最近読みたい本、というか図書館から借りてきて読まざるを得なくなった

本が自室の机の上に山積み・・・。読まされている、という気がして本末

転倒です。が、読みます。


学部の授業でアメリカ大統領制と選挙制度に関する報告を行ったこともあり、

図書館から借りてきて読んでいたのが本書です。

率直な感想としては、冗長。専門家以外は読まんなこれ(笑)。

まったく無意味だったというわけではないですが、、、


ただ、その説明が冗長であったのには理由があり、

本書がアメリカの選挙制度、特に大統領選挙制度について詳細な分析と

説明を行っていることに起因していると考えられます。

特に、合衆国憲法やフロリダ州の選挙法に基づいて選挙制度を分析

しているという点に好感が持てました。政治学の教科書でも、条文に

依拠して制度分析を行っているものは少ないですからね。

日本では、アメリカの選挙制度は直接選挙によって民意を反映することが

できる優れたものだと理解されていますが、そんなことはありません。

ゴアは5万票以上多く獲得しています。そもそも間接選挙です。

しかもその間接選挙の仕組みがめちゃめちゃ理解しにくい。

かつ、州ごとに制度が異なるから統一的に理解することが困難。

本書は制度分析に加えて、合衆国最高裁判所とフロリダ州最高裁判所

(最高裁判所が複数存在するというのも日本人には理解し難い)との権限の

緊張、制度まで触れていますから、余計にややこしい。さらには州法と州議会、

州務長官、メディア、選挙管理委員会などさまざまな機関が入り組んでいる。

そもそも合衆国最高裁判所がとった理屈自体が、


P.183 ブッシュ対ゴア判決 line6

 大統領選出人の選出の方法や手続きは合衆国憲法によって州議会に

ゆだねられているのであるから、あくまで州議会が決定すべきだという

考え方が強く働いている(省略)。それゆえ、州の憲法によってもこれを

制限することはできないし、州の裁判所でもこの州議会の権限を制限

することは許されない(省略)。(括弧内は筆者)


