今までアカウントを作ってはいたものの放置状態で、たまに利用しているメンズエステ店の嬢ブログを読むくらいだったアメブロに試しに投稿するようになって1ヵ月と10日ほどが過ぎた。

 

そして、50本の記事を投稿してみて分かったことは、やっぱり、アメブロって、元々、知名度のある人がSNSがわりに投稿するものを除けば、なかなかアクセス数を増やすのは難しいんだなということだった。

 

よく、アクセス数をのばす方法を指南している人が、特定のジャンルに特化して執筆しろとか、毎日同じ時間帯に投稿しろとか、半ばセミプロ的な書き方をするようにアドバイスしているが、本当にそうなんだというのを実感した。

 

仕事やプライベートの合間の余裕ができた時間にアップするから、1本も記事を書かない日もあれば、1日に3本も4本もあげる日もある。そういう書き方ではアクセス数は増えないってことか…。

 

タイアップ記事で広告収入を得ることを目的にしている人はそれでもいいけれど、ブログをきっかけに自分に注目してもらい、アメブロとは別の仕事依頼をもらえるようにしたいという目的では非常に効率の悪いやり方だということも分かった。

 

週を重ねるごとにアクセス数は増えていき、かつてやっていた“はてなブログ”の月間アクセス数を週間レベルで獲得できるくらいにはなった。

そして、今も継続している“note”の半年くらい前の週間アクセス数くらいは今のアメブロでも獲得できるようにはなった。

だから、このまま根気よく続ければ今の“note”くらいのリアクションは得られるようにはなるのかもしれないけれどね…。

シリーズものの最終章を2部作にする作品は、「ハリー・ポッター」をはじめ、これまでにもいくつかあった。
そのこと自体には何の文句もない。まぁ、今更、その商法をやるの?時代遅れじゃないの?って気はするけれどね。

 

ただ、最終章2部作の前編が“The Final”で、後編が“The Beginnig”という構成になっていることに関しては意味不明と言わざるを得ない。
前編でストーリーが完結し、後編はそれより前の時代を描くというのは盛り上がりに欠ける気がする。

 

“The Final”に該当する部分を単品で公開し、“The Beginning”に該当する部分を1年後とかに、“スピンオフ”とか“エピソード・ゼロ”的な立ち位置で公開した方が良かった気がするな。

 

ところで、前編“The Final”は緊急事態宣言が発令されたことによって、東京や大阪などではわずか2日の上映で打ち切りとなってしまった。
というか、緊急事態の発令が正式に決定されたのは公開初日の4月23日だが、それ以前から25日からの発令は言われていて、実際、23日公開予定だった「クレしん」は公開前日の22日に急遽、公開延期を発表したんだから、「るろ剣」シリーズも公開延期にしてもおかしくなかったんだよね。

 

でも、配給会社であるワーナーは東京や大阪など緊急事態宣言下で映画館の営業が休止される地域のことは無視して、予定通り公開することを選択した。

 

そもそも、この2部作は去年の公開予定だったものだし、ワーナーは海外でも、全国一斉には上映できなくても上映できる地域があれば、その地域では上映するという方針を「テネット」などの作品でとっていたから、邦画作品「るろ剣」でもそういう公開の仕方を取ったのだとは思う。

 

そして、一般的に全国の興行成績の35%ほどを占めるといわれる東京と大阪での上映がたった2日分しかないにもかかわらず、“The Final”は興収30億円を突破したのだから、その戦略は正しかったってことなんだろうね。

 

というか、「るろ剣」って都市部よりも地方で受けるコンテンツだったのか…。
まぁ、埼玉・千葉・神奈川のシネコンに出かけて鑑賞した都民は結構いると思うけれどね。

 

そして、都内でも6月1日より映画館の休業要請が解除されたのにあわせて、“The Final”の上映が再開され、そのわずか3日後の4日には予定通り、“The Beginnig”が公開開始となった。ただ、都内ではまだ、“The Final”を見ていない人が多いのか、上映回数の少ない“The Final”の方がチケットの売れ行きが良い劇場もあるようだ。

 

そして、この最終章後編である“The Beginnig”を見た感想だが、これは時代劇だな。なんかこれまでの「るろ剣」映画より中高年観客が目立つなと思ったけれど、本作は普通に幕末を舞台にした時代劇だった。
これまでの「るろ剣」映画は、ワイヤーアクションを駆使したアクション映画、ダークヒーロー的な人物が活躍するヒーロー映画、あるいは、史実と虚構をまぜた“なろう系”なストーリーであることから、「銀魂」ほど極端ではないにしろ、ファンタジー映画といったイメージを持たれていたが、これは完全に時代劇だね。

これまでの「るろ剣」映画が好きな若いファンには退屈だったのでは?話も暗いし、画面も暗いしね。上映中にトイレに行くためにスクリーン前を横切る観客が多かったのも、想像していたものと違かったからではないかと思う。

 

それにしても、いくら“The Beginnig”とうたっている。つまり、これまでのエピソードよりも前の時代を描いているとはいえ、シリーズ完結編なんだから、武井咲、蒼井優、(途中参加の)土屋太鳳などといった、これまでの作品のレギュラー陣を最後くらいは出しても良かったのでは?
というか、シリーズ1作目につながるでも、“The Final”のラストシーンの続きでもいいが、そういう場面を見せるのがファンサービスなのでは?

