敬称略
○「聖地」を生み出す「聖地」
 アニメの舞台となった場所を「聖地」と称して巡礼するのがアニメオタクの風習となっていたが、その「聖地」を生み出す真の「聖地」こそが、京都アニメーションのスタジオ群だった。

 私自身は聖地巡礼なることをしたこともないが、もっと若かったらあちこち巡礼していたかもしれない。
 というのも、京都アニメーション(以下京アニ)作品は主にティーン・エイジャー向けであり、おじさん向けというわけではなかった。

 京アニが元請負で制作された「フルメタル・パニック二期(2003)・三期(2005)」はサンライズ的なロボット物路線であり、私にとっての京アニはよくある数多のアニメスタジオの一つという認識しかなかった。AIR/Kanon/CLANNADのKey作品群は見ていない。のちに続く、Key作品、Angel Beats!(2010)、Charlotte(2015)は見ているが、P.A.Works製作である。
 涼宮ハルヒの憂鬱(2006)、けいおん!(2009)と見たが、アニメマニア向けという印象が強かった。
 作風に変化が見られたのあが「氷菓」(武本康弘監督・2012)である。快活なヒロインが登場する学園ミステリー解決ものである。本作は原作者を迎えて製作に取り組んだ。表題の「氷菓」にまつわるエピソードは、かつて起きた学園紛争事件を基礎にしており、京アニらしからぬ政治性を帯びたものとなっていた。

 中二病でも恋がしたい!(2012)は主人公達自身がオタクであり、自身のオタク的(中二病)有り様を題材としている。

 オタク界を震撼させたのは、「響け! ユーフォニアム」(2016)、「映画 聲の形」(みみのかたち2016)である。個々の登場人物の心理描写を深く描きだし、作家性を強めた作風となっている。

 個人的に驚愕したのが「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」(石立太一監督・2018)である。原作は「京都アニメーション大賞」唯一の受賞作である。本作はいわゆる戦闘系美少女作品だが、大量の戦闘シーンを盛り込んだ「終末のイゼッタ」(亜細亜堂・2016)と違い、主人公ヴァイオレットの精神的成長を周囲の人達との交流を踏まえて丹念に描いている。

 今更言っても誰も信じないだろうが、私は「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」あまりによく出来すぎているので、ツィッターでは少し書いたが、ブログでの論評を避けた。
 どこがどうすごいのかと言うと、毎話泣けるのである(という感想文を見た)。私は全14話で4・5回は泣いた。
 ヴァイオレットの心情描写が素晴らしく、また、演じている石川由依の感情表現も情動を揺さぶる。かつてのオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ役を演じた田島令子を彷彿とさせる、舞台系ならではの、澄んでいながら憂いや震えを少し含んだ発声に感情を乗せる感じに、独特の魅力を感じるのである。

 主人公バイオレットは少女でありながら従軍経験があり「両腕を失った傷痍軍人が義手をしている」という設定であり、全編に戦争によって発生する戦地や内地での悲劇を丹念に描いている。
 19世紀のイギリス風の舞台設定であるがゆえ、手紙が重要な役割を担っている。バイオレットは手紙の代筆業「自動手記人形サービス」を通じて社会復帰する過程を描く。最終話である14話は時間軸的には4話と5話の間であり、バイオレットが大きく精神的に成長する過程が描かれている。

 なぜ、論評を避けたのか。
それは、この「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が反戦の強い意思を含んでいる事による報復を恐れたのである。ただ、その点は杞憂であるとも考えることができる。反戦的な作品なら既に山をなすほどある。
 昨今では「この世界の片隅に」(片渕須直監督)があり、「火垂るの墓」(高畑勲監督)の系譜に連なる丹念な描写に基づく反戦作品である。むしろ、そっちに耳目が集まってー、と私は思っていた。
 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は「風の谷のナウシカ」(宮崎駿監督)の戦闘系美少女物の系統であり、バイオレットの持つ戦闘力はあくまでファンタジー要素である。
 強い戦闘力を持つ傷痍軍人であるバイオレットが織り成す人間模様で、本作は構成されている。文章を綴る事が作品の主眼となっているが、万巻の言葉を尽くしても、死した人そのものは蘇らない。加えて「人は周囲の人に忘れされることに第二の死を迎える」という台詞までも出てくる。
 死は絶対的なものであり、救済されることはない。14話では戦争により受け取り手が死去し、行き場の失った膨大な手紙の存在が明かされる。
 人は原子によって構成され、死を持って原子に還り、魂は滅す。という原子論的な世界観を暗示している。うがって言えば、死という衝撃を緩和するための寓意である死後の世界の存在を否定し、戦争が作り出す負の側面を極限的に強調しているようにも見受けられる。
 私の考え過ぎかとも思ったが、登場人物に「ルクリア・モールバラ」なる人物がおり、原子論を今に伝える事となった「物の本質について」を流麗な文体で記述した詩人ルクティウスを想起させる。

 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の主スポンサーはNetflixであり、テレビ放映のみならずインターネットで世界配信が行われた。NetFlixは事前にまとまった資金を提供し、インターネットでの放送権のみNetflixに帰属し、他の放映権や版権は元請け側に帰属するという。黒船の再来と言われたNetflixがもたらしたのは、資金の流れだけではない。世界で流通させるために、京都アニメーションに対して、世界的にみて普遍的な舞台設定や人物・衣装デザインを要求したのであろう。
 どんなに「響け! ユーフォニアム」が優れたジュブナイル作品であったとしても、日本の高校を舞台としている以上、世界的観点から言えば、見る人達は限られてくる。
 また、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の主人公バイオレットは従来の京アニキャラクターよりもよりも比較的目を小さくした(それでも大きい)。それにより、普遍的に通用する美少女デザインとなっている。18-19世紀欧州を舞台としている点も、寓話として世界を席捲しうる要素である。
 時代によっていかなる創作物が世界を揺り動かしたか、考えてみてほしい。19世紀まではドストエフスキーやカール・マルクスのように著述された書籍が影響を及ぼし、民権意識の高まりを生んだ。20世紀後半はジョン・レノンやマイケル・ジャクソンに代表されるロック・スターが世界の注目を浴びて、世界平和について人々を啓蒙した。21世紀はアニメーションが戦争の悲劇を紡ぎ、平和への道筋を切り開くのである。日本のアニメーションは決してサブカルチャーではない。特に今世紀に入ってからは、日本のアニメこそが、世界にメッセージを発し、混迷する時代への篝火(かがりび)となっていた。
 ここ数年、日本のアニメーション界を主導してきたのは「京都アニメーション」である。今回の事件は、単なる単独犯ではない、と私は言い切れる。
 そのぐらいに、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は世界へ訴求力を持つ高い表現力を有し、かつて、イマヌエル・カントが提唱した「永遠平和のために」を具現しうる原動力を秘めているとすら、私は考えている。

 

フォローしてねアメンバーぼしゅう中!ペタしてね