Road to be a Family Doctor -2ページ目

Road to be a Family Doctor

将来は日本のプライマリーケアを変えてやる!と意気込む身の程知らずな研修医が、医療問題、教育、人生論などなど日々思うことについて好き勝手書いています。

先日日帰りで南相馬に行って来ました。

南相馬市立総合病院で働かれている先生に無理をお願いしていろいろお話聞かせてもらいました。

被災地を訪れるのは昨年の秋に岩手に行って以来1年ぶりで、福島は今回が初めて。

被災地のことをニュースで目にすることも減っていたし、自分の中で考えることも少なくなってしまっていたのでもう一度訪れて考え直したいと思っていたところに友達がセッティングしてくれたのでちょうどよかったです。

まず、南相馬市立総合病院にあるホールボディーカウンターを見せてもらいました。

南相馬市内の人は無料で内部被曝を調べられるそうです。昨年までは1台しかなく予約もいっぱいだったそうなのですが、2台に増えある程度予約にも余裕があるそうです。
市外の人は有料になりますが、予約すれば計測してもらえるようです。

内部被曝を調べていてやはり内部被曝はあるものの線量は下がっていっていること。そしてその線量は”今わかっている知識”の上で問題になる線量には達しないそうです。

また、ビキニ環礁で水爆実験が行われた後の日本の線量の方が今の南相馬の線量よりも高かったことも分かっているそうです。

これだけ聞くと思っていたほど放射能は問題になっていないように感じます。

そのせいで継続的に内部被曝を調べに来てくれる人が減ってしまっていることも問題となっているそうです。このような人達にどうやって動機づけをして継続的なフォローを受けてもらうかが今後の課題だそうです。

また、放射能がそこまで問題ではないとわかっても福島を去る人は多いそうです。とある母親が「放射能が健康に害がなさそうのは分かる。だけど子供がフクシマで育ったことで差別されたくないから私は福島を出ます。」とおっしゃっていたそうです。この判断が正しいかどうかは僕にはわかりません。ただ、このお母さんの気持は分かりますし、自分がこの立場だったらどうするかわかりません。正しい知識をもって差別をなくすことが正義かもしれないけど、それと現実はまた違う。。。子供を考えられるリスクから守ることだって正義だし、何が正しいなんて誰も決められない。そんなことが頭をぐるぐる駆け巡りました。


次に20km圏内の警戒地域に連れて行ってもらいました。10km圏内はまだ立入禁止なのでそこには検問があり、当たり前だけど異常な光景でした。

20km圏内は日中の立ち入りが許可されたものの、1年も放置された家屋は荒れ放題でまだまだ住民の方が戻れる状況ではありません。そして、火事場泥棒が横行しているそうで、僕らも何度か警察の方に声をかけられてしまいました。震災直後、日本では混乱に乗じた犯罪があまり怒らなかったと世界で賞賛されていたのに、ほとぼりが冷めつつある今このようなことが起きているなんて寂しい気持ちになりました。

自分の家に帰ることを切望してきた人たちにとって、20km圏内の立ち入り許可は待ちに待ったものだったろうと思いますが、荒れ果てた家などの絶望的な現実を突きつけられてしまった方も多いのではないかと思いました。

そして20km圏内の小高地区にある小高神社を見に行きました。この地域の伝統行事である野馬追においてとても大切な神社で、地域の心の拠り所となっていたそうです。この神社に立ち寄れることになったのは地域の人にとっては大きいことだそうです。

海外沿いの津波被害にあった地域にも連れて行ってもらいました。岩手でも見たことがあったけど、何度見ても言葉を失ってしまいます。ぱっと見では何もない原っぱなのですが、そこが住宅地であったことを想像するとぞっとします。がれきは片付いて綺麗にはなっているけど、もう誰もそこには住むことなく、この場所はこのあとどうなるのだろうか、このまま時が止まった場所になってしまうのではないかなどと考えてしまいました。

仮設住宅にお邪魔して被災者の方にお話を聞かせてもらいました。いきなりの訪問だったのにもかかわらず、暖かく迎えてくださり本当にありがたかったです。震災当初の話や、その後の生活、ばらばらになってしまったコミュニティーの話などいろいろ聞かせてもらいました。やはり仕事がないということが一番の悩みだそうで、こればっかしは早急に解決して欲しいと思いました。