 

そう考えると、やっぱり、2部作として公開するのではなく、“The Final”の公開から1年くらいして、“スピンオフ”とか“エピソード・ゼロ”的な立ち位置で公開した方が良かったと思う。

 

ところで、ワンオクの主題歌って、てっきり、2部作共通だと思っていたが、“The Beginning”用に別の曲が用意されていたのか。
今回の“Broken Heart of Gold”はいかにも、シリーズ最終作向きなロック・バラードだよね。個人的には、“The Final”主題歌のアンセミックな“Renegades”の方が好みだけれどね。

全体としては、シネフィルと呼ばれるような人(映画マニアでもいいけれど)や、映像関係、マスコミなどクリエイティブ職に就いている人間なら共感できる作品だと思う。

 

また、アニオタは、「冴えカノ」とか「SHIROBAKO」といったクリエイティブ職の人間の産みの苦しみを描いた作品を大絶賛する傾向が強いので、本作も彼等からの高評価を得る予感がしてたまらない。
彼等には自分が制作側の人間のように思い込んでいる連中が多いから、作中のクリエイターの苦悩を自分の苦悩と勘違いしている人も多いんだよね。何も知らないくせに。

 

ちなみに自分はシネフィルでもあり、一応、クリエイティブ職の人間でもあるから、本作に共感できる部分はかなりあった。

 

でも、あえて言わせてもらうが、これってハリウッド(正確にはハリウッドを模したニャリウッドだが)を舞台にした作品ではなく、日本のミニシアター系邦画の制作現場の話だよね。

 

ハリウッドじゃ、労働時間は厳守だし、スタッフは自分の担当パート以外には口出し・手出しはしてはいけないし、撮影現場でプロデューサーがAPにメシを買いに行かせることもないからね。というか、現場で調理したあたたかい食事が提供されるのが普通だしね。


あと、アカデミー賞(正確にはアカデミー賞を模したニャカデミー賞)の授賞式で司会が受賞者にインタビューすることもない。それは、日本アカデミー賞だから…。

 

あと、若干、フィルム時代の撮影や編集とデジタル時代の撮影や編集を混同している所も見受けられる。

 

日本のコミックやアニメにおける映画現場の描写には、“それは違うよね?”って思うことが多々ある。最近でいえば、「神様になった日」の自主制作映画の撮影シーンでも感じたが、本作でもそういうことが多かった。

 

それから、撮影したシーンをプレイバックする時に合成したクリーチャーが映っているってのはないと思うな…。

 

まぁ、彼等は自分たちのアニメ現場も実写映画の現場も同じ映像制作の現場だし似たような役割だと思っているんだろうな。
ハリウッドのアシスタント・プロデューサーをアニメ現場の制作進行みたいなもの、あるいは、演出見習いみたいなものと思っていないか?
全然、違うんだけれどね…。というか、ハリウッドでは、APや助監督が監督に昇格するなんていうシステムはほぼなくなっているからね。日本も今では似たようなものだが。

 

正直、もう少し、ハリウッドのシステムを勉強してから描いてほしいとは思ったかな。

 

まぁ、ほとんどのキャラクターが欧米人っぽい容姿なのに、主人公とヒロインだけは日本人キャラクターといっても通じるようなルックスになっているのは、ハリウッドではなく日本の映画制作現場というより、アニメの制作現場に重ね合わせているんだろうね。

 

それから、映画大好き(英語表記ではシネフィル)とされているポンポさんが、エンドロールを見ないというのも納得いかないな。映画大好きなら1コマ(今はデジタル上映だからコマって呼ぶのは間違いかな…)たりとも見逃すまいってなるはずだから、エンドロールを見ないなんてありえないんだけれどね。

 

まぁ、「ニュー・シネマ・パラダイス」も勝手に作品をカットして上映したり、フィルムを別の映画館でも使い回すからという理由でエンドロールまできちんと上映しなかったりというシネフィルにとっては許せないことをする連中の話なのに、自称映画好きの連中が大絶賛していたから、本作もそうした似非シネフィルにはマンセーされるんだろうね。

 

この作品のタイトルロールのポンポさんは90分以上の上映時間の映画は見たくない主義の人らしいから、主人公であるAP(後に監督となる)のジーンほど、映画に対する思い入れはないような気がするな…。
“映画大好きジーンくん”より、“映画大好きポンポさん”の方がタイトルにインパクトがあるからそうなったんだろうが、内容に偽りありって感じだな…。

 

ただ、“映画は90分まで”というポンポさんの主張には概ね同意できるかな。
個人的には90分だとちょっと短いとは思うから、120分までは容認してもいいとは思うが。


どんなに面白くても、どんなに感動しても、どんなに芸術性が優れていても、上映時間を120分までに収められなかった作品は、監督やプロデューサー、脚本家、編集マンといった人たちの力量不足だと思う。
せめて、120分を超えるなら、間で休憩を挟むなどして、事実上の2部作にするべきだと思う。
休憩なしで3時間以上も上映するなんてありえないよ。


まぁ、「シンドラーのリスト」も「タイタニック」も「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」も映画史に残る作品だとは思うけれどね。
というか、3作ともアカデミー作品賞を受賞しているから名作なんだけれどね…。

 

それから、ポンポさんが好きな映画の条件が“90分以内の作品”というのに合わせて、劇中劇(ジーンの監督作品)も、そして、現実世界の本作の上映時間も90分にするというメタに次ぐメタな構成もやり過ぎかなとは思ったかな。

 

なので、シネフィルとしては不満や疑問に思うことも多かった。
でも、全体としてはプロでもアマでもいいから創作活動をしたことがある人間なら何らかの共感はできる要素も多いので、鑑賞後の満足度は高いと思う。

先日、今泉力哉監督による女性観客を蔑視した発言が問題視されたが、本作のようなジャニーズ・メンバー出演映画を見に行くと、そうした発言をしたくなる気持ちも分かるんだよね。

 

いわゆるジャニオタと呼ばれる人たちに劇場が占拠されているから、お一人様の男の観客がいると、“何で、お前がいるんだよ?”とか、“痴漢目当ての不審者か?”みたいな目で見られるからね…。