というものだからものすごくわかりにくい。

連邦最高裁としては州法に口を出さないが、合衆国憲法で規定した州裁判所の

権限を越える裁判なので合衆国憲法の下で権限の濫用について審理する、という

構造なんですが、理解するのに苦労しました・・・。


アメリカ政治や法制度の複雑さを理解するのにいい機会となりました。


ただ、以下の指摘は権利論に対しよい示唆を含むと考えられます。


P.255 2000年のアメリカ大統領選挙がわれわれに教えるもの line11


実際、合衆国憲法と異なり、日本国憲法は第15条で公務員を

選定罷免する権利を国民の「固有の権利」として保障している。

だが、この権利は従来有権者としての国民の職務上の権限だ

という考え方が支配的だったため、その権利性を認める立場に

あっても、なお憲法上の基本的人権として十分な評価はされていない。

これまでの支配的な考え方では、憲法の保障する基本的人権の

中心はさまざまな自由権であり、この選挙権は自由権を確保

するための手段としての権利としてしか位置づけられてこなかった。

だが、アメリカの大統領選挙を見ていると、この選挙権はもっと

国民の不可欠の権利として重視されてしかるべきではないかと思われてくる。


現在日本では多くの「一票の格差」訴訟が提起されている。

先日広島高裁で2010年参議院選挙における一票の格差が

「違憲状態」であるという判決が下された。構造的な問題はさておき、

これは都市部における市民の選挙権を不平等に扱う仕組みではないだろうか。

・・・というような以上の意見に対し、どうせ選挙にかかわるようなやつは

お金持ちか、一部の狂信者で、一般市民には関係のない、お上のことだ、

という中流・下流意識が根強い。


しかし、自分たちの将来や現在の問題は自分たちで解決する、という

自己決定の意識や、社会の問題はみんなの問題だ、という一体性の意識は

日本文化と親和的であり、決して市民主義自体が西洋文化なのではないと

私は思います。そもそも、上記のような中流・下流意識の創設に寄与しているのは

日本の選挙制度なのではないでしょうか。男女普通選挙が導入された当初から

現行のような選挙制度や政治観の強い法制度を持っているため、

初めて参政権を持つ市民にとって、政治とはこういうものだという

前提理解がなされたとしても不思議ではありません。

今後は参政権をより多くの人に広げ、かつ、政治への参画に必要な

コストや障壁をどんどん下げていくべきだと考えます。

その点で、アメリカ型のプリュラリズム(Pluralism)は有用ではないでしょうか。

すなわち、


P.178 プリュラリズム line4

個人はその利益や関心をともにする他の個人と集団を形成し、

政治に参画するとの前提の上で、政治をそのような諸集団の

交差する場ないしプロセスととらえるものである。このような立場では、

個人が政治に参加するための権利が最大限確保されなければならず、

また個人の政治参加への障壁は裁判所によって除去されなければならない。

当然アメリカでも民主主義自体は破綻しかかっている現状ですが、

かといってアメリカが基本に考えている「すべての人に政治に参加する自由を

認め、それに対する制限は認めない」という考え自体は、否定することはできないでしょう。

いわんや、成熟した市民社会において。


ブッシュ対ゴア―2000年アメリカ大統領選挙と最高裁判所/松井 茂記
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大学の友人から紹介されたオーストラリア人(人種はチャイニーズ)

と会ってきましたが…   瞬   殺   でした。

・先方の日本語の練習ということでしたが、英語を教えてもらってばかり

・ていうかまともに英語話せてない

・そもそも京都に4年間いたのにまともに案内などできず、むしろ

向こうのほうがよく知っている。

・・・はぁ・・・


彼との会話の中にも出てきた映画に関する話ということで、

最近観た映画についてもレビューしようかと思います。

彼との共通点がマトリックス好きでよかった…

Please call me mr.anderson.と言われた時はさすがに吹いたwww


本作品は、題名の通り、裁判ものの映画です。

1985年くらい、マサチューセッツで起きた医療過誤訴訟の

裁判に関する、正義、弁護士の役割、陪審員制度などなど、

色々なことを考えさせられる作品でした。

後から知ったのですが、主演はポール・ニューマンだったんですね。

顔はわからなかったんですが、名前は知ってました。

TSUTAYAの名作100選においてあったので、題名を聞いたことは

あったということもあり、手に取りました。


作品自体は抑揚も少なく、もしかしたら見る人を選ぶ作品なのかもしれ

ませんが、名演や演出の素晴らしさが光る名作です。

ラストシーンの電話が鳴り響くシーンは作品全体の哀愁と相まって

非常に胸に残るものでした。

また、弁護人フランクが虎の子で用意した証人、証拠が不採用とされ、

落胆するなかで起死回生を狙い己の考えのすべてを陪審員に

訴える最終弁論は大変素晴らしかったです。

ネットで探したものを多少編集したので挙げておきます。


You know, so much of the time we're just lost.

We say, 'Please, God, tell us what is right.

Tell us what's true. There is no justice.

The rich win, the poor are powerless...'

We become tired of hearing people lie.

And after a time we become dead. A little dead.

We start thinking of ourselves as victims.

And we become victims. And we become weak...

we doubt ourselves, we doubt our believes,

and doubt our institutions... and we doubt the law.

But today you are the law. You are the law...

And not some book and not the lawyers,

or the marble statues and the trappings of the court...

all that they are is symbols. Of our desire to be just...

All that they are, in effect, is a prayer...

a fervent, and a frightened prayer.

In my religion we say, 'Act as if you had faith,

and faith will be given to you.'

If... If we would have faith in justice,

we need only to believe in ourselves.

And act with justice.

And I believe that there is justice in our hearts.



