いはありません

と断言され…

今どきの子はお金預かる時に目視で確認もしないのね…とイライラしたり

 

いや~な気持ちのままオトン診察へショボーン

 

 

今日診てくれた女医さんはとても丁寧で

前回のK大病院に転院した経緯も把握して話をしてくれた

 

 

↓ここから父なしで女医さんと2人での話

 

CTと血液検査の結果ステントを入れた所が詰まっているようなので

ステントにプラスチックを入れる手術を明日します

 

ただ、女医さんは明日はおられないので

腕のいい部長さんにお願いしましたとのこと

 

K大病院さんでステントを入れてもらっているので

そこに追加するようなかたちの

簡単な手術になるので大丈夫ですと言っていた

 

部長さんて…さすがに前回の主治医じゃないよねダッシュ

確認したらそれは大丈夫です、また別の医師になりますと言ってくれた照れ

 

後でホームページで確認したら

前の主治医は副部長になってた(笑)前は部長だったハズ

 

そしてなぜか他の医師の写真も全然載っていないアセアセ

(この疑問は次の日わかる)

 

 

ただ今回プラスチックを挿入しても

他の場所(泣き別れと言っていた)で詰まってる可能性もあるので

黄疸の症状が治らない場合は再度ステント手術が必要に

なるかもしれないと言われ…目

 

えぇ…そうなるとやっぱりステント手術するなら

K大病院の方がいいよな…と思いつつアセアセ

とりあえず、今回のプラスチックの手術で

黄疸が治まるかもしれないから、お願いしますと伝えたお願い

 

 

あと、ガンの方は血管が詰まりやすくなるため

突然心筋梗塞や脳梗塞になられる方もおられます

これは自宅にいても起こる事で、病院で手術をしたからと言って

起こる事ではないので、それは知っておいてください

その場合積極的な治療は出来ないので…(延命になるから)と言われた

 

これはO病院に来たからこうなった!と責められないように言ってはるのかな?

と思ったけど、父も延命は望んでないしそれで大丈夫ですとお伝えしたパー

 

 

診察室の外で待っていた父に脳梗塞とかの事を伝えたら

「それがいい!!」って(笑)

「そのほうがポックリいけるやん。衰弱して痛い・しんどい思いするの嫌や」と爆笑

 

確かに最近痛みや吐き気も酷く、生活するのがだいぶ大変になって来ていて

生きたいと思う気力がだんだんなくなってきてるんやろうな…

 

少しでも長く生きて欲しいと思っていたけど

本人はツライ思いをする時間が長くなるだけだと思ったら

急遽病態が悪くなって亡くなってしまうのも

いいのかもしれないと思い直したショボーン

 

 

とは言え、最近の痛みが増してたり、オピオイドが効かないのは

この詰まりが原因なのでは?と思ってるキョロキョロ

 

 

女医さんがCTを見られている時に

目で見てわかるくらいの肝臓転移は数個あると言われ

うちはガンは結構広がっているんですか?って聞いたら

そこまでの状態でもなく、ガンの進行は遅い方ですと言ってはったニコニコ

 

これはすごく希望のある言葉クラッカー

6月の最後の診察以来、血液検査もCTも撮った事がなかったから

あれからガンはどうなってるのか全く分からなかったし

全身ガンに侵されている状態でもないみたいだったキラキラ

 

この黄疸の手術が終わったら、また前みたいに

少し痛みもマシになって食欲が出てくるかな?

なんて期待も出てきたおねがい

10/26(日)・27(月)でオトンが行きたがっていた黒部ダム・

アルペンルートに行ってきた新幹線前

 

先週、親戚との集まり(オトン兄弟で持っている北海道の原野を処分する話)で

オトンと会った時もあんまり調子はよくなく、ふらついていたアセアセ

痛み止めもきつい方のボルタレンをほぼ毎日飲むようになってるし

(胃潰瘍になるからあまり飲まない方がいいと言われてたけど…)

心配してたのだけど、もう今しかないと思って、姉と3人で長野へ

 

 

行きからちょっとしんどそうだったけど

なんとかお昼もサンドイッチを食べたりしながら

新幹線&特急で松本へ

 

松本の駅での乗り換えが4分しかなかったから前からドキドキしていたのに

特急が3分遅れで到着ガーン乗り換え1分とか無理滝汗

乗り遅れたら次は1時間後…

 