 

共演者とか、監督とか、原作とかに興味があるとか、そういうジャンルの作品が好きとかいう理由で見に来る人だって多いのにね…。

 

ちなみに、自分は白石聖という共演者に興味があり、キラキラ系映画というジャンルが好きだから見ることにした。

 

今回に限っては主演(主役は白石聖だと思うが、クレジット上はトップの)美 少年の浮所飛貴にはほとんど興味がない上での鑑賞となった。
本当、ジャニーズ・メンバーって、こういう演技する人が多いよね…。
申し訳ないが、シネフィル的観点からは大根演技と言わざるを得ない。というか、平野紫耀もそうだけれど、こういう声質や発声の人って、何やっても、ド下手演技にしか見えないと思う。まぁ、ファンはそうは思わないんだろうけれどね。

そういえば、ジャニオタによって、“推し”って言葉の意味合いって変わった気がするよね。
AKBグループのオタが“推し”という言葉を使い出した頃は、「チームB推し」という曲のタイトルからも分かるように、ファン側が主語だった。この曲名を丁寧に言い換えれば、“チームBを推している私”だしね。

でも、ジャニオタが使う“推し”って言葉はメンバーが主語なんだよね。彼女たちが“推しの演技が…”と言った時の“推し”は“私”ではなく“メンバー”のことをさしているしね。

 

ジャニーズ関連の話をもう一つ。本作はジャニーズ主演映画ということで、本編上映前のCM予告タイムでは今後公開されるジャニーズ主演映画の予告編が複数上映された。
「かぐや様は告らせたい」(平野紫耀)、「ハニーレモンソーダ」(ラウール)、「ザ・ファブル」(岡田准一)と立て続けに流れたが、こうやって、まとめて見ると、岡田准一って、オッサンだな…。岡田准一単体で見るとそうでもないだけれど、キンプリやSnow Manのメンバーと比べると、やっぱり、オッサンだな…。

 

話を自分が推している白石聖に戻そう。
彼女に対する世間的な注目が増したのは、ネガティブな地下アイドルを演じた深夜ドラマ「だから私が推しました」だと思う。この時点で既に19歳の役を演じていた。

 

そして、去年放送された深夜ドラマ(正確には地上波放送に先行して配信されていたドラマ)「時をかけるバンド」ではガールズ・バンド(これも音楽もの!)のボーカルを演じていたが、作中でははっきりした年齢は明かされてはいなかったものの(多分…)、作品を見る限りでは、少なくとも高校卒業以上の年齢には達しているようだった。

 

ところが、現在放送中の(といっても、次が最終回だが)深夜ドラマ「ガールガンレディ」では高校2年生の役だし、本作ではそれより若い高1時代の演技も披露している(最終的には高3まで演じている)。

 

見た目は、「だから私が推しました」の時より大人になっているのに、特に髪を短くしてからはその傾向が強まったのに、演じる役は若くなっているって、どういうことなんだ?

 

深夜ドラマやキラキラ映画の常連だった若手女優陣に新鮮味がなくなり、制服姿がコスプレに見えてしまうようになったから、まだ、知名度がそんなに高くない彼女に制服役が回ってくるようになったのだろうか?


でも、顔付きが大人っぽくなってしまったから、ちょっと前のキラキラ常連よりも、AV女優や風俗嬢のコスプレに見えて仕方ないんだよね…。

 

キラキラ映画といえば、コロナ前の時点でかなり落ち目になりつつあったこともあったし、コロナ禍になると学園モノは多くの生徒・学生キャラが出てきて撮影現場が密になることから撮影が敬遠されがちだったけれど、ここ最近はまた、公開作品が増えつつあるようだ。

 

ただ、本作が他のキラキラ映画と違うのは、たとえば、高校3年間を描くとしたら、通常は1年生の時の描写にさく時間が長くなることが多いし、ゴールは卒業式あるいは、卒業までいかなくても、学年の終わりになることが多い。


でも、本作は1年から2年までは、まるでテレビドラマの劇場版で冒頭にテレビ版のダイジェストがつけられるがごとく、あっさりと紹介されるだけで終わってしまっている。つまり、3年生の時の描写がほとんどを占めていることになる。にもかかわらず本作は、進路に悩む時期から卒業式のシーズンは描かれない。

 

キラキラ映画の定番である林間学校(修学旅行)、夏祭り、文化祭といったイベントを描き、その間にメインキャラたちの恋愛関係を進めているだけである。学園モノとしては何のカタルシスも得られない映画というのが斬新といえば斬新なのかもしれない。

まぁ、ヒロインが憧れの彼と恋愛関係になるという点だけでいえば、きちんと話は完結しているから、ラブ・ストーリー目線で語れば何の問題もないんだけれどね。

 

それにしても、キラキラ映画ってツッコミどころ満載だよね。大人キャラがほとんど出てこないことにツッコむのは諦めるけれどさ、○○委員をやるような女子生徒が遅刻の常習犯っておかしいだろ!まともな担任だったら、普通はそんな生徒には○○委員なんてやらせないぞ。

 

あと、毎日、登校時に校門のところで、教師がチェックしているような規律に厳しい学校のはずなのに、茶髪やピアスが見逃されているのも意味不明。というか、先述した○○委員をやっている女子生徒(というか主役)も茶髪だしね。

 

日本の現場って、何故か、役者に髪を黒くしろって言えない風潮があるけれど、それっておかしいよね。他の仕事に影響するとかあるのかも

しれないけれどさ、そんなの作品には関係ない話だしね。だから、日本の映画やドラマってリアリティがないんだよね。

最終回を迎えるまで、朝ドラ「おかえりモネ」に関する投稿はしないつもりだったが、ここ数日の東日本大震災に関する描写に腹が立ったので、がまんできずに執筆することにした。

 

本当、色々とクソだな!

