毎年にように震災の記事を書くときは、書き続ける難しさというのも一緒に伝えていますが

自分の中では再掲でもいいから記事はアップし続けようと思っています

今年は地元ヴィッセル関連で書いていこうと思います

去年、成績不振でネルシーニョ監督が解任されると吉田監督代行が指揮をとりました

そこでこのように述べています
クラブに対しては(震災の記憶が薄れつつあると)感じる。昔は1月17日のスタート(練習の始動)でやっていた。震災の映像を見て、こういう(甚大な被害を受けた)クラブだということをチーム全員が理解した上で、忘れずに一生懸命みんなで作り上げていこうとスタートしていた。最近は、そういうのが薄れてきたりしている。それはクラブとしてもう一度、思い出さないといけないと感じている
以前にも書きましたが、1995年1月17日はヴィッセル神戸が初練習を予定していた日です

ヴィッセルにとっては避けては通れない特別な日だと思います

のちに苦戦を強いられるヴィッセルにサポーターが今度は自分達が支える番だと作ったのが神戸賛歌

震災の事も多分に入ってる応援歌で、今でも選手入場時や勝利後に歌われています

それなのに、震災を経験した人からこういう言葉が出るのは危機的状況だと思います

しかし吉田監督は今年、チーム指導を1月17日に決め、黙祷後にサポーターの神戸賛歌を背に

練習を始めましたし、こういう姿勢は本当に大事だと思います

別記事ではオリックスが去年に選手寮を舞洲に移転した事で、首脳陣やスタッフ・新人などで行われていた

ほっともっとで黙祷する恒例行事が無くなるというのが出ていました

そして、今日記事通り大阪の球団施設で黙祷をささげました

オリックスという球団がこの日に神戸で黙祷をささげるという事がどういう意味があるのか

そのところをしっかり考えて欲しいと思います

スポーツの持つ力というのは本当に大きくて、あの日始動する予定だったヴィッセル

あの年リーグ優勝・翌年日本一になったオリックスが、今日という日を軽んじるのは残念でなりません