帰り際にたくさんのクリスマスイルミネーションが仮設住宅にあるのを見て、なんだかちょっとだけホッとしました。もともとあった地域のコミュニティーが分断され、見も知らずの人たちが仮設住宅に集められ、人と人とのつながりが分断されてしまったことが当初問題とされていました。しかし、僕が見て感じたのはすでに仮設住宅という場ではあるものの新しいコミュニティーが作られつつあるなということでした。復興というと、もとに戻すことを考えがちですが、この震災を新たな契機として新しいコミュニティー作り、新しいまちづくりをしていくチャンスでもあるのではないかと感じました。

原澤先生がチャレンジされているたくさんのことについても伺いました。

3G回線がついた自動血圧計で患者さんが測定した血圧データが病院に転送され、それを元に患者さんを見守ったり、家族にも連絡が行くようなサービスを試験的に行なっているそうです。地元のおばあちゃん、おじいちゃんたちも「自分たちが世界初のことに関わっている!」と嬉しそうに参加してくれているそうです。

来年から行われるのはICカードに患者さんのID,既往歴、飲んでいる薬、DNRなどの意思表示を記録して救急搬送された時に役立てようというプロジェクトです。これは個人的にあればいいと思っていたアイディアでもあったので今後どうなっていくのか楽しみです。

HOHP(ひきこもっている お父さんを 引っ張り出せ プロジェクト)は、職がなく家に引きこもりがちなお父さんたち、お父さんたちにしかできない大工仕事を依頼することで、体を動かし健康増進、やりがいを見つけてメンタルヘルスの向上を狙ったものだそうです。

他にもおもしろそうなプロジェクトはたくさんあるみたいですが、一人の医師がここまで地域社会にコミットできるんだと驚いたと同時に、自分も将来はこういう社会密着型の家庭医になりたいなと思いました。

たった1日でしたがほんとに多くのことを考えさせられました。
今回の震災の復興はまだまだ始まったばかりですが、ピンチをチャンスに変えて元に戻すではなく新しいものを作って世界に発信していくようになったらいいなと期待すると同時に、自分もなんらかの形で関わって行きたいと感じました。

今回忙しい中相手をして下さった原澤先生、本当にありがとうございました。

いい指導医に最も大切なことは?


と面接で聞かれました。


教育熱心なこと?

コミュニケーションが上手な人?

教えるのがうまいこと?

医学知識が豊富なこと?


いろいろあるけどその先生がおっしゃってたのは

「まず、優れた臨床医であること。」


口下手だろうが目の前で患者さんに素晴らしい医療をしていればそれが一番の手本となるからだそうです。

だからいい教育者になりたかったら、教育のノウハウも大事だけどまずは素晴らしい臨床医になりなさいと言われました。

今度は素晴らしい臨床医に必要なことはなんだろう?という疑問が浮かびましたがそれは来年以降患者さんと向き合いながら考えていきたいと思います。
2ヶ月間のアメリカ生活もついに終わり今日帰国しました。

最初は2カ月って結構長いなーって思っていましたが、実際はあっというまでした。

最初の1カ月はなれない環境×英語の壁×ICUということでかなりメンタルやられて帰りたいと思ったこともありましたが、8月は慣れてきたのと、周りも外人で英語の壁をさほど感じなくてすんで、むしろすごい楽しかったです。


こっちで実習をしてよかったことはSub-iという研修医とほぼ同じ仕事をするローテーションをさせてもらえたことです。入院患者が来たら自分で問診・診察をして、カルテを書いて、アセスメントとプランを考え、実際にどんな検査をするか考えて、自分で採血とかまでして、毎日患者をフォローして、逐一アセスメントをし直し、最後は退院まで自分でさせると言うことが経験できたのは非常に勉強になりました。日本の実習だと、学生はよそ者で見ているだけという感じでしたが、こっちのローテーションでは本当にチームの一員として扱われることが嬉しかったです。そして実践的な実習をすることで、来年から研修医として働くとどういうことをしなくてはいけないかというイメージがついたのはとてもよかったです。


アメリカでの教育にあこがれていた面もあったけれど、結局アメリカにいるからって手取り足とり教えてくれるわけではなく、ただこっちは教える側も教育にプロ意識を持っている代わりに、教わる側も貪欲に学ぼうとする意識があるからいい教育がなされているんだなって感じました。
日本の医学教育に文句をいっているけれども、学生側の意識が低いのも事実だし、こっちでやったように貪欲に学ぼうとしたら応えてくれる先生は日本にもいっぱいいるんじゃないかと思いました。