 

木曜日のラストシーンで午後2時46分になった瞬間の時計を映しておきながら、金曜日のファーストシーンが午後10時って、どういうことだよ!揺れの描写をしないのか?津波は被災者に対する配慮で描かないというのは分かるが、揺れている描写くらいはあってもいいだろうとは思う。

 

大震災の描写に関してはシリーズ全体では大酷評された「半分、青い。」の方が遥かにマシだった。

あと、モネが大震災発生時にいなかったから負い目を感じているというキャラクター設定だったが、モネがいたのは仙台だろ!被災地じゃないか!東京の学校を受験したから被災地にいなかったっていうなら非国民扱いされるのも仕方ないかもしれないけれど、仙台だよね?被災地でしょ!意味不明な設定なんだけれど!

それから、2011年夏の回想から現在(2014年)に戻る場面のつなぎもクソ!モネのバストサイズからモネの顔のアップでは月日が経ったことが分からない。
それだと、その後の浜辺のシーンが実際は現在の描写なのに、大震災からたった4ヵ月くらいしか経っていない中、浜辺に出かけた非常識な奴等の描写に見えてしまうぞ!

 

なのにネットの声は絶賛ばかり。何であの脚本・演出・編集の「おかえりモネ」を絶賛できるのか意味不明だな。

 

だから日本のドラマや映画のレベルが世界から離されていくんだよ!
映像作品である以上は、その瞬間の描写を描かなくては意味がないんだよ!

ラジオドラマじゃないんだからさ。

 

まぁ、朝ドラの正式タイトルは連続テレビ小説であり、連続テレビドラマではないから、映像で見せなくてもいいという発想なのかもしれないけれどね。

 

説明過多な日本の映画やドラマを問題視するネット記事が最近、話題となっているが、「おかえりモネ」の大震災の描写はそれと表裏一体だと思う。
何でもセリフやナレーション、テロップで説明する構成も問題だが、描いているテーマの核となるパートを誰もが知っているという理由で描かないというのも大問題だと思う。

 

被災者への配慮とか、予算の都合とか、理由を作って逃げているだけ。

 

その描写をしないならわざわざ、回想シーンという形で大震災発生時を描く必要はない!


それこそ、“3年前は大変だった”のセリフだけで済ませて、現在のストーリーを進行させた方がまだマシだと思う。


昔、自分が脚本の書き方を習っていた時は、講師からは“回想シーンなんて、能のない奴がやる作劇法”と教わったが、それは極端すぎる意見としても、本当、最近の映画やドラマって構成的に間違っている回想シーンが多すぎると思う。

 

Real Soundで宇野維正が執筆した記事には賛同できないことも多いが、今週配信された“快作『クルエラ』初登場6位 配信から前倒しの公開もディズニー包囲網は変わらず”という記事には珍しく賛同できた。

 

この記事のヤフコメとかを見ていてもそうだけれど、映画にしろ、アニメにしろ、アイドルにしろ、政治にしろ、経済にしろ、何にしろそうだが、日本人って、ファンや市民、消費者の立場ではなく、運営側の目線で語る奴って多いよね。アホじゃないかって思うな。

 

ディズニー映画の日本での上映規模、興行成績が縮小している問題に関しては、ここ2作のピクサー作品や「ムーラン」のように、劇場公開を一切見送られた作品もあるけれど、「ラーヤ」や今回の「クルエラ」のように配信と同時に劇場向けにも供給している作品はあるわけだしね。


ディズニープラスと契約していない映画ファンや、契約していてもスマホやPCの画面ではなく映画館のスクリーンと音響で見たい人だっているわけだからね。
そういう人の鑑賞機会を奪っているということをディズニー映画の上映拒否をしている全興連は認識すべきだと思うな。

そもそも、邦画なんてテレビドラマやテレビアニメの劇場版だらけだし、映画オリジナル作品だって、テレビ局資本の作品が多い。テレビアニメの総集編映画も多いし、OVAのイベント上映も多い。なのに、ディズニーのネット同時配信作品を拒否するっていうのは意味不明としかいいようがない。

 

要は、排外主義。言い換えれば外国人差別でしょ。


ディズニーの同時配信作品を拒否するなら、公開と同時期にDVDが発売されたり、配信がスタートしたりするイベント上映の国産アニメも拒否しなくては辻褄があわないと思うな。

洋画市場で圧倒的なシェア、邦画を含めても東宝に次ぐ2番手だったディズニーを日本市場から追い出したいだけとしか思えない。

米国では、ディズニーの同時配信映画はコロナ前の作品に比べれば弱い成績かもしれないが、それでも、ランキング上位には入っているし、韓国や中国などディズニープラスがローンチされていない市場では相変わらず大ヒットとなっている。

ただでさえ、長引く洋画不振で日本市場はハリウッドから軽視されるようになっているのに、稼ぎ頭だったディズニーも日本市場で存在がなくなってしまうと、事実上、日本の洋画市場は一気に縮小することになる。

つまり、ハリウッドの日本スルーはさらに加速することになるわけで、映画ファンがハリウッド映画を見る機会が奪われていくことになるんだけれどね…。まぁ、全興連としては洋画シェアが下がれば下がるほど嬉しいんだろうが、そんなの健全な映画市場じゃないよ!

