「多様性」という言葉が重視される昨今、「男らしさ」「女らしさ」などの人をある一つの型に収めようとする言葉が嫌われている。

 

「人は自由だ」どう生きようが、どう振舞おうが、誰を好きになろうが、そんな事は人の自由だというのである。

 

 

しかし、人はアイデンティティを失う時壊れるものである。

 

 

アイデンティティとはすなわち、何を自分たらしめるかという事だ。人とは異なること、つまりアイデンティティとは優越感からくるものだと考える。

 

その時人は大きな権力・権威に縋ろうとする。なぜなら、自分の追い求めるものが絶対的に価値があるものだと周囲から認知されていなければ、その優越感など意味をなさないからだ。

 

アイデンティティを保持するには、大きな共同体が必要であるのだ。

 

しかし現在、SNSなどの普及により人は細分化し、個人主義が興隆している。

人々はレッテルを貼られる事を極度に嫌い、自由が全てだと謳う。

 

この細分化は人を幸せにするのだろうか。どれだけ優越感を得ようとすれど、それを裏付ける根拠はあまりに小さい。

 

 

「多様性を重視せよ」という類いの運動も、人が個人主義を重んじるばかりに感じる虚しさによって拡大していっているのではないか?

 

なんという皮肉だろう。

 

 

所詮人は仲間意識を感じないでは生きていけないのである。