先日、鹿児島地裁で強盗殺人事件被告に無罪判決が言い渡されました。

先般日本では陪審員制度類似の裁判員制度が導入され、紙面を

賑わしています。

本判決は被告人が否認していたため、検察による挙証が裁判員を

納得させうるものかが注目されました。

これに対する答えがNoだったのかは定かではありません。

「疑わしきは被告人の利益に」という法の大原則が適用された、正義を

守る裁判だと讃えるきらいもあるようですが、

判決において被告人の指紋が、被告人が行ったことなどないと供述している

被害者宅から発見されたことに関して述べられていないなど、真実に

迫っていない点もあります。本判決はあくまで地裁判決で、判例の

拘束力は持たないものですが、今後の裁判員裁判で同様の否認事件が

登場した際に、起訴後有罪率99.9%、「疑わしきは罰する」と

批判された以前の状況と結局同じという風になってしまわないための

いわば先手を取った形ではないかと私自身邪推しています。

死刑求刑が続き、死刑判決も続出する中、以前の状況と違うということを

表して裁判員制度に対する理解を深めようとする政治的意識も

もしかしたらあったのではないでしょうか。

すなわち、死刑求刑に対し、無罪判決を出すことが正義でも、真実でも

ないのです。

立証の不十分さを盾に検察と対峙することも正義ではありませんし、真実

でもありません。

正義や真実とは、結局のところ我々国民自身が作っていくほかないのでは

ないでしょうか。それが国民の司法参画の大義名分であるはずです。

We are the law.

If we have faith in justice, we need only to believe in ourselves.