小池百合子のようなポピュリズム政治を行う連中というのは、特定の勢力を悪役にして、それ以外の存在を曖昧にすることを常套手段としている。今回の緊急事態宣言でも演劇やコンサートの公演、スポーツイベントはOKなのに、映画館はNGというアホな決まりを作り、映画業界関係者や映画ファンを呆れさせた。

 

1月の緊急事態宣言下より感染状況が深刻なわけだから、前回のように飲食店だけを悪役にしたのでは整合性が取れない。だから、映画館や美術館、百貨店も悪役にしようという、その程度の発想でしかないのではないだろうか。

 

そして、何故、演劇やコンサート、スポーツイベントがOKで、映画館や美術館、百貨店がNGにされたのかといえば、前者が五輪に近いライブ・エンターテインメントだからであり、こうしたものを中止にさせたら、五輪なんて開催できるわけないだろうという機運が高まってしまうからだという思考であるのは間違いないと思う。

 

でも、誰が考えてもおかしな策だ。演劇やコンサート、スポーツイベントは観客の目の前で生身の“演者”が汗や唾液を飛ばしている。
映画館は舞台挨拶などのイベントがなければ、生身の“演者”は存在しない。
どちらが感染リスクが高いかといえば、誰が考えても前者だ。


だから、映画業界関係者や映画ファン、マスコミは勿論のこと、そうでない人からも批判の声が増した。

 

もっとも、吉永小百合の映画館への休業要請に対する批判コメントは的はずれもいいところだけれどね。

舞台挨拶で“スクリーンから飛沫は飛ばない”と発言したけれど、あんたがやっている舞台挨拶は飛沫が飛んでいるだろって言いたい。
舞台挨拶を中止したのなら、“仰る通り”と思うけれど、舞台挨拶という昔ながらの伝統的な映画イベントを相変わらずやっていたのでは、国や自治体を批判する資格はないと思うな。こういうのが、日本の芸能人は世間知らずって言われる所なんだよね。

 

まぁ、吉永発言の是非はともかく、小池に対する批判の声は各方面から増していったわけだから、彼女が緊急事態宣言の再延長(6月1日以降)に合わせて、映画館に対する休業要請を解除したことに対してはなんの驚きもない。大衆の声をコントロールすることが大好きなポピュリストだから、自分に対する批判が高まれば、コロッと方針を変えるポリシーのない奴だしね。

 

でも、この小池のアホな策のせいで、映画業界や映画ファンは多大な迷惑を被るハメになってしまったんだよね。

 

何故なら、6月1日以降、都内の映画館では、

 

①元々、6月1日以降に公開予定だった作品
②今回の緊急事態宣言により、6月1日以降の公開に変更された作品
③東京や大阪など休業要請が出されている地域以外では予定通り、緊急事態宣言期間中に公開開始となった作品

 

これらが一斉に、上映開始となるのだから、空前の公開ラッシュとなってしまう。

 

それは、各作品の上映回数が少なくなることを意味する。本来なら①に割り当てられるはずだったスクリーンが、②や③にも振り分けられることになるのだから、それは当然だ。

 

その結果、同じジャンルの作品が同じ週に公開されることになり、スクリーンと観客を奪い合う状況になっている。

「るろうに剣心」や「賭ケグルイ」といったランキング上位入りが期待される一般向け作品は上映回数も確保されているからいいけれど、それ以外の作品は本当、スクリーンと観客の奪い合い状態だよね。

 

アニメ映画を例にあげるが、今週は4本のアニメ映画の公開ラッシュとなる(地方先行公開作品は除く)。そのうちの3本、「レヴュースタァライト」、「シドニアの騎士」、「映画大好きポッポさん」はターゲット層もかなり被っている作品だ。

 

他ジャンルでも似たような状況だから、映画ファンは鑑賞スケジュールが立てにくくなっている。ハシゴしようと思っても、1日に2〜3回しか上映しない作品ばかりだと、非常に効率の悪い鑑賞スケジュールになってしまう。

しかも、座席販売は半分だから、あっという間に売り切れてしまう。確実に映画ファンから鑑賞の機会を奪っているんだよね。作品にとって、これほど不幸なことはない。

 

本来なら1人でも多くの映画ファンに見てもらえる万全のタイミングで公開すべきなのに、何故、そうしないのかというと、独立系洋画配給会社も含めた日本の映画会社には金銭的余裕がないということがあげられるのではないだろうか。

 

唯一、余裕を持って映画の公開を延期しているのが圧倒的なシェアを持つ東宝だけというのがその証だ。東宝は今回の緊急事態宣言で、「クレしん」、「アーヤと魔女」、「ヒノマルソウル」、「ゴジラvsコング」、「100日ワニ」と5作品を公開延期にしたが、このうち、6月中の公開に変更した作品は「ヒノマルソウル」だけだ。
この作品は元々、去年の公開予定だったから、“賞味期限”的にもそろそろ限界ということで、公開を焦っているのだろうとは思う。

 

まぁ、7月公開になった「100日ワニ」というのも“賞味期限”問題があるから早めの公開日に設定したってのはあるとは思うけれどね。
何しろ、去年春に原作漫画の最終回の発表と同時に、グッズ発売やいきものがかりの楽曲提供、映画化が相次いで発表され、ネット発のブームだと思っていたものが、単なるステマだと分かった瞬間、一気にオワコン化してしまったしね。


まぁ、ワニに関わったせいで、いきものがかりの“寿命”も一気に縮まったよね。元々、メンバーのレイプ疑惑があって、グループの人気が下降気味だったのに、このステマに加担したことでグループに対する信頼度は一気に減速したって感じかな。だから、今回、その疑惑メンバーが脱退することになったのも当然という気がする。

 

あと、「ゴジラvsコング」は海外ではとっくの昔に公開されている作品だし、連動させようとしていたアニメ「ゴジラSP」の放送も終了してしまうから、こちらも“賞味期限”切れを気にして7月公開にしたって感じなのかな?

