野球体育博物館(加藤良三理事長)は14日、11年の野球殿堂入り顕彰者を発表した。プロ野球を対象とした競技者表彰のプレーヤー部門は、ロッテで史上最多の3度3冠王に輝いた現中日監督の落合博満氏(57)、同エキスパート部門は南海(現ソフトバンク)の黄金時代を支え、「最後の30勝投手」と呼ばれる故・皆川睦雄氏が選ばれた。殿堂入りは計173人となった。アマチュア野球関係者などが対象の特別表彰は18年ぶりに該当者なしだった。
落合氏はロッテ、中日、巨人、日本ハムで通算20年間プレーし、ロッテ時代の82、85、86年に3冠王を獲得。球界を代表する強打者として98年まで活躍した。これまでも殿堂入りの候補に挙がりながら、一昨年と昨年は当選必要数に1票届かず2年連続で落選。しかし、今回は当選ラインを30票も上回る277票を集めた。
皆川氏はサイドスローの名投手で、68年には31勝を挙げて最多勝と最優秀防御率の2冠。71年に引退した後は阪神、巨人、近鉄でコーチを務め、05年に69歳で亡くなった。山形県出身者の殿堂入りは初めて。
落合、皆川両氏の表彰式は7月に予定されているオールスターゲーム第1戦(ナゴヤドーム)で行われる。
◇落合博満(おちあい・ひろみつ)
79年、東芝府中からドラフト3位でロッテに入団し、内野手として活躍。82年に史上最年少の28歳で3冠王に輝き、85、86年にも連続3冠王。3度の3冠王は、他に例を見ない。実働20年で通算2371安打、510本塁打、1564打点。通算打率は3割1分1厘。首位打者、本塁打王、打点王を5回ずつ獲得した。98年に現役を引退し、04年から現在まで中日の監督を務め、リーグ優勝3回、日本一1回。秋田県出身。
◇皆川睦雄(みながわ・むつお)
54年に米沢西高(現・米沢興譲館高)から南海に入団し、野村克也、杉浦忠らとともに南海の黄金時代を支えた。入団3年目にサイドスローに転向し、56年から8年連続2ケタ勝利。68年に31勝をマークし「最後の30勝投手」と呼ばれる。実働18年で通算221勝139敗、防御率2・42、1638奪三振。獲得タイトルは最高勝率2回、最多勝1回、最優秀防御率1回。05年2月に69歳で死去。
「野球界からいただける賞は皆いただいた。もらえる最後の賞だと思っている」。現役時代に3冠王3回など数々のタイトルに輝き、監督としてもリーグ優勝3回、日本一1回。数多くの表彰を受けてきた落合監督が、普段は見せない満面の笑みで受賞を喜んだ。
98年に現役引退し、03年秋に中日の監督に就任した。当時の表彰規定は「引退後、5年以上が経過した選手」で監督、コーチではないこと。ユニホームを着て、「これ(監督)が終わってから」と思っていた。規定が改定された08年からは監督、コーチでも可能になったが、09、10年と1票足りずに殿堂入りを逃した。2年連続1票差の落選という珍事を経ての受賞に「また歴史を作っちゃった。(監督を辞めてから受賞する)後の楽しみがなくなった」と冗談めかした。
そう笑い飛ばすのも「人がやったことのないことで、名を残すのもいい」との哲学からだ。中日に移籍した87年に日本人初の1億円プレーヤーになり、94年は導入されたばかりのフリーエージェント制度で巨人に移籍と、次々と道を切り開いた。自分なりの考えを貫くことから“オレ流”と呼ばれ、95年には通算2000安打を達成したが、「ゴールはまだ先」と名球会入りを拒否したこともある。それでも殿堂入りは「人から選んでもらうもの。(これまでの表彰とは)別物だよ」と格別の様子だ。
「表彰式はユニホームのままで出るのかな」。表彰式のあるオールスター第1戦(ナゴヤ)でセ・リーグの指揮を執る。現場を預かる身として「これからも野球界のために一肌でも二肌でも脱ぎたい」と、野球の発展へ貢献する意欲を新たにした。【鈴木英世】
落合は1票足らずに2度落選していましたが、今回はクリアしました
人間性の問題なんて言われていましたが、やっぱり3度の三冠王というのは凄い事ですからね
現役時代はコーチの言う事を聞かないでも自分が頑張れば済む話でしたが
監督となったいま、オレ流の「被害者」は多いのではないかと思います
それでも落合の中にでは何かを感じ取っての行動ですし、他人には理解されないのでしょうね
南海の黄金期を支えた皆川さん、31勝というは昔であれな珍しく無いのですが
8年連続2ケタ勝利に、通算防御率が2点台の前半というのが凄いですよね
これだけ凄い成績を残しながらタイトルは31勝した年の最多勝と最優秀防御率以外は
最高勝率を2度しかとってないというのも、このあたりのプロ野球の投手のレベルの高さでしょうか・・・
亡くなってからもらう人も多いこの賞ですが、やっぱり本人に受け取ってもらいたいですよね