乗り換えの電車はそれを考慮して待っていてくれたのだけど

ちょっと小走りしつつ行ったので、オトンは一気に疲れてしまったみたいえーん

 

そして信濃大町に着いたら雨・雨・雨…

ホテルはロビーや各部屋にテラスがあったのに景色も楽しめない~笑い泣き

 

アルペンルートは次の日だから、この日は

ゆっくり温泉&ビュッフェの夕食で楽しんだスター

と言ってもオトンは味が変・甘味も感じない…で食べられるものが

あまりなく、そばを2回食べてたかな

 

食べる楽しみがないって辛いなぁとしみじみ思うダッシュ

 

 

次の日は晴れていてやったー!と思ったのもつかの間

扇沢ではポツポツ雨

黒部ダムでは強風&雨

(降り始めの時にダムの放水じゃなく、自然の虹が見れたのはラッキーキラキラ

 

姉が持ってきたカッパと思っていたのはポンチョで半そで…

ダウンの袖はベチョベチョ・風でポンチョは捲れ上がる中

オトンの車椅子を押す…

思わず修行かー!!と笑けてきた

 

ケーブルカー&ロープウェイで室堂に着いた~ラブと思ったら

そこはもう銀世界(スキー場かアセアセ

景色どころか一寸先は白・白・白

 

たまたまその後ネットニュースを見たら

昨日の夜に初雪が降り、ここまで積もったらしい

 

なんちゅータイミングで来てしまったんやろ笑

(これはこれでいい経験やとうちは思うんだけど)

 

黒部ダムや室堂でゆっくり景色を楽しむ予定で朝早めにホテルを出たのに

早々に富山まで着いてしまった絶望

 

富山でお土産をゆっくりみて、早めの夕食をとって

姉と別れるパー

 

帰りの新幹線でオトンが

「乗り物の旅やったなぁ」と言っていた

 

また季節がよくなったらリベンジ出来たらいいんやけど…

そんな先の事は言えないし

 

「他にどっか行きたいとこある?」って聞いたら

「もう行く気力(体力?)がない」と言っていたショボーン

 

痛みをだいぶ我慢して、階段もゆっくりだけど自分で登ってたから

もう限界がわかってきたんやろうな

 

楽しみにしてた旅行が終わってしまって

一気にガタがくるんじゃないかと心配…ぐすん

今日は愚痴です

 

先日姪っ子のEちゃんに会って話したかった事

 

Eちゃんの母であるお姉の事

 

お姉は去年早々に離婚をして、4月に姪っ子Mちゃんが

東京の大学に行くタイミングで一緒に東京へ行った

(推しのミュージシャンのおっかけをする為)

 

初めは2人で住んでいたけど、数か月後に別々で住むことにしてた

 

あれから1年半経ったけど…

姉はその間仕事を転々としてる

 

ホテルのフロント兼掃除から始まり

病院の掃除係・テンシャルの販売員(短期)・インフル予防接種の受付?(短期)

デパートのレジ係・テレオペ・弁当製造

 

私が聞いてる以外にも日雇いの仕事もしてたみたいだけど

一番長く勤めたレジの仕事で4カ月…

しかもキレて辞めてきたアセアセ

 

以前の記事 お姉が仕事を辞めた

 

50歳目前にした独女が仕事続かずに生活していけるんやろか…

と思っていたら、

先日の電話で貯金が底をついたと言っていた(300万近くあったハズ)

どうしよ~Mに借りよかなと言っていて

やっぱりこうなったかと思ったガーン

 

Mちゃんは特待生で入学したから?授業料は免除で

返済なしの奨学金も貰っている

生活費はお父さんから仕送りをしてもらってるから貯まっていく一方らしい

 

親が子のお金狙ってるとか私にはありえない…チーン

(病気で働けないとかならわかるけど…)

 

 

 

姉は結婚する前一旦就職したにも関わらず、ネットワークビジネスにハマり

1年半ほどで退職

NBをしながらバイトはしてたみたいだけど

羽毛布団の営業や保険の営業とか全然続いてなかった

 

たいた収入もないのにNBの為に借金をし、ドンドン膨れ上がる始末…

 

で結局姉が結婚する前にうちの親が200万返済し

残りは元旦那さん(当時彼氏)に返してもらったらしい(オトン談)

