大切な日 | 夕菜の宝箱

夕菜の宝箱

~がん(私)でも発達障害(息子)でも上手くつきあって幸せに暮らすことを目標にする毎日~

1月17日が来ると毎年身が引き締まります。

 
阪神淡路大震災の悲惨な状況を目の当たりにしたあの日からもう24年もたつのですね。
 
毎日が当たり前にやってきて、過ごすことができていることに改めてすべてのことに感謝する心を思い出す大切な日。
 
当日は2段ベッドで寝ていました。
変な音と体験したことのない激しい揺れで
起きたら頭の真横に大きなスピーカーが落ちてきていました。
 
みんな大丈夫か?と大きな父の声。
 
何が起きたかわからないけれど家族は4人とも無傷で無事。警察官だった父はすぐに車で職場に向かいました。
 
棚が倒れ、物が落ち、扉が開かない部屋があったりいろんなものが壊れてあたふたしたものの
そんなに大変なことになっているとは思わず、
会社で朝に発表する内容をまとめていて、早めに電車に乗ろうと駅に向かうと、町中がガス臭い💧
 
電車は当然動いておらず
 
困った20代の私は、どうやって行くべきか相談するために上司に電話。
 
安否確認で連絡をくれたと思った上司は
 
「あほか、テレビ見てみい❗」
 
え?
 
「ここからもな、あちこち火の手が上がるのが見えて、そんな仕事どころじゃないぞ。しばらく自宅待機で。」
 
そう言われて急いで家に帰るも、停電のためテレビは見れないしな。
 
ガス臭いのがなんとも怖くて、路上でタバコに火をつけようとしたおじちゃんに、
 
「ガスが漏れとうから火をつけたらあかんって!」と制止しながら帰宅して家の中にいると
 
しばらくしたら急に家の電気がついた。
 
 
あ~よかった❗こたつも温まるしお湯も沸かせる🎵ま、お茶でも飲もうか?と、ちょっとほっとした瞬間
 
近くで爆発音が。
 
充満したガスの部屋の電気がついたことによるものだった・・・
 
家の小さい消火器を持って飛び出したところ4階建ての団地の1階門部屋から火が出ている。
 
幸いにも仕事関係で1年に一度は消火訓練の経験があり、消火器の使い方に迷いはない。
 
すぐに消そうとしました。
 
近所の住民が次々に集まってきて、各廊下に設置している消火器も集まり皆で必死にかけました。
 
外の水道からまだ水が出たのでバケツでもかけました。
 
でも
 
消防訓練の火は、すぐにあっさり消えたのに、消火器を何本使っても消えてくれないんですね。
 
消防に電話するも、すべて出払っていて来れないと言われる。
 
自分たちでなんとかしないとしないといけないのに、どうしたらいいんだろう?
 
そんな時、近所のスーパーの方が業務用の大きい消火器を持って駆けつけてくれて、あと一息のところの火を完全に消してくれました。
 
ほっとしたのと達成感となんだかわからないハイテンションのままいたんでしょうかね。
 
その部屋に独り暮らしだった女性の着るものが何も無くなってしまったので、私の来ていた上着を貸してあげても寒くなかった。
 
地元に強いおばちゃんは内科の先生の家に火傷を看てもらえるかを走って聞きに行こうとし、違うおばちゃんが「看てもらいたいから準備しといてって」言うといて❗と案を出してゆっくり歩いてつきそったっけな。
 
まだ他を知らない私たちは家に帰ってテレビでもっと大変なことになっている映像を見るまで、興奮していました。
 
でも、次々に流れる惨状に
 
 
 
何も言えなくなりました。
 
 
命が助かったことにただただ感謝するしかなくて、無念にも亡くなった方々に手を合わせる。
 
♪地震にも負けない強い心を持って
亡くなった方々の分も毎日を大切に生きていこう♪
 
神戸では小学校で歌う定番の歌なのですが、
 
毎日を大切に生きていこう
 
は、ホント大事。
 
普段忙しさにかまけて忘れがちな今日このごろ、毎年思い出すきっかけになる日
 
それが私にとっての1.17です。