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も、もう12月・・・ 早い・・・

再来週には東南アジア旅行してきまふ

海外二回目出し楽しみだわー。


今回のレビューですが、彼女が学部の卒論で読んでいる文献で、

題名にも内容にも結構興味があったので、大学の図書館で借りて読みました。

こういった経営書やビジネス書はあんまり読まない分、いろいろなことが新鮮でした。


内容的にも、表面的な数字でない、しっかりとした論証の行われている文章

だったのかなと思います。

著者は多国籍企業とコーポレートガバナンスを専門とする韓国人、ということで、

アカデミズムに散見されるトレンド否定型の人間なんだなという理解です。


日本国内では営業力や精神面、また、集中的な戦略思考が語られがちな

サムスン電子ですが、本書では安いメディアの陥りがちな戦略分析ではなく、

組織論からの戦略という論証が行われており、こういった堅い論証には

非常に好感が持てました。


いわく、

・ソニー:「自由闊達」な企業風土=イノベーティブな製品開発、ボトムアップ式風土

・サムスン電子:「国益企業としての世界的発展」=営業収益志向、トップダウン式風土

           ↓

○デジタル革命:部品のコモディティ化により、技術移転の流動化・高速化

○グローバリゼーション:国内市場の飽和、北米、中国、東南アジアなど新興市場志向

           ↓

・ソニー:新商品開発の遅れ、グローバル組織化の挫折

・サムスン:コモディティ部門の躍進、集中的投資の成功


といった具合の図式でしょうか。


ただ、これは経営分析の難しさだとは思いますが、結果論に終始している感が否めません。

サムスンが勝ち組企業として名を上げたのは8インチウェーハ半導体への先見的投資

が大きいですが、これは結局、それが外れていたらサムスン電子が勝ち組企業として

栄華を誇っていたとはいえないでしょう(そうでないともいえないけど)。

「結果的に」デジタル革命のトレンドをつかむことのできたサムスン電子が勝てた、という程度。

蓋然性がより高かったのはソニーではなくサムスン電子だったということなのでしょうね。


また、ソニーの製品開発技術は確かに歴史的にも現在的にもすばらしいものがあると

私も思っていますが、本書はそれを強く賛美する傾向にあります。

確かに、私が生まれたころから日本人や日本企業は習ったり真似したりするのは上手でも

新しいものを作り出すのは苦手だという文化的理解が根強く、それに対する反例として

ソニーがあげられることも多かったし、その論理的妥結としてイノベーティブな風土・思考

を神聖視するきらいも多かったです。

ただ、それがどれほどの価値を持つのかはよくわかっていないのが現状なのでは

ないでしょうか。日本最初の世界規格創出企業として取り上げられた日本Victorも

経営の危機に陥りケンウッドとの合併を行いました。パイオニアのような

イノベーティブな企業も危機に瀕しているといっていいでしょう。

勝っている企業にイノベーティブなものは多いのかもしれないですが、

イノベーティブな企業が必ずしも勝てるというわけではないと思います。

当然、本書はその部分に黙示的に触れており、グローバル組織による多国籍

企業的営業活動が必要だという点も逃していませんが・・・


また、サムスン電子について否定的な言説を述べる際に、その官僚的

・軍隊的風土を攻撃するものは世の中に多いですが、本書もそこに終始

していたというのはいささか残念でした。

権利や自由、合議制を重視する欧米企業ならまだしも、東アジアの儒教国家

に生まれた企業が閉鎖的、軍隊的でもしょうがないでしょうし、それが必ずしも

勝ち組としての企業の形ではないのではないでしょうか。

少し欧米偏重主義の香りがしました。

ただし、著者が多国籍企業分析の研究者であるという点から考えると、

20世紀後半の最大の発明である多国籍企業が大きな収益、それも国に匹敵する

規模の収益を上げることのできる企業形態であること、

多国籍企業においては現地法人化は必須(定義)であり、マーケティングと

マネジメントの双方から現地人材の採用が必要であること、

経営者が母国国籍者である必要はないこと、多様な人材の必要性など

から合議制と個性・自由の尊重は必要的要素ということになるのでしょうか。


経営学の難しさと面白さ、奥深さを味わう作品でした。


ソニー VS.サムスン/張 世進
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前回の「オバマは~」に引き続きアメリカ論。

今回はアメリカ文化論に端を発する政治論でした。


たくさんの引き出しがちりばめられており、トクヴィルやサンデルなど

多様な学者の見解も多く引用されていて、しっかり勉強している人なんだな

と感心させられる作品でした。加えて、フィールドワークから来る深い経験や

洞察が見事。

新書ということもあって引き出しばかりで深く考察されていない点も

散見されましたが、それは新書であることの特長なのかなとも

思いつつ…。


最後に行けばいくほど、多くの引き出しをまとめることができなくなって

行くような感じもしましたが、以下の部分は秀逸でした。


第五章 アメリカニズム再考 P.170


もっとも、そのリスクは保守派の言動のみに限定されるものではない。

たとえば、「文化戦争」において、保守派のイデオロギーの対極をなす

リベラル派の多文化主義についても一定の留保が必要だ。


たとえその理念が人類全体の目指すべき究極目標であるとしても、

性急に「普遍」から語り始めることは、それに対するローカルレベルの

反発や反動の可能性も含め、逆効果ですらあるかもしれない。

多文化主義が原理主義化してしまう逆説を回避するためにも、

多文化主義そのものを相対化すること、すなわち多文化主義の「多文化」化が

欠かせない。


この視点を持つ人は少ないに違いない。

昨今社会科学、マスコミでは多文化主義やローカライゼーションが礼賛される

傾向にあるように思う。お互いを尊重するという意味においては効果的な行動

原理だとは思うのだけど、ローカライゼーションが単なる押し付けであっては

ならない。地方分権改革論などはそれに近しいものがあるように思われる。

この視点はアメリカ論を語る際に決して忘れてはならないものだと思う。


全体的には面白い新書でした。


アメリカン・デモクラシーの逆説 (岩波新書)/渡辺 靖
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こんばんわ。

レビューです。

図書館で借りた本がたまりにたまってこなせません

明日にでも延長してこようかと思います。


先日、米中間選挙で共和党が下院で多数を占め、上院ではフィリバスタを守る

議席数を確保する「ねじれ国会」(笑)が発生、オバマ政権に審判を下した、という

ニュースが日本を駆け巡ったので、アメリカ政治を学校で学んでいることも

あって手に取ってみた一冊。


ねじれ国会(笑)