この時うちは短大に入学する時期で、うちが奨学金200万を背負う羽目に笑い泣き

 

 

だから離婚するまでの二十数年間、ちゃんと生活してこれたのは

元旦那さんのおかげだと私は思ってるし

旦那さんに出会わなかったら野垂れ死んでるか自己破産してるかだと思ってる

 

 

こんな過去があるから

離婚する・東京に行くって聞いた時

真っ先にまた借金生活になるんちゃうやろかと思った

 

人ってそう簡単には変われないし

お姉は後先考えずに行動するし

そうなったら周りの意見は一切きかないし

 

案の定この始末…

 

 

実家を出て一人暮らしをしているEちゃんは

今は臨時職員的な働き方だけど、来年には講師として働く予定

そうなったらEちゃんにもお金貸してと言ってくると思うと忠告しておいた

 

 

Eちゃんも姉の働き方をずっと聞いてて

仕事ナメんなよむかっっと思ってたらしい爆笑

 

Eちゃんは学生時代勉強しながらも飲食のバイトを5年続けているので

弁当製造の仕事を初めて、1・2日目で愚痴って来たお姉に

飲食ナメんなよむかっ三日坊主にもなってないやんむかつきと怒っていた

 

母であるお姉に直接は言ってないみたいだけど、キレそうと言ってたから

うちだけがお姉の仕事の愚痴を

人のせいにばっかりしてイラつく~ムキーっと思って

聞いてたんじゃないんやなとわかって超嬉しかった笑

 

 

うちはお姉を反面教師にせっせと奨学金を返して

結婚してからも子供の為に貯金してるけど

うちとお姉は

まるでアリとキリギリスやな~と思うネガティブ

昨日で余命3~4カ月と言われてから4カ月経った

 

その時はどうなる事かと思ったけど

今はまだ自分で動けるし、一人暮らしも出来てる

 

ただ、痛みは増してきてるから、確実に

ガンは進行しているんやろな…ショボーン

 

 

 

12日(日)に東京に居る姪っ子M(妹)が演奏会の為に大阪にくると言うので

うちの家族とオトン・姪っ子E(姉)で見に行ってきた音符

 

お姉は仕事の為、こっちには帰ってこれず

(Eちゃんと話をしたかったので、この時を待ってました!!

この話は次回)

 

 

Mちゃんはトランペットを中学から初めて

高校は進学校だったため勉強に励むため3年間休んでいたけど

大学のジャズサークル?に入って見染められ

1年の時から演奏会に出させてもらってたみたいキラキラ

 

このトランペットはうちが高校の時にバイト代を貯めて買ったもの音譜

ヘタクソなうちが家で眠らせておくより、Mちゃんに使ってもらえて

本当によかったと思う

ソロで堂々とあんな綺麗な音色を出せるMちゃんに感動したラブ

 

 

演奏会の前に近くでランチをしたんやけど

その時にオトンがおもろい事言ってたニヤリ

 

うち「百均行ったらもうお年玉袋売ってて、気ぃ早すぎる~ってなったアセアセ

 

オトン「そうや、お父さんなんかもう来年の手帳買ったしな」

 

うち「もう買ったんや!!

と口では言いつつ…来年オトンおらんやろ笑い泣きと思った

 

前にも、来年の確定申告で徴収されたやつ取り戻さなあかんしなって

言ってたからまだまだ生きるつもりでいるみたいニヤリ

 

今のままだったら、その頃まで普通に生きててくれそうな感じだけど

あっと言う間に悪くなるとも聞くし…

 

最近くらたまさんの本を読んだんだけど

すい臓がんだった旦那さんは

最後の最後まで自分で動いて生活してたって

余命宣告よりも1年以上長く生きて

仕事もして、大好きなご飯も食べてたって書いてて

オトンもそんな風に最後まで自分の生活が出来ればいいなと思った

 

一人暮らしだから、最後は病院にお世話になると言っていたけど病院

 

後悔しないようにもっとオトンと過ごす時間を増やさないとな~と思った

 

 

追記

演奏会の帰りの車の中で、オトンの弟(認知症)の話題になって

弟の奥さんもガンで抗がん剤したり足を骨折してしまったにも関わらず

介護もしていて大変やと

弟は一切生活費も入れてこず、それは今でも変わらずらしい…

なんで離婚しないんやろとオトンが言っていた

 

