そうそう、今回は出雲大社のお参りはもちろんだったのですが
今回どうしても行きたかったところが・・・
それが、ここ
大社から西へ歩いて1キロ。
稲佐の浜
神話の大舞台憧れの稲佐の浜にやっとこれましたー
わーホンモノだーうれしー
毎年の神在月の一番初めである「神迎え」の神事はここで行われ
日本全国の神様を出雲大社へお連れするのです。
神話の上ではここは大舞台。
ここで国譲りのやりとりがあったのです。
古事記ではこのように伝えられています・・・
大国主命(おおくにぬしのみこと)の前身である
大穴牟遅(おおなむぢ)は兄神らに
恨まれて2度も殺され、須佐之男命(すさのおのみこと)から
試練を与えられて苦労を重ねながら、
やっとの思いで葦原中国(=日本)の支配者となります。
後に少名毘古那(スクナヒコナ)と兄弟になり二人で
協力しながら日本の国を治めていこうとしますが、
少名毘古那(スクナヒコナ)は常世(とこよ)の
国に去ってしまい大国主命(おおくにぬしのみこと)は
一人取り残されてしまいます。
そして悩みます。
「一人でこの国を治めるにはどうすればいいのか・・・」
そんな様子を高天原の天照大神(アマテラスオオミカミ)は
見ていて「この国を治めるのは大国主命(おおくにぬしのみこと)ではなくて
高天原にいる神の子孫が治めるべき」
だとして、せっかく苦労してこの国の支配者になった
大国主命(おおくにぬしのみこと)に国を譲らせる交渉をはじめます。
何人もの神様を派遣させても
大国主命(おおくにぬしのみこと)を恐れて服従して
しまったり大国主命(おおくにぬしのみこと)の娘と
結婚して後釜を狙ったりでうまくいきません。
そして最後に建御雷之男神(タケミカズチノオノカミ)を派遣します。
建御雷之男神(タケミカズチノオノカミ)は
稲佐の浜に十掬剣(とつかのつるぎ)のつかを波に突き刺し、
刃先の上にあぐらをかいて大国主命(おおくにぬしのみこと)に
国を譲るように迫ります。
「さあ、大国主命(おおくにぬしのみこと)よ、
どうする?否(いな)か、
(=国を譲るのか?それとも譲らないのか?)
(=稲佐(いなさ)の浜の名前の語源)
真正面から切り出された大国主命(おおくにぬしのみこと)は息子の
事代主命(コトシロヌシノミコト)に相談したところ
「抵抗せずに、従いましょう」と言ったのです。
もう一人の息子は抵抗して建御雷之男神(タケミカズチノオノカミ)に
力比べを挑みますが、敗れて降伏します。
大国主命(おおくにぬしのみこと)はこの国を譲る代わりに
天照大神(アマテラスオオミカミ)に神の御殿のような立派な
住居を作るように求めました。
天照大神は承諾して出雲大社を作り
大国主命(おおくにぬしのみこと)の住居としその後
大国主命(おおくにぬしのみこと)は天照大神(アマテラスオオミカミ)の言うことをきき
出雲大社に住まうことになったのです。
・・・これが古事記の一部です。
いろんな苦難を乗り越えてやっとの思いで日本を支配する
立場になったのに同じ志を持った者には裏切られるし、
一人で奮闘しているにもかかわらず「この国を譲れ!」と
言われた大国主命(おおくにぬしのみこと)・・・
その心中を考えただけでもいろいろと葛藤や迷いがあったと思います。
この神様は本当にご苦労されています。
受難の連続だったから
いろんな人間の気持ちがわかる神様なのかもしれません。
海は荒れ気味・・・出雲だけに雲でまくりです(笑)