アメリカに行く理由はもう一回よく考えてみようと思います。
自分がやりたいFamily Medicineに関しては、まだアメリカに行く意味があるのじゃないかと思っていますが、それも自分の目で見ないと分からないので次は絶対にFamily Medicineを見にアメリカに行こうと思います。


2ヶ月間で多くの人に出会い多くのことを学ばせてもらいました。医療関係者以外の人との出会いも結構あり、いろんな分野の人の話が聞けて本当に勉強になりました。

この経験を今後活かすのはもちろんのこと、多くの人と共有できたらいいなと思っています。
留学中に出会った人、留学をサポートしてくれた家族、友達、そしてこの機会をくれた方々に心より感謝を申し上げたいと思います。
8月はHarlem Hospitalの内科で実習をしております。

ちょくちょく備忘録がてらブログを書こうと思っていたらいつのまにか最後の週になってました。

Harlem Hospitalはその名の通りHarlemのど真ん中にあり、かつては治安がやばかったみたいです。

Resident(研修医)はみんな外人で、アメリカ人がいないという衝撃っぷり。

なんでか聞いてみたら「わかるでしょ?」って。。。(笑)

患者層も黒人がほとんどで、薬中、アル中、HIVの宝庫で、患者の30%くらいは保険がなくてたいへんです。

保険がないとか、家がないとか、靴がない(笑)とかいろいろ医学的じゃなくて社会的な理由で退院できない人もいて、ソーシャルワーカーが病院を動かしていると言っても過言じゃない感じでした。

なんといっても各チーム(内科の病棟は全部で4チーム)に一人ずつ専属のソーシャルワーカーがいて、一緒にラウンドするのがハーレムならではないのかと感じました。

まぁ先生も外人ばっかで、英語もみんななまっててなんだか変な感じで最初は戸惑ったけど、なかなか楽しくやっております。

薬中の患者さんも意外といい人がおおくて、むしろ気さくに絡んでくれるので楽しかったり笑

たまにDrug seekerの患者さんとかいると対応がかなりめんどくさいけどこれも勉強のうちですかね笑

とりあえずあと4日間楽しみます!

ICUでとても印象的な患者さんに出会いました。

僕が初めて新入院のプレゼンをさせてもらった患者さんだったんですけど、50歳くらいの女の方で、NASHによる肝硬変で肝移植待ちの状態でした。

患者さんと話してたら「日本からきたの!?EXILE知ってる?」って聞かれて、どうやら娘さんがEXILEのファンらしくて「明日娘がお見舞いに来るからぜひEXILEの話をしてあげて」と言われました。(笑)

翌日娘さんと旦那さんともいろいろ話して仲良くなりました。

その患者さんに胸腔穿刺をしている間、iPhoneに入ってたEXILEの曲をかけてあげたら大喜びしてくれて患者さんと仲良くなれてよかったなーって思ってたら、状態もよくなってICUから一般病棟に移っていきました。


しかし、1週間後新入院が来ると言うので見に行くとその患者さんがICUに戻ってきたのでした。

しかもそうとう状態が悪く、すぐに挿管になって人工呼吸器管理となってしまいました。

旦那さんと娘さんもすごい心配そうにしてて、なんて声をかけたらいいか分かりませんでした。

その後もきびしい状態は続いたのですが、なんとかよくなって呼吸器も外せてだいぶ元気になってくれました。

そんなこんなで僕のICUでのローテーション最後の日を迎えたので、最後の日に「学生なのに診察とかさせてくれてありがとうございました。元気になって是非日本にEXILEのLIVEを見にきてください!」って挨拶しに行ったら、「君は本当に私によくしてくれた。君はこれから先たくさんの患者を見るだろうけど、私は君のこと絶対忘れないから。本当にありがとう。これからもがんばってすばらしい医者になってね。」という言葉を患者さんと旦那さんから頂き、本当にありがたかったです。

久々に患者さんと深くかかわって、自分は学生でほぼ何もしていないのにこんな嬉しい言葉をもらって、本当に医学部入れてよかった、やっぱ自分は医者がやりたいんだなって改めて思いました。
1カ月なかなかつらいローテーションだったけど、最後にいろいろ気づかせてもらえたのでほんとにいい経験でした。
これからもこの気持ちを忘れずに頑張っていきたいです。