「それを言うならオトンもやで」とうちは言ったニヤリ

愚痴ばっかりのオカンは介護しても感謝もないしわがまま放題

オトンもそんなオカンによくキレてたし

よく離婚せず介護してるなぁと伝えたら…

「お父さんは昔好きなようにさせてもらってたしな」

と言っていた

 

好きなようにとはうちが知る限りは…

何百万もするお茶の道具や骨董品を色々買ったり

(自分の給料は母に渡してた。バイトのお金らしい)

友達と旅行にいったり・不倫してたり…の事かなニヤリ

 

うち「じゃあ罪滅ぼしやな」と言うと

「そうや罪滅ぼししてるんや」と言っていた笑い泣き

 

だからこんな体になっても

うちが母の施設に行く時、毎回付いて行くと言うし

果物を剥いて持って行ったり、お菓子を買って行ったりしてるんやな

 

色々あったけど、長年連れ添った夫婦ってやつの愛情を感じた

今日はホスピス病院

 

金曜日にオトンに会ってから

週末はマルシェの出店や準備

週明けも義父の病院付き添いなどで

バタバタしていて、オトンに連絡も取れてなかった

 

ナルサスの効きはどうなのか…

副作用の吐き気はおさまったのか薬

 

13時半の10分前・早めに着いたな~

オトン駐車場で待ってるな~と思ったら

ホスピスから電話が…

はてなマークはてなマークはてなマーク

「13時から診察予約だったのですが…」と言われ

 

完全に時間間違いしてたアセアセ

後で気づいたけどオトンも何時に来る?とLINEしてきてた

 

オトン13時に着いてたんなら先に行ってたらよかったのに~ダッシュダッシュ

幸い他の患者さんもおられず13時半から診察開始

 

 

診察室に入るなり弾丸のように話すオトン驚き

 

 

ナルサスは全然アカンかった

1回目飲んだ時は夕食全部吐いたし

1日置いて2回目飲んだら

ムカつきが酷くてご飯も食べられない

食べてないから吐きたいのに吐けない

2回目飲んでから2日間はずっと体調が悪く寝ていた

やっと一昨日にフルーツとか甘い物を少し食べられるようになって

動けるようになったけど

その間も左肩から腕にかけてめちゃくちゃ痛いとか

右足の付け根から下がしびれて動かせないとか

死にそうになったと言っていた

 

 

えぇぇぇ~滝汗

オトンそんな状態になってたなんて…

連絡がないのは元気な証拠…

じゃ全然ないやんえーん

なんで連絡くれなかったん…と落ち込むショボーン

 

 

 

もうナルサスは絶対飲まないネガティブってな感じで

とりあえずは前に飲んでいた鎮痛剤に戻してもらう事を

オトンが希望した

 

先生は前と同じ量(100mg)1日2回の

セレコックスを出そうとしてはったので

それだと午前中しか効かないし

その痛みを治める為に今回オピオイドを出してもらったから

元に戻すだけでは意味ない気がするけど…と思って伝えた

 

看護師さんや薬剤師さんなども加わっていただき

倍量の100mgを1回2錠飲むことになった

 

痛みで寝れないこともあるから、眠剤も一緒に出してもらった

 

 

先生は最初のオピオイドでつまづいたことでショックを受けてはった

(いつも冗談めかして話す先生なのでそこまで深刻ではなくニヤリ

お父さんの体は繊細なんやなぁ

どうしたもんかなぁ~~と

 

こっちもどうなっていくのかなぁと心配だけど…驚き

 

一旦はオトンの希望を聞いて

信頼関係を崩さないようにしてくれてはるなぁというのが見えたパー

 

 

今回の体調を崩した事で弱気になってきたのか

帰り際に

オトン「お茶のお稽古を今月で辞めようかなと思ってる

迷惑かけたらあかんし」

と言っていた

 

ずっとずっと続けてたお茶の先生

体的にも大変なんだろうけど

月2回のそれがなくなってしまうと

気力?もなくなりそうで心配汗

 

うち「今の薬飲んで、もう少し様子見てから決めたら?」

と言っておいた

 

 

こうやってこれから出来ていた事が

出来なくなって行くのかな…

 

痛み止めが効いて、少しでも長く今まで通りの生活が送れますようにお願い