1970年代のことだった、プロ野球の名選手あった、名監督が、引退試合を終えた。女性名アナウンサーが問うた、「あなたに取って野球とは何ですか」。名監督は答えた、「野球は私の人生そのものでした」。

 

 

確かに偉大なことを成し遂げた、偉大な人であった。仕事こそが生活の基盤であり、重要視されるのは当然ではあろう。

しかし、「仕事=生活」が人生の全てなのか?

私は「若さとはポシビリティだ」述べたが、将来への「可能性」は子供や若い世代には「無限の将来がある」という言葉通り若人に分があるのは当然の事であろう。

しかし、これは決して老人の強がりをいっているのではない。

 

 

「若さとはポシビリティだ」は、その時点その時点での何らかの可能性となり得るものを創って行く、「可能性」に向けて「自分の意欲の度合」の強さを示すものだと思っている。

 

 

私の求める可能性は、自分が何歳になろうとも、意識ある限り、「自分を変える」、「自分なりの価値観」を創り続けてゆきたい、という意欲の程度が、自分の「若さ」であると考えての言葉である。

1。この分野では初めての投稿です。私は85才の老木です。年不相応なほど頭も体も老化が進行している。

老化は抗いようのないものではあるが、私は未だに、「若さとはポシビリティである」と思っている節がある。

 

この言葉は、1996年NHK青年の主張の放送で、アナウサーが「若さ」とは何でしょうか?と問うた。

その時、私の中の己が自分にお前はどう思うと問うた、「若さとはポシビリティではないのか」でした、これに己も頷いた。