 

話は元に戻すが、東宝以外の映画会社は当初の見込みよりも少ない収入になったとしても、とりあえず得られる収入は今のうちに得ておこうという方針なのだと思う。

 

また、最近の欧米の新型コロナウイルス感染状況は、ワクチン接種が進んだことによって、劇的に改善していて、これまで公開延期が相次いでいたハリウッド(メジャー・スタジオ)作品の上映もコンスタントに再開されている。
5月下旬に全米公開された「クワイエット・プレイス」の続編は、コロナ禍になって初めて、公開初週の週末の全米興行収入が5000万ドルに迫る大ヒットになった。


ワクチンを接種していれば、マスクなしでの入場を認めている地域もあることから、これから全米の興行成績はどんどん良くなっていくだろうし、公開延期されていた作品も続々と上映されるようになっていくと思われる。

 

つまり、こうしたハリウッド作品は日本の映画館でも近いうちに上映されることになる。相変わらず、日本公開は全米や日本以外の世界各地よりは遅いが、それでも、6月後半あたりからはハリウッド作品も劇場でかかりはじめる。

 

いくら、邦高洋低と呼ばれる興行展開になって久しいとはいえ、長らく、数えるほどしかなかったハリウッド大作が映画館に帰ってくるとなれば、中高年を中心とした映画ファンが再び劇場に足を運ぶようになるのは間違いない。

 

だから、東宝以外の邦画各社や洋画独立系はハリウッド映画が本格的に劇場に戻ってくる前の6月中に劇場公開しておきたいというのもあるのだろう。

でも、全然、映画ファンのことを考えていないよね。同じ週に見たいと思う作品が10本も公開されたって、追いかけらないよ!


しかも、公開ラッシュのせいで上映回数が少ないし、座席販売が半分だから、すぐにチケットは売り切れてしまうし。

というか、いまだに、3密が揃わなければ感染しないみたいな古い情報を伝えるCMや、全然役に立たないことが明らかになったCOCOAのダウンロードを推奨するCMを流している映画館の感染症対策なんて、全然信用できないけれどね。

まぁ、映画館での咳エチケットとか、フード類の食べ方を指南するCMに出ている姉ちゃんは可愛いとは思うけれどね。

正直なところ、平日開催だから行くかどうか迷った。でも、姉貴分のイコラブの1stコンサートは見ているから、妹のノイミーの1stコンサートも見なくてはとの思いで、自分のスケジュールがキツくなるのを承知の上で見に行くことに決めた。

 

フェス出演や定期公演等々、ライブ活動をさんざん行ったのちに、今更、1stコンサートなのと思う時期に開催するのはイコラブと同じだ。

イコラブは2017年夏のTOKYO IDOL FESTIVAL(以下TIF)で初めてのライブを行ってから、1stコンサート開催まで1年半かかった。

 

ノイミーも同じく初ライブはTIFだが、これが2019年の夏だったので、1stコンサートまでは1年10ヵ月もかかったことになる。

勿論、ノイミーは長いこと、イコラブのCDシングルのカップリングと配信という形でのみのリリースで、自分たち名義のCDは今年になるまでリリースされていなかったし、ここ最近はコロナ禍で活動が思うようにいかないことも多かったから、イコラブよりも時間がかかったのは仕方がないことだとは思う。

 

自分が生のノイミーのパフォーマンスを見るのは、これが4回目となる。

本当、ノイミー関連のチケットって取るの難しい…。イコラブ以上に、女子人気が高い、あるいは男でも若者に人気が高いというのをアピールしたいのか、なかなかチケットを入手できないからね…。今回だって、FC先行販売でチケットを購入したのに、1階後方席だからね…。まぁ、当選できただけマシだけれど。

実際、会場を見回すと、女子率高いし、男もアンダー30が中心。チケットの当選者を決めるの、厳選なる抽選ではなく、応募者の属性で選んでいる気がするな…。

 

ちなみに、ノイミーを最初に見たのは先述した2019年夏のTIF。この時点で既に、イコラブ同様、お気に入りのグループになっていた。菜々風ともも推しになったのもこの時だ。

 

次に見たのは、この年の年末に天王洲銀河劇場で開催された第1回定期公演。今思うと、よくこのチケットが取れたものだと思う。

 

2020年1月にZepp Tokyoで開催されたイコラブのツアーファイナル公演にノイミーが前座として出演したが、観客の半分くらいの入場がまだ済んでいない(=運営側の仕切りが悪い)のに前座のパフォーマンスをはじめるという、ふざけたことをやられたので、この時は現場にいるのに見られないという悲しい目にあった。

 

なので、3回目のノイミー体験は、この年の10月にぴあアリーナMMで開催されたイコラブとの合同コンサートとなった。

 

ところで、気になるのは、ノイミーがイコラブのカップリング担当からはずれ、キングレコードから単独名義で楽曲をリリースするようになったことだ。イコラブはソニーのアニソン系レーベルのSACRA MUSICの所属だから、ノイミーと合同でライブをやるのは難しいのだろうか?

キングからのデビュー第1弾として出したノイミーのミニアルバムには、カップリング担当時代の楽曲も収録されていたということは、もう、SACRAとは縁を切ったのかと思ってしまう。

 

でも、「イコノイ、どーですか?」というバラエティ番組に一緒に出ているから関係ないのかな?

