暑いけど京都の旅 2024,8,25
21日の昼、京都に着いた。
午後2時、友人・吉益さんと会う。
「どこで会おうか?」
数日前、連絡をとった。
「いつもの(旧)阪急デパートの前でどう?」
「了解!」
この建物は現在『河原町ガーデン』と呼ばれ、河原町通と四条通が交わる交差点の一画に建つ。道路の反対側には高島屋がある。昔から待ち合わせの場所だったようだ。
この日も暑い中、アーケードの下には幾人もの待ち人が…。歩道脇の花壇の縁に腰を下ろしている人も…。
「やあ、山﨑さん!」
5分も待たないうちに吉益さんが現れた。空色の生地の涼しそうなジャケットを着て。この日もまたいつもと変わらずさわやかな感じ。
近くにある『喫茶フランソワ』に行く。
インターネットを使って『喫茶フランソワ』について調べると、1934年、立野正一(1907年生まれ・元画家)によって創業。イタリア・バロック風で豪華客船の内装がイメージされ、現在も当時のままの状態が続けている(国の登録有形文化財に指定)とのこと。
日本の侵略戦争が深刻化していった時代、立野は時代の流れに抗し、「文化と自由のオアシス」をここに求めて開店したとのこと。政治、社会運動、映画、文学、芸術批評等について、多くの人たちがここに集まって語り合ったという。
「奥にも席がございますから…」
ウェイトレスが、多くの客が座るテーブルと椅子の間を抜けて奥の部屋へと案内してくれた。奥の4人席にゆったりと座ってお喋り。2人ともブレンドコーヒーを注文。
1時間ほどして
「ケーキを食べようか」
と吉益さんが言った。
「いいねえ」
と、ぼくも賛成してメニューからレモンタルトを選んだ。吉益さんは洋ナシのタルト(?)だったかな。ぼくの食べたレモンタルト、美味しかった。
お喋りは、あっちに飛びこっちに飛び、自由気ままに続いた。時代小説のこと、相撲のこと、吉益さんが送ってくれた京都教科研通信に関わる記事内容とか…、あっそうだ! 猫のこととか…。
気づくと5時半だった。
「ネコによろしく」
互いに、そんなことを言って別れた。
ぼくは、日陰を探しながら高瀬川沿いの細い道を歩き、賀茂川にかかる三条大橋を渡って東山三条にある宿に帰った。
※
翌日22日は、太陽が上らない早朝、白川沿いの道を歩き、京都華頂大学を横に見ながら北上し、神宮道に出て清水寺まで歩いた。朝の早い時間だったけれど旅行客が歩いていた。
清水寺の舞台の欄干に出て京都の朝の風景を眺めた後、近くの階段を降りて『音羽の滝』に出た。そこには、流れ落ちる3本の滝に向かって柄杓を出す人たちがいてぼくも真似した。そう言えば、ゼミの卒業旅行で京都に来た時もここでみんなが願い事をしていた気がする。
岩壁に用意されていた柄杓を取り出し、流れ落ちてくる1本の滝の水を受けとめた。後でわかったけれど、ぼくが受け止めた滝は、不老長寿の願い事が叶う滝だったらしい。でも、水は飲まなかったからご利益はないね。
その後、前田珈琲店に寄りモーニングを注文。美味しく食べた。8時半、宿に帰る。
午後は、暑い陽射しの中、バルにある書店・丸善までいって、ひとりランチを楽しんだ。時刻は1時半過ぎだったからかなり空いていた。
この帰り道が大変だった。めちゃくちゃ暑くて! 午後の3時、文字通りうだるような暑さ。
「まずいな、熱中症になるぞ…」
危険を感じて近くのコンビニに寄り、冷たい水の入ったペットボトルを買った。これを飲んだり、首にあてたりして「ふうふう」言いながら帰った。賀茂川の河川敷に人の姿は見えず。
23日。嵐山祐斎亭に行く。地下鉄東西線に乗り終点の太秦天神川駅で下車。地上に出て京福電車に乗り嵐山へ。
これも暑かった。渡月橋の木の陰で開館時間を待つ。川の側だからもう少し涼しいかと思ったけれど、耐えられない暑さ。
そこでぼくが、大堰川(桂川)の流れに遊ぶシラサギを見ていたら、若い2人連れが目の前にやってきて言った。
「写真を撮ってくれますか?」
「いいですよ!」
とぼく。
シャッターを押す。
「ちゃんと撮れたかな?」
と、ぼく。
「はい。大丈夫です。ありがとうございます」
このやりとりが気持ちよかった。何だか暑さを忘れるような出来事。
それから、祐斎亭に行った。