アメリカでの「ねじれ」っていうのは上院と下院とが別の政党に占められること

ではなく、大統領の政党と議会(上下院)の多数党とが異なることを意味します。

こういうのを分割政府(Separated Government)というのですが、そこらへんが

よくわかっていないメディアは日本の状況と同視して説明してましたね。

マスゴミ乙www


さて、本書ですが、内容的にはオバマを称えるものでした。

あまのじゃく根性が強い私からすると、指導者とか体制とかを強く支持する

文章はかえって嫌悪感を感じてしまうのでした。

特に蜜月期間の100日に関する記述では、米メディアと同様讃える内容が

多くて、次の中間選挙で大敗することを知っている私からすると、失笑でした。

ただ、記述自体はオバマの2009年1月からの8カ月を精緻に追っており、

今回の中間選挙でアジェンダとされた「経済」「医療」「外交・軍事」をだいたい

にしてつかむことができる上、オバマの出自のようなものまで理解することが

できました。

途中で読むのをやめていれば、それはそれでよい知識になったのかも

しれないのですが、後半に入ると一気に客観的かつ批判的、悲観的な

分析になっていき、多角的な記述になっていきます。

加えて、それまでにない新しい見方も登場し、終わりに向けて面白くなって

いきます。

特に


第5章 民主主義の再生を目指して P.177


オバマは、第二次大戦後のアメリカの二大政党は、対立しながらも、

同じ国家目的を共有していたと述べている。しかしそのような冷戦時代

のコンセンサスに根ざした政党対立の在り方は1960年代以後変質し、

80年代以降はほとんど見られなくなった。社会における人種的、

文化的対立、さらに対外戦争の是非に関する対立が両政党内に流入

した。その結果、民主・共和両党とも、それぞれの政策的立場が体系化した。

つまり、民主党は経済政策でも人種・文化問題でもリベラルな党、

共和党は経済、社会、文化のいずれでも一貫して保守主義の立場をとり、

強い軍事力を志向する党となった。対外戦争に批判的なハト派は民主党に

合流し、冷戦期に両党が共有していた反共主義外交のコンセンサスは崩壊した。

それぞれの政争の立場はイデオロギー化し、相互に分極化したのである。


といった見方です。人種や文化的対立の流入からイデオロギーの体系化に

つながったことで、二大政党制における超党派的政治が困難になったことを

述べています。

この超党派的融和・現実的対処がオバマの特徴である、とするのが論者の

主張で、今後のオバマの浮沈は


おわりに P.216


オバマによる大きな制度改革と国民意識の変化の相互作用を通じて


なされる現状打破にかかっているということらしい。

現在のアメリカの問題やらなんやらがわかる本でした。


ちなみに今回の中間選挙を「歴史的」とみる見方も強いです。

たしかに、これほど大きなスウィング(議会の議席が大きく入れ替わること)

が起こるのはめずらしい。


しかし、日本では2004年の衆議院選挙で自民党が200議席を超える大勝、

2009年の衆議院選挙で民主党が圧勝、2010年の参議院選挙では自民党が

大勝とダイナミックなスウィングが連続しています。

アメリカが日本と同じ状況になったのではと考えることはできないか。


今のアメリカは新自由主義がアフガン・イラクの泥沼化とリーマンショック、

経済失速で否定されていることから、寄る辺を失った閉塞感に包まれている

のではないでしょうか。その閉塞感を感じ取った国民が事態の打開を求めて

野党に票を投じた、という程度のものだと私は考えています。


そうなると、2年後の大統領選で有利なのは民主党・オバマではないでしょうか。

すなわち、F22予算に対し拒否権の発動をほのめかすことでリーダーシップを

行使した経験のあるオバマは、下院に対し拒否権を再度利用する可能性が

あります。与党が民主党だった時から医療制度改革ができなかったのに

議会多数党が逆転した状態で可能かという疑問もありますが、どちらにしろ

困難であれば、相違はありません。

一方の共和党は、国民は共和党だからという理由で投票したのでない以上、

積極的な支援を得るのは難しいため、具体的な結果が要求されます。

すなわち、議会で法案を成立させ、経済を回復させて国民にアピールすること。

オバマ・民主党に対抗したいのに、譲歩もしなければならないというジレンマに

陥るのです。

加えて、経済が回復すれば、医療制度改革や外交・人権問題への関心が

高まるため、国民の目は民主党に向きやすくなると考えられます。

民主党は少なくとも、あと6年は政権をとるのではないでしょうか。


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