 

ということで、やっと足を運べたノイミー現場だが、何か、ライブ系エンタメの現場に足を運ぶたびに日本の芸能界に対する怒りが増していくな…。緊急事態宣言下ということで開場時間をはやめておきながら、開場時間になっても、リハだかなんだかが終わっていないって、どういうことなんだろうか。

だから、ライブや演劇が認められているのに、映画館が休業させられていた5月31日までの方針はおかしいって批判されるんだよ。

どう考えても、コロナ対策をなめているのは、ライブ系エンタメの現場なのに、映画館の方が悪者扱いされているしね。

まぁ、五輪やそのPVを開催したいから、それに近い立場のライブ系エンタメには甘々だったんだろうね。

 

コロナ禍で大勢を集めるだけでも意味不明なのに、カーボンゼロとかSDGsとかESGみたいなことをほざいている連中が、樹木を伐採して、PV会場を建設するというのは矛盾だらけだよね。結局、中抜き案件なんでしょとしか思えず、批判の嵐になったので、代々木公園のPVは中止となったようだが。

それでも、ワクチン接種会場をかわりに作ると言い出しているってことは、建設業界に金を渡して、そこから中抜きすることは意地でもやるってことなんだろうね。本当、腹立つ!

というか、パラリンピックのPVはやるってのもなめているよね。パラなら誰も障害者のイベントなんか見に来ないから、密にならないでしょってことだよね。酷い障害者差別だな。そんなことをやっている東京都には五輪パラの開催資格なんて、そもそもないのでは?

 

でも、コンサート自体は初々しい感じで良かった。MCのグダグダ感は1stコンサートって感じだしね。よく考えたら、イコラブだって、1stコンサートの時はこんな感じだったような気もするしね。

 

それにしても、ノイミーの曲って良曲揃いだよね。イコラブも良曲揃いだけれど、それ以上かも。“自分賛歌”なんて泣けるしね。

それから、イコラブ曲でも感じているけれど、本当、指原莉乃曲で使う英語って、典型的な邦楽では出てこない単語がよく出てくるのには感心する。ノイミー曲でいえば、“インシデント”とかね。

あと、音源を聞いたり、MVを見たりした段階では、“P.I.C.”はノイミーっぽくないなと感じていたが、今回、ライブで映える曲だというのが良く分かった。もちろん、“クルクルかき氷”はペンライトを回すのが楽しくて仕方なかった。

 

今回は、これまでに発表した曲に新曲をプラスしたミニアルバムしか出していない状態で開催された1stコンサートだからカバーも多いけれど(といっても、イコラブ曲と秋元康曲だが)、イコラブだって、最初は秋元曲のカバーをやっていたのだから、ノイミーもそのうち、イコラブみたいに持ち歌だけで約2時間のライブをやれるようになるのかな。楽しみだな。

 

それにしても、菜々風は可愛いな。あと、みるてんも推しになりそうだ…。

 

菜々風で思い出した!

「空白の花」は名曲だな!

ノイミーのオタしか知らないのは勿体ないよな。アイドルでない邦楽アーティストの曲だったら、かなりのヒットになりそうな曲だしね。

現時点での今年の劇場での洋画鑑賞本数は16本。年間鑑賞本数は40本いければいい方かなという感じになっている。ちなみに去年はちょうど50本だった。

洋画不況とか邦高洋低と呼ばれて久しく、洋画を劇場で見る環境は悪化していたが、それでも、コロナ前の一昨年は74本の新作洋画を劇場で見ていたのだから、コロナ禍に突入して以降、洋画を見る機会が激減しているのは間違いないと思う。

 

とはいえ、欧州やアジア映画を中心にミニシアター系作品はまだ、それなりに供給されているとは思う。問題は米国映画の供給不足だ。

ハリウッドのメジャー系大作は多くの作品が本国のみならず世界的に公開が延期されていたので仕方ない部分もある(米国ではワクチン接種が進み、5月下旬から徐々に公開作品も増えてきてはいるが)。

しかし、米国で興行収入ランキングの正式な発表が復活した去年8月下旬以降の公開作品でランキング上位に入った作品(特にNYやLAの映画館の営業が再開された今年3月までの公開作品)で、メジャー系超大作に含まれないものは、メジャー系・独立系の作品問わず、日本では現時点では劇場未公開だったり、DVD/Blu-rayスルーだったり、劇場公開されても「未体験ゾーンの映画たち」といった特集上映のみだったりといった作品も多い。

確かに全米ランキング1位といっても、コロナ前より遥かに低い数字だから大ヒットとはうたえないし、俳優や監督の来日キャンペーンはほぼ100%無理。日本の芸能人を使ったイベントもコロナ禍では開催しにくい。

だから、「テネット」や「モンスターハンター」のような超大作ならキャンペーンやイベント抜きでも公開できるが、それ以外の作品は公開予定が立てられないということなのだろう。

ただでさえ、長引く洋画不況なんだから、プロモーションしなくてもヒットするような作品以外の公開を見送るのは仕方ないのかもしれない。
欧州やアジア映画に比べて米国映画はこうしたプロモーションに頼りきっていたから、なかなか新たな一手が出せないのだと思う。

 

メジャーのワーナー映画でアカデミー作品賞にノミネートされたのに、「Judas and the Black Messiah」が日本では劇場公開が見送られたらしいという情報もあるくらいだから、米国映画の日本公開には慎重になっているのだと思う。

 

本作「アオラレ」は米国で去年8月下旬に興行収入ランキングが復活した週に、ランキング首位を獲得した作品だ。
それが日本公開まで9ヵ月もかかるのだから、日本における米国映画マーケットというのは縮みまくっているということなのだと思う。

 

それにしても、何とか日本市場でアピールしようと策を巡らした結果なのだろうが、「アオラレ」って邦題は酷すぎる。
しかも、社会に対する怒りを爆発させている凶暴なドライバー役のラッセル・クロウに“アオってんじゃねぇよ!”と日本語で言わせて、ナレーターが“お前が言うな”と突っ込む予告編はクソの極みだしね。

なんで、“精神的に不安定な”という意味の「UNHINGED」が「アオラレ」になるんだよ!「サトラレ」を意識したのか?

凶暴なドライバーに喧嘩を売ってしまったことから、しつこく追いかけられるハメになる話といえば、スティーブン・スピルバーグ監督のTVムービー(日本などでは劇場公開)「激突!」を思い浮かべる。

話は脱線するが、個人的には「激突!」で凶暴なドライバーの手が一瞬見えたのは残念だと思う。手を見せずに、もしかしたら、人間ではないものの仕業かもと思わせてもいいのにって気はするかな。まぁ、グロいことをやっておきながら、ヒューマニズムも見せるという矛盾したところがスピルバーグ節なんだけれどね。

話を元に戻すが、そういう設定だけだと、「激突!」を想起させるが、ドライバー役のラッセル・クロウは出ずっぱりだから、全然、「激突!」っぽくないんだよね。

 

それから、社会に対する怒りを増幅させている人間が社会に復讐するという設定だけを見れば、今は亡きジョエル・シュマッカー監督の快作「フォーリング・ダウン」を思い浮かべてしまう。
しかし、同作の主人公・D-フェンスには共感できたけれど(特にハンバーガーが見本写真よりショボいことに怒るシーンとか)、この「アオラレ」のドライバーには全く共感できないんだよね。

 

しかも、共感できないのはドライバーだけではない。ドライバーにしつこく追いかけられる母親にも全く共感できない。
子育ても家事も仕事もいい加減。そりゃ、夫から離縁を叩きつけられるし、子どもの信用もなくすし、職も失うよねって感じ。
しかも、ドライバーから“殺していい奴の名前を挙げろ”と言われて、平気で人の名前を口に出すような奴だし、そもそも、ドライバーに喧嘩を売ったのは彼女の方なんだから、彼女が謝れば済んだ話なんだし、全く同情できない。

 

そして思った。この作品は「激突!」でも「フォーリング・ダウン」でもない。これは、サイコな殺人鬼が、自分の目の前に現れた無礼な者を次から次へといためつけていくという内容の数多あるホラー映画だと。本作の終盤で、ドライバーが死んだ場面は曖昧にしているので、その気になれば続編でも作れるのではないだろうか。

 

見た感想としては、正直言ってちょっと退屈した。
いくらラッセル・クロウ主演とはいえ(すごい中年太りだな…)、全米興行収入ランキング1位獲得とはいえ、見た目は「激突!」、テーマは「フォーリング・ダウン」なのに、実際はほとんどスプラッター・ホラーな内容ではプロモーションに困るのも仕方ないかなと思った。
本作が米国で公開された時期に日本でもドサクサで公開してしまえば良かったのにとは思ったかな。

墨田区に関連する歴史上の人物、葛飾北斎の映画ということで墨田区民としては見逃せないと思い、以前から見に行くことを決めていた。

新型コロナウイルスの影響で公開が丸1年遅れ、やっと見ることができたという感じだが、墨田区民、下町住民の観点からすると非常に物足りないと言わざるをえない内容だった。

 

それは、北斎が生活していた現在の下町に該当する地域の描写が物足りないからだ。正確にいえば、北斎に目をかける版元や、絵師らが出入りする吉原の描写はあるから、全く描いていないわけではない。
でも、北斎の娘を主人公にしたアニメーション映画「百日紅」や同じく娘が主人公の単発ドラマ「眩」とは異なり、本作は住民たちの生活感があまり描かれていないんだよね。

 

それどころか、作品のタイトルになっている北斎の生き様や、作品を作る際のエピソードみたいなものも少ししか描かれていない。

 

全部で4部構成になっているが、1部はほとんど、幕府に目をつけられた版元(阿部寛)が主人公みたいなものだし、4部は武家の身でありながら、戯作者である種彦(永山瑛太)が主人公みたいなものだった。

 

要は、権力側(本作でいえば武家など)が文化や芸術に対して締め付けていることを批判するのが、この作品の根底にあるテーマなのだと思う。でも、青年時代の北斎がメインの2部や老年時代の北斎がメインの3部では、そうした権力vsアーティストの描写は薄れてしまっている。

結局、この作品は北斎の生涯とか生き様、芸術性の描写の面でも、権力批判の面でも中途半端になっているんだよね。

 

おそらく、本作制作中には、あいちトリエンナーレの「不自由展」が保守思想の政治家によって批判されたことが念頭にあったのではないかと思う。
また、コロナの影響で去年、公開延期となってからは国や自治体のデタラメな基準で、映画館が休業させられたりしたことに腹を立てている映画業界関係者も多いことから、そういう怒りのメッセージもこの作品には託されるようになっているとは思う。

 

でも、中途半端なんだよね…。俳優陣が好演しているだけに残念かな。

 

あと、歴史的、芸術的知識がない人が見たら、北斎の娘らしき人物、あれって何?って思うのでは?別に1から100まで説明する必要はないけれど、それでも、もう少し歴史や芸術に関する知識がない人に向けての説明も必要なんじゃないかなって思う。

 

それから、権力は文化や芸術に口を出すなと言っておきながら、結局は、酒や女遊びをしたり、破天荒なことをしなければアーティストになれないみたいなメッセージが強調されていたのも何か違うんじゃないかなって思う。それって、結局、権力側と同じでは?

1部の頃の北斎は、コンスタントに平均点を叩き出してはいるものの、100点満点がないためにダメな絵師扱いされていて、酒や女遊びが大好きな歌麿や、アナーキーな作風の写楽を天才扱いしていたけれど、それでは、権力に媚び売っていることと同じだと思うんだよね。

そういう意味でも、本作の反権力のメッセージは主張すべきことの整理がついていないとしか言えないかな。というか、1部と4部は権力との闘いがクローズアップされているけれど、2部と3部はそれほどでもないしね。

色々と中